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共50首歌曲
还记得那些晚霞中追随蜻蜓飞舞的美好童年时光吗?这张美丽的日本童谣旋律集,是日本的音乐家们专为孩子们演奏的音乐集,精选的曲目均为日本广为流传的经典童谣。让这些优美迷人的日本童谣音乐,带你回到那个充满幻想和希望,纯真而美好的童稚世界。永远传唱的、美丽的日本童谣集锦
# | 歌曲 | 艺人 | 时长 |
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01 |
赤とんぼ
词作者三木露风是诗人。1889年出生在兵库县龙野市。三木先生从小就爱好文学。小学、中学的作文从来都是优秀。所以经常向杂志、报纸投稿诗歌和诽句作品。歌词中的赤とんぼとまっているよ竿の先』是龙野小学高年纪时写的。这首歌作为童谣,十分受欢迎。每天傍晚5时正,在龙野市就响起了『赤とんぼ』的音乐旋律。 三木的诗词都是山田耕笮给谱的曲。山田先生是大正、昭和时期的作曲家、指挥家。1908年毕业于东京音乐学校,在柏林留学10年。后把精力用在歌剧、管弦乐作品的创作上。 |
夏川りみ | 04:18 |
02 |
背くらべ
1919年(大正8年)、雑誌『少女号』に詩が掲載され、曲としては1923年(大正12年)に発売された『子供達の歌 第3集』が初出。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。 歌詞は端午の節句に背丈を計ってもらった子供の視点で書かれている。これは海野の17歳年下の末弟、春樹の視点から描いていると言われ、「兄さん」が海野である。柱の傷が「一昨年」なのは、「昨年」は海野が東京におり(早稲田大学に在学)、静岡県(現静岡市駿河区曲金二丁目)の実家に帰って来られず、弟の背丈を計ってやることができなかったからである。実家に帰れなかった理由は諸説がある。「やっと羽織の紐のたけ」は一昨年からの背丈の伸びが羽織の紐の長さと同じぐらいだとする説が有力だが、背丈自体が大学生の兄(海野)の羽織の紐を結んだ高さとする異説もある。2番の歌詞は、実家が静岡なので富士山が登場し、弟が自分の背丈と比較しているのである。 |
レインブック | 04:55 |
03 |
しゃぼん玉
『シャボン玉』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡・唱歌。 野口雨情は、明治41年3月に長女みとりを生まれてすぐに亡くしている。童謡『シャボン玉』には、はかなく散った娘への切ない想いが込められているとの解釈もあるようだ。 野口雨情(のぐち うじょう/1882-1945)は、茨城県出身の詩人、童謡・民謡の作詞家。中山晋平や本居長世と組んで多くの名作を残し、北原白秋、西条八十とともに「童謡界の三大詩人」と謳われた。代表作は、『七つの子』、『赤い靴』、『黄金虫(こがねむし)』、『証城寺の狸囃子』など。 中山 晋平(なかやま しんぺい/1887-1952)は、長野県下高井郡日野村(現・中野市)出身の作曲家。『黄金虫(こがねむし)』、『証城寺の狸囃子』、『背くらべ』、『東京音頭』など、多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。 |
mammy Sino | 01:09 |
04 |
てるてる坊主
『てるてる坊主』は、作詞:浅原鏡村、作曲:中山晋平による日本の童謡・唱歌。1921年(大正10年)に発表された。 元々は中国から入ってきた風習で、中国では「雲掃人形」、「掃晴娘」などと呼ばれていた。 日本では、江戸中期頃から既に飾られていたようで、江戸後期の随筆「嬉遊笑覧」によれば、晴天になった後は、瞳を書き入れて神酒を供え、川に流すと記されている。 |
川田正子 | 00:00 |
05 |
七つの子
七つの子(ななつのこ)とは、野口雨情が作詞、本居長世が作曲した歌である。日本の童謡の中でも、最も広く知られた楽曲のひとつである。大正10年(1921年)、児童文学雑誌『金の船』の7月号に発表された。雨情の故郷である茨城県北茨城市の磯原駅では発車メロディに使われている。また兵庫県たつの市の童謡の小径には、全国公募した「あなたの好きな童謡」の上位8曲の一つとして歌碑が在る。1980年代にはお笑い番組発の替え歌が流行したことでも知られる。 |
レインブック | 03:23 |
06 |
ゆりかごの歌
『揺籃のうた』(ゆりかごのうた)は、北原白秋作詞、草川信作曲の日本の童謡である。2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。1967年にNHKみんなのうたでボニー・ジャックス歌うなど、古くから親しまれている。近年では2011年2月19日に夏川りみがカバーした。 |
河井英里 | 03:49 |
07 |
どんぐりころころ
「どんぐりころころ」は、大正時代に作られた唱歌、広義の童謡。作詞青木存義(1879年 - 1935年)、作曲梁田貞(1885年 - 1959年)。七五調四行詩のいわゆる今様の形式の作品であり、2番まである歌詞は起承転結のはっきりとした物語性のある構成となっている。青木の没後、終戦直後の1947年(昭和22年)に小学校用の教科書(音楽)で使用されたことを契機に広く歌われるようになり、その普及ぶりから金田一春彦に「日本の三大童謡の一つ」とも評されている[1]。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた[2]。作詞、作曲ともに著作権の保護期間が満了しており、パブリックドメインとなっている。 |
レインブック | 01:50 |
08 |
青い眼の人形
日露戦争後に日本が満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていた。また、1924年に成立したジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)もまた、両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、米国人宣教師のシドニー・ギューリック博士(1860年 – 1945年)が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から日本郵船の天洋丸で日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が贈られた。仲介者は渋沢栄一であった。「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された。 返礼として、渋沢栄一を中心に「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本から米国に贈られた。 日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争中は敵性人形としてその多くが焼却処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体[1]にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。 |
レインブック | 05:13 |
09 |
月の砂漠
『月の沙漠(砂漠)』は、作詞・加藤まさを、作曲・佐々木すぐるによる日本の童謡・歌曲。 歌詞は、大正から昭和初期に叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさをが、講談社発行の雑誌『少女倶楽部』1923年(大正12年)3月号に発表したもの。 当初は児童の音楽教材だったが、1927年にラジオ放送され、1932年に柳井はるみの歌唱で録音・レコード化され、童謡として広まった。 |
川田正子 | 00:00 |
10 |
どこかで春が
『どこかで春が』は、作詞:百田宗治、作曲:草川信による日本の歌曲。1923年(大正12年)に歌詞が発表された。 厳しい冬も峠を越え、あちこちで生まれ始める春の息吹が感じられる早春の歌。 ちなみに作曲者の草川信は、雑誌『赤い鳥』のメンバーとして『夕焼け小焼け(夕焼小焼)』、『緑のそよ風』、『ゆりかごの歌』などの作曲も手がけている。 |
綺羅 | 03:09 |
11 | 肩たたき | 川田正子 | 00:00 |
12 | 夕やけこやけ | 鮫島有美子 | 00:00 |
13 |
春よ来い
『春よ来い(はるよこい)』は、大正時代後期に作曲された童謡。 作曲は、『鯉のぼり』、『浜千鳥』、『雀の学校』などで知られる弘田 龍太郎(ひろた りゅうたろう/1892-1952)。 作詞は、早稲田大学校歌「都の西北」を手がけた新潟県糸魚川市出身の詩人相馬御風(そうま ぎょふう/1883-1950)。 |
レインブック | 02:15 |
14 |
証城寺の狸ばやし
『証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲の日本の童謡。 野口雨情が千葉県木更津市を訪れた際に聞いた證誠寺の狸囃子伝説を元に作詞したもの。 證誠寺の狸囃子伝説は、『分福茶釜(ぶんぶくちゃがま)』(群馬県館林市)や『八百八狸物語はっぴゃくやたぬき』(愛媛県松山市)と並び、日本三大狸伝説の一つに数えられている。 |
石川さゆり | 01:29 |
15 |
雨降りお月さん
1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月増刊号で楽譜付きで発表された。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』とした。 この曲は好評であったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表された。両者はもともとは別の曲であり、中山晋平の付けたメロディも若干異なっている。 昭和に入ってレコードが普及し、この曲のレコード化されることになった際、『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により、『雲の蔭』と合わせてひとつの曲とすることとなった。このとき、野口雨情の最初の案を容れて、『雨降りお月さん』と『雲の蔭』とを合わせた曲の題名は、『雨降りお月』とされた。 2007年(平成19年)には、文化庁と日本PTA全国協議会が選定した日本の歌百選にも選ばれている。 |
綺羅 | 03:14 |
16 |
あの町この町
野口雨情作詞、中山晋平作曲による。初出は東京社(現ハースト婦人画報社)が出版する児童雑誌『コドモノクニ』1924年(大正13年)1月号とされる。 |
レインブック | 03:30 |
17 |
うれしいひなまつり
題名どおり、ひな祭りを歌った曲。1935年(昭和10年)、サトウハチローが娘に雛人形セットを買ってやった前後に作詞したとされる[1]。それに河村が曲をつけ、1936年(昭和11年)1月にレコードが発売されている。 楽しい行事を歌った曲で、題名にも「うれしい」とあるにもかかわらず、西洋音楽的に分類すれば短調である。ただし、唱歌の多くは日本古来のヨナ抜き音階を用いて作曲されており、短調の曲も多い。この曲についても、短調としたことにより日本情緒がよく表現されているとも評されている。 一方で、歌詞の中に官女から嫁いだ姉を連想するくだりがあるが、これについては、嫁ぎ先が決まった矢先に18歳で結核で亡くなったサトウハチローの姉のことを歌っているものであり、この曲が短調なのはハチローの姉へのレクイエムだからであるとの解釈もある[2]。 作詞したサトウハチローは、晩年までこの曲を嫌っていた[3]。 |
林原めぐみ | 02:21 |
18 |
かもめの水兵さん
『かもめの水兵さん』は、作詞:武内俊子、作曲:河村光陽による日本の童謡。1937年(昭和12年)発表。 武内氏が横浜港の大さん橋で目にした数十羽のかもめからインスピレーションを受けて作詞されたという。 河村 光陽(かわむら こうよう/1897-1946)は、昭和期の戦前から戦中にかけて活躍した作曲家。長女は歌手の河村順子。 代表曲に、『うれしいひなまつり』、『りんごのひとりごと』、『グッドバイ』、『仲良し小道』などがある。 武内 俊子(たけうち としこ/1905-1945)は、広島県三原市出身の童謡作詞家、童話作家。『りんごのひとりごと』、『赤い帽子・白い帽子』の作詞でも知られている。 |
日本群星 | 00:00 |
19 |
みかんの花咲く丘
「みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道」が歌い出しの『みかんの花咲く丘』。 作詞は加藤省吾、作曲は海沼實、1946年のNHKラジオ番組『空の劇場』で発表された。 当時、同番組の中で、東京・内幸町の本局と静岡県伊東市立西国民学校を結ぶラジオの「二元放送」が行われることになった。 放送前日の1946年8月24日の昼過ぎになっても曲が仕上がらずに悩んでいた作曲家の海沼實のもとへ、雑誌「ミュージック・ライフ」編集長の加藤省吾が訪ねてくる。 海沼は加藤に急な事情を説明し、加藤に20~30分で作詞をさせた。それから海沼は伊東行きの列車に飛び乗り、列車の中で曲を仕上げたという。 人気絶頂の童謡歌手 川田正子の歌唱で放送された歌は日本全国に大反響を呼び、『みかんの花咲く丘』は日本を代表する童謡作品となって、現在にいたるまで広く歌い継がれている。 |
石川さゆり | 03:21 |
20 |
里の秋
1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。 放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。 1番ではふるさとの秋を母親と過ごす様子、2番では夜空の下で遠くにいる父親を思う様子、3番では父親の無事の帰りを願う母子の思いを表現している。 |
mammy Sino | 04:02 |
21 |
かごめかごめ
『かごめかごめ』は、日本に古くから伝わるわらべうたの一つ。 子供達が輪になってこの歌を歌い、中央で目隠しをした鬼が、歌の最後で自分の後ろに誰がいるのかを当てる遊び歌だ。 ご存知のとおり、歌詞はとてもシンプルですぐにでも覚えて歌うことができるが、そのシンプルさ故に様々な解釈の余地がある。 謎の多い童謡『とおりゃんせ』と同じく、わらべうた独特の古めかしいメロディーと相俟って、その雰囲気はある種のミステリーに近い。 |
レインブック | 04:21 |
22 |
浦島太郎
『浦島太郎(うらしまたろう)』は、1911年の「尋常小学唱歌」に掲載された日本の童謡・唱歌。 『金太郎(きんたろう)』、『桃太郎(ももたろう)』などと同様に、歌詞の内容は日本の昔ばなし・民話を基にしている。 |
日本群星 | 01:53 |
23 |
アイアイ
『アイアイ』は、作詞:相田裕美、作曲:宇野誠一郎による日本の童謡。1962年発表。 宇野 誠一郎(うの・せいいちろう/1927-)は、アニメ「一休さん」主題歌、『ムーミンのテーマ』作曲者としても有名。 |
ROCO | 02:17 |
24 |
あの子はたあれ
『あの子はだあれ(たあれ)』は、作詞:細川雄太郎、作曲:海沼實による日本の童謡。1941年発表。 歌詞については、細川氏の原詩は「だーれ」もしくは「だァれ」だったが、海沼氏が「だあれ」は音が汚くメロディーに乗りにくいとして、濁点のない「たあれ」を主張した経緯があるという。 なお、海沼 實(かいぬま・みのる/1909-1971)は、『里の秋』、『みかんの花咲く丘』、『お猿のかごや』の作曲者としても有名。 |
川田正子 | 00:00 |
25 |
雨
「雨がふります 雨がふる」が歌い出しの『雨(あめ)』は、作詞:北原白秋、作曲:弘田龍太郎による日本の童謡・唱歌。 1919年(大正8年)発表。 北原白秋作詞による童謡・唱歌としては、『ゆりかごのうた』、『この道』、『ちゃっきり節』、『ペチカ』などがある。 弘田 龍太郎作品としては、『鯉のぼり』、『浜千鳥』、『雀の学校』、『春よこい』、『靴が鳴る』などが有名。 |
川田正子 | 00:00 |
26 |
あめふり
『あめふり』は、作詞:北原白秋、作曲:中山晋平による日本の童謡。1925年(大正14)に雑誌『コドモノクニ』11月号で発表された。 歌詞に登場する「じゃのめ」とは、いわゆる「蛇の目傘」の事で、中を白く周辺を黒・紺・赤などで太く輪状に塗って、蛇の目模様を表した紙製の雨傘を指す。江戸時代から広く用いられた。 |
林原めぐみ | 01:21 |
27 |
一寸法師
『一寸法師(いっすんぼうし)』は、作詞:巌谷小波、作曲:田村虎蔵による日本の童謡・唱歌。 歌詞では、室町時代から江戸時代にかけて成立した「御伽草子(おとぎぞうし)」に収められた「一寸法師」のストーリーを簡潔に踏襲している。 |
レインブック | 03:17 |
28 |
いぬのおまわりさん
『いぬのおまわりさん』は、作詞:佐藤義美、作曲:大中 恩による1960年に発表された日本の童謡。 歌詞では、迷子になった子猫ちゃんを犬のおまわりさんが助けようとするが、泣いてばかりで結局自分もワンワン鳴いてしまうというほのぼのとした光景が描写されている。 作詞の佐藤義美(さとうよしみ/1905-1968)は、大分県出身の童謡作詞家。代表作は「アイスクリームのうた」、「バスの歌」など。 作曲の大中 恩(おおなか めぐみ/1924-)は、『椰子の実』の作曲者である大中寅二を父にもつ東京生まれの作曲家。阪田 寛夫(さかた ひろお)はいとこ。 中田喜直、阪田寛夫らと共に数多くの童謡を残し、合唱曲も手掛けた。代表曲は、『サッちゃん』、『おなかのへるうた』などがある。 |
日本群星 | 01:40 |
29 |
うさぎ
旧暦の8月15日の夜は「十五夜(じゅうごや)」、「中秋の名月(ちゅうしゅうのめいげつ)」とよばれ、月見団子にススキを飾ってお月見をする古い慣わしが残されている。 わらべうた『うさぎ』では、十五夜のお月様を見てはねるうさぎの様子が描かれている。 月とうさぎといえば、仏教説話集ジャータカ(jātaka)の一つに、『ササジャータカ』と呼ばれる有名な説話が残されている。日本における月とうさぎの結びつきはこの説話に拠るところが大きい。そのあらすじはこうだ。 |
moumoon | 00:27 |
30 |
うさぎとかめ
童謡『うさぎとかめ』は、「金太郎」や「花咲爺(はなさかじじい)」等で知られる石原 和三郎(1865-1922)による作詞、「桃太郎」を手がけた納所弁次郎(1865-1936)作曲で、1901年(明治34年)に『幼年唱歌 二編上巻』上で発表された唱歌。 歌詞のストーリーは、イソップ童話『うさきとかめ(The Tortoise and the Hare/Le Lièvre et la Tortue)』に沿った内容となっている。 イソップ童話といえば、「北風と太陽」、「金のタマゴを産むめんどり」、「アリとキリギリス」、「金の斧・銀の斧」、「すっぱい葡萄」、「オオカミ少年(嘘をつく子供)」など、今日でも誰もが知っている有名な寓話が多い。 ヨーロッパで古い歴史を持つこれらのイソップ童話は、16世紀後半頃にポルトガルから日本に伝来し、江戸時代の初期以降には『伊曾保物語』として出版され、日本中に広まっていった。 |
日本群星 | 00:00 |
31 |
兎のダンス
『兎のダンス(うさぎのだんす)」は、『証城寺の狸囃子』、『シャボン玉』などで知られる野口雨情(作詞)と中山晋平(作曲)の名コンビにより1920年代に発表された童謡。 この曲のテーマである「うさぎ」は、「うさぎ うさぎ なに見て跳ねる」の歌い出しでお馴染みのわらべうた『うさぎ』や、「もしもし亀よ 亀さんよ」で始まる文部省唱歌『うさぎと亀』など、数多くの童謡や唱歌に登場する人気の動物である。 仏教の言い伝えによれば、倒れて弱った老人を見て火の中に飛び込み自分の肉を差し出した慈悲深い動物として、うさぎは献身の象徴とされている。 |
レインブック | 03:13 |
32 |
牛若丸
「京の五条の橋の上」が歌い出しの『牛若丸 うしわかまる』は、作詞者・作曲者ともに不明の日本の童謡・唱歌(文部省唱歌)。1911年発表。 歌詞の中では、源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が京都の五条大橋で出会ったシーンが描かれている(出会いの場所については諸説あり)。 なお、同タイトルの唱歌『牛若丸』が1901年に発表されているが、こちらは歌詞もメロディーも全く別の曲(作詞:石原和三郎、作曲:田村虎蔵)。 |
日本群星 | 01:19 |
33 |
おさるのかごや
『お猿のかごや』は、作詞:山上武夫、作曲:海沼 実による日本の童謡。 作詞者の山上氏が、ある日夕焼けを眺めながら、「故郷(長野市松代)の山道で出合った猿は今頃どうしているかな」と物思いにふける中、猿がかごを担ぐ歌詞が浮かんだという。 |
日本群星 | 00:00 |
34 |
おはなしゆびさん
『おはなしゆびさん』は、作詞:香山美子、作曲:湯山昭による日本の童謡。 歌詞では、手の指をパパ、ママ、兄さん、姉さん、赤ちゃんに擬人化し、それぞれ挨拶やお話をする様子が描かれている。 香山 美子(こうやま・よしこ/1928-)は、日本の児童文学・絵本作家、詩人。童謡 『げんこつやまのたぬきさん』、『おべんとうばこのうた』、『いとまきのうた』で知られる。 湯山 昭(ゆやま・あきら/1932-)は、神奈川県出身の作曲家。NHK合唱コンクール課題曲を何度か担当している。童謡の代表作は『あめふりくまのこ』。 |
日本群星 | 01:48 |
35 |
おもちゃのチャチャチャ
『おもちゃのチャチャチャ』は、作詞:野坂昭如、吉岡治、作曲:越部信義による日本の童謡。 1962年(昭和37年)にNHK幼児音楽番組「うたのえほん」で放送され、翌年の第5回日本レコード大賞で童謡賞を受賞した。 2007年には、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲など101曲を選定した「日本の歌百選」に選ばれている(文化庁・日本PTA全国協議会)。 なお、作曲者の越部信義(こしべ のぶよし/1933-)は、『勇気一つを友にして』、『はたらくくるま』、『みなしごハッチ』作曲などでも知られている。 |
日本ACG | 02:21 |
36 |
かあさんの歌
『かあさんの歌』は、窪田聡作詞・作曲による日本の童謡・歌曲。1958年(昭和33年)に発表された。 窪田聡は、1954年(昭和29年)に開成高校を卒業後、合格していた大学に進学せず、文学を志して家出。埼玉県でうたごえ運動の中心として活動していた。 歌詞の中には、家出当時に母から届いた小包の思い出や、戦時中に疎開していた長野県信州新町の情景が歌い込まれている。 うたごえ運動を通じて全国の歌声喫茶に広まったほか、劇団わらび座の舞台でも歌われた。さらに、ダークダックスやペギー葉山によって取り上げられ、NHKの『みんなのうた』でも放送されて、より広い層に知られるようになった。 |
DEEN | 04:07 |
37 |
かえるの合唱
「カエルの歌が聞こえてくるよ」の歌い出して知られる童謡『かえるの合唱』。 一般的に、作詞:岡本敏明、作曲:ドイツ民謡と表記されることが多い。 JASRACデータベースによれば、作品コード 019-0481-7 『かえるの合唱』については、訳詞:岡本敏明、作詞・作曲:権利消滅(パブリック・ドメイン)とある。 また、作品コード 088-7030-6『かえるの合唱』については、作詞:マツヤマ・ユウシ、作曲:ドイツ民謡と明記している。 どうやらメロディの方は外国民謡、特に何らかの「ドイツ民謡」が用いられているようだが、その原曲の詳細については明らかではない。 歌詞を翻訳した(訳詩した)とされる岡本 敏明(おかもと としあき/1907-1977)は、作詞者ではなく、昭和期に活躍した作曲家。 数多くの小中学校の校歌を手掛けたほか、NHK合唱団の指揮を務めた。童謡の代表曲としては、『どじょっこふなっこ』(1936年)が知られている。 |
ROCO | 02:37 |
38 |
案山子
『案山子(かかし)』は、明治44年(1911年)『尋常小学唱歌 第二学年用』に掲載された../nippon.htm。 田んぼや畑でカラスなどの害獣を追い払うための人形『案山子(かかし)』が曲のテーマとなっている。 |
日本群星 | 01:18 |
39 |
かたつむり
『かたつむり』は、1911年(明治44年)に「尋常小学唱歌」上に掲載された日本の童謡・唱歌。 陸に住む巻貝の一種である「かたつむり」は、古くは「蝸牛(かぎゅう)」とも表記され、「でんでんむし」の愛称でも親しまれている。 |
日本群星 | 00:46 |
40 |
からたちの花
『からたちの花』は、作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰による日本の唱歌。1925年発表。 歌詞は、山田耕筰の少年期の体験が元になっている。耕筰は幼い頃養子に出され、活版工場で勤労しながら夜学で学んでいた。 山田耕筰は自伝において、「工場でつらい目に遭うと、からたちの垣根まで逃げ出して泣いた」と述懐している。この思い出を北原白秋が詩にしたためた。 |
米良美一 | 02:52 |
41 |
かわいいかくれんぼ
『かわいいかくれんぼ』は、作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直による日本の童謡。1951年(昭和26年)発表。 サトウ・ハチロー(1903-1973)は、『リンゴの唄』作詞者として知られる詩人、作家。代表曲は、『ちいさい秋みつけた』、『うれしいひなまつり』などが有名。 中田 喜直(なかだ よしなお/1923-2000)は、日本の作曲家。代表曲は、『夏の思い出』、『雪の降るまちを』、『めだかの学校』など。 |
日本ACG | 01:27 |
42 |
かわいい魚屋さん
『かわいい魚屋さん(魚やさん、さかなやさん)』は、作詞:加藤省吾、作曲: 山口保治による日本の童謡・唱歌。1938年(昭和13年)レコード発売。 加藤省吾は静岡県富士市に住んでいた頃、漁師が田子浦海岸から魚を天秤棒で担いできた光景を目にしていた。後にその光景を思い出し、子供のままごとと結びつけて、歌詞を完成させたという。 なお、加藤省吾は『みかんの花咲く丘』作詞者としても知られている。 |
川田正子 | 00:00 |
43 |
汽車ポッポ
『汽車ポッポ』は、作詞:富原薫、作曲:草川信による日本の歌曲。 元のタイトルは『兵隊さんの汽車』。歌詞の内容も今日のものとは一部異なり、戦地に赴く兵士を歓送するものだった。 作詞者の富原は、静岡県御殿場市で小学校の教諭を務めていた。御殿場には陸軍の演習場があった上、御殿場駅のホームでは、出征する兵士を万歳三唱で送り出す光景が連日見られた。富原はそんな日常風景を素直に詞にしたという。 実際に1番の後半の歌詞は、「僕らも手に手に日の丸の 旗をふりふり送りましょう」、「万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳」と、汽車で出征する兵士を見送る様子が描写されている。 ちなみに、メロディーはシューベルト『軍隊行進曲』をモチーフにしているそうだ。 |
川田正子 | 00:00 |
44 |
靴が鳴る
『靴が鳴る(くつがなる)』は、作詞:清水かつら、作曲:弘田龍太郎による日本の童謡・唱歌。 幼児がみんなで手をつなぎながら道を歩き、靴音を鳴らす情景を、小鳥やウサギになるという擬態化表現が用いられている。 1919年(大正8年)に刊行された雑誌『少女号』11月号が初出。2007年(平成19年)に「日本の歌百選」に選ばれた。 |
日本群星 | 00:00 |
45 |
こいのぼり
『こいのぼり』は、端午の節句に飾られる鯉のぼりのテーマとした日本の童謡・唱歌。 いくつかの歌詞とメロディーが存在するが、「屋根より高い鯉のぼり」、または「甍(いらか)の波と雲の波」を歌い出しとする2曲が有名。 なお、五月の歌としては、『背くらべ(せいくらべ)』、『茶摘(ちゃつみ)』なども広く知られている。 |
林原めぐみ | 01:54 |
46 |
黄金虫
『黄金虫(こがねむし)』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲による日本の童謡・唱歌。 |
森の木児童合唱団 | 00:00 |
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故郷の廃家
『故郷の廃家(こきょうのはいか)』は、作詞: 犬童球渓(いんどう・きゅうけい/1884 - 1943)による1907年発表の日本の唱歌。 原曲は、アメリカ・ケンタッキー州出身の音楽家ウィリアム・ヘイス W.S.Hays作曲による『My Dear Old Sunny Home』(1871年)。 犬童球渓は、同じくヘイス作曲『Mollie Darling (Molly Darling)』にも日本語の歌詞をつけ、『冬の星座』として発表している。 なお、ヘイスの活動時期は、『大きな古時計』作曲者のH.C.ワークや、『故郷の人々(スワニー河)』作曲者のS.C.フォスターとほぼ同時期。 |
レインブック | 03:40 |
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こきりこ節
『こきりこ節』は、富山県・五箇山(ごかやま)、上梨(かみなし)地方に伝わる古い日本の民謡。 田植えや稲刈りの間に行われた日本の伝統芸能・田楽(でんがく)、田踊りとして発展した。 こきりこ祭りでは、「しで踊り」と呼ばれる女性による奉納舞や、烏帽子に狩衣姿の男性が「ささら」を持って舞う「ささら踊り」などが唄に添えられる。 |
レインブック | 03:31 |
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ことりのうた
『ことりのうた(小鳥の歌)』は、作詞:与田準一、作曲:芥川也寸志による日本の童謡。1954年発表。 与田 凖一(よだ・じゅんいち/1905-1997)は、福岡県出身の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。 芥川 也寸志(あくたがわ・やすし/1925-1989)は、東京都北区出身の作曲家、指揮者。管弦楽作品から映画・CM音楽・校歌まで、その作品は幅広く数多い。 映画音楽の代表作には、「八甲田山」、「八つ墓村(野村芳太郎監督)」、「赤穂浪士のテーマ」などがある。 |
日本群星 | 01:03 |
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この道
『この道』は、作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰による日本の唱歌・歌曲。 歌詞には、北原白秋が晩年に旅行した北海道と、母の実家である福岡県南関町から柳川までの道の情景が歌い込まれている。 白秋は、1885年(明治18年)1月25日、福岡県南関町の母の実家で生まれ、まもなく柳川の家に戻った。 この母の実家から柳川までの道は白秋にとって格別な思い入れがあり、帰省のたびに欠かすことなく訪ねるのがこの上ない楽しみだったそうだ。 |
レインブック | 03:31 |