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风格
#日本 | 岛呗
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

中 文 名 元千岁

日 文 名 元ちとせ(はじめ ちとせChitose Hajime)

出生日期 1979年月5日

出 生 地 日本鹿儿岛县奄美大岛

代表作品 《街道》、《月を盗む》、《南国之风》等

艺人简介

1993年,一个出生在大岛郡瀬戸内町的14岁少女,怀抱着自己的三味线用她那神奇的声音,超越年龄的演唱实力获得了奄美岛呗大赛的优秀奖。1996年,在花季般的17岁,她荣获了奄美岛呗大赛的最高奖。她就是现在有着"岛国歌姬"之称的元千岁。

元千岁自幼与母亲学习三味线,从小自己就学唱岛歌,高中三年级时便获得“奄美民谣大赏”中的“民谣大赏”,成为史上最年少的得奖者,年纪小小就具有媲美国内外歌者唱功的超实力水准。最新单曲《街道》,是元千岁将她对于离开奄美大岛家乡来到东京后,对于都会生活的不安与希望的亲身体验,化为歌曲演唱出来;同时也是日本NHK晨间强档连续剧《满天》主题曲。她的首张专辑《南国之风》不仅在日本拿下ORICON 双周冠军,在台湾也有相当优异的成绩,连天王周杰伦都不止一次公开大力称赞,他最欣赏的就是元千岁!

元千岁的演唱风格厚重,感情充沛,技巧华丽,既有笠利节唱法的深沉,庄重,又有东节唱法的华丽技巧。她的一位同学说:"元千岁~你的演唱实在太恐怖了,听你唱《糸缲り》竟然会落泪"。精妙的地方就在于此!元千岁受东节演唱大师武下和平的影响甚多,按理说她是典型的东节唱法。既然是东节唱法,她就一定是欢快的,喜庆的。而能让人落泪的东节唱法,这不仅仅是技巧的问题。这也主要归功于她天生的嗓音,以及会传统岛呗的理解。

元千岁自幼即与母亲学习三味线,从小自己就学唱岛歌,高中三年级时便获得“奄美民谣大赏”中的“民谣大赏”,成为史上最年少的得奖者,年纪小小就具有媲美国内外歌者唱功的超实力水准。

100年才有1次的好歌声!元千岁的岛国之歌唱出日本人的灵魂!首张专辑“南国”发行连续攻占二周ORICON榜冠军!这位来自乡下的纯朴少女,完美结合传统与流行,创下日本乐坛令人惊叹的亮眼成绩!出道单曲“海神之树”默默冲上冠军,长据ORICON单曲榜23周!

推出首张专辑《南国之风》便荣获2002年日本金唱片最佳专辑大赏,创下百万销售佳绩缔造乐坛奇迹的Chitose Hajime(元千岁),在发行三张畅销单曲《街道》《日日夜夜》《幻化微风》后,推出最新专辑《漂流千岁》,以世间旅人,漂流宇宙穹苍的意境,以全新融合天地元素的曲风及新中国风的造型再次引领风骚。Chitose Hajime(元千岁)这次特别请来叱咤日本乐坛30年的重量级天后-松任谷由实量身订作《乌尔格草原之丘》一曲,象征蒙古草原上的游牧民族尽情狂野奔驰的民族风情,与Chitose Hajime(元千岁)心中所描绘的世界不谋而合,爆出这张专辑的美丽火花!另外歌坛才子山崎将义更为元千岁写了《南极光的俯瞰》一曲,他们的首度合唱更是精彩无比!专辑封面身披有如青康藏高原游牧民族服装的Chitose Hajime(元千岁),幻化成大之女,以新中国风情第一歌姬的姿态,在全新专辑《漂流千岁》里用歌声展开她的漂流旅程。以第一首歌《三角星》开启旅程前夜的寂寥,直到最后相遇于辽阔的《乌尔格草原之丘》做为终点,天上月亮星辰,地上芳草露水,全都化为Chitose Hajime(元千岁)每一步流浪旅程的脚注。在《漂流千岁》里,Chitose Hajime(元千岁)唱出了有如游牧民族的浪流者心声,生命正如同一场旅程,直到宇宙尽头的祈愿,因为结束才得以重生… ChitoseHajime(元千岁)的歌声完全展现她来自大自然强韧的生命力,以及融和着天地韵律吸呼的大地色彩,创造出无穷止尽的听觉视野!这就是Chitose Hajime(元千岁)用歌声和音乐所描绘的漂流旅程! 从去年的岛国风味,到今年的大地中国风情,永远开创崭新视野的Chitose Hajime(元千岁),再次以她的歌声带领我们进入全新的辽阔世界。你我同样来自苍天,终将一起归于大地,在这漂缈宽广的世间,我们正在一同漂流着……请轻轻拨去肩上的尘埃,找到为你指路那颗最亮的星星,伴随着Chitose Hajime(元千岁)的歌声,大地之旅,已经启程。

プロファイル

名    前 元ちとせ(はじめ ちとせChitose Hajime)

誕 生 日 1979年月5日

出 身 地 日本鹿儿岛县奄美大岛

アーテイスト紹介

元ちとせ(はじめ ちとせ、1979年1月5日 - )は、日本の歌手、奄美民謡歌手。旧姓の本名同じ。

鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)嘉徳出身。アリオラジャパン・オフィスオーガスタ所属。

来歴

奄美大島の30世帯くらいが寄り集まっている集落で育つ。幼少より三線と島唄を習う。

鹿児島県立古仁屋高等学校2年在学中に、元が唄う島唄「朝花節」が松竹映画『男はつらいよ 寅次郎紅の花』で使われる。高校3年の時、奄美民謡大賞を受賞。高校卒業後、美容師を目指して三重県に移住。その後大阪で美容師となるがアレルギーのため断念。

1998年10月、歌手デビューを目指し上京。HMV数寄屋橋店でアルバイトをしながら、自分の音楽を模索する日々を送る。2001年3月、The Sugarcubes、山崎まさよしらの曲をカバーしたミニアルバム『Hajime Chitose』でインディーズデビュー。7月にはオリジナル曲を収録したミニアルバム『コトノハ』をオーガスタレコードより発売。

2002年、エピックレコードジャパンより発売したメジャーデビューシングル「ワダツミの木」が発売2ヶ月後にシングルチャートで1位となる。サウンドスキャンジャパンの2002年度年間シングルチャートでも1位を記録(オリコン・プラネットでは年間3位)。2002年度の新人歌手では最大のヒット曲となった。同年7月、ファーストアルバム『ハイヌミカゼ』を発売。2週連続でチャート1位を記録。『第44回日本レコード大賞』ベストアルバム賞受賞。また同年、ディープ・フォレストのアルバム『Music Detected』に参加。2002年10月 2003年3月まで放送されたNHK連続テレビ小説『まんてん』の主題歌「この街」を担当。

NHKより早くから『第53回NHK紅白歌合戦』の出演打診を受けており、一部メディアに「出場確実」と報じられていた。しかし、事務所側より「その時期は、本人がレコーディングのためパリに行くため、そこから中継にしてほしい」と要望。ところが、番組側から「本人と関連のある場所(出身地や楽曲に関係する場所)でなければ、中継はできない」とその要望を断ったため、最終的に元は出場を辞退した。

2003年6月に「千の夜と千の昼」、8月に「いつか風になる日」の2枚のシングルを発表。9月に発売のセカンドアルバム『ノマド・ソウル』はアルバム・チャートで初登場1位(2003/9/15付)を記録。ファーストに続いてアルバム2作連続初登場1位となった。同月、初の全国ツアー「元ちとせ コンサートツアー2003 "はじめまして"」を行う。

2005年6月、プレイステーション2向けに発売された『GENJI』の主題歌「月を盗む」を担当。同年8月5日、出産後初めてテレビに登場し、TBS『筑紫哲也 NEWS23』に坂本龍一と共に生出演、広島市の原爆ドーム前で反戦歌「死んだ女の子」を演奏した。同年11月23日、新曲「語り継ぐこと」を発売し、歌手活動を再開。

2006年6月、パイオニアのCMに出演。2007年にはデビュー5周年を迎え、アイルランドの国民的バンド、チーフタンズとのコラボレーションが実現。6月には彼らの全国ツアーに参加し、大きな話題となる。同年8月、フジテレビ系アニメ『ミヨリの森』で、一本桜の精として声優に初挑戦した。

2008年11月、福耳のメンバーである山崎まさよし、杏子とともに、ハウス食品ウコンの力CMに出演した。

2011年に中孝介との二人ユニット「お中元」を発足。3月9日に同ユニットにて、九州新幹線 (鹿児島ルート)全線開業のイメージソング「春の行人」をエピック・レーベルより発表。作曲は大橋卓弥、作詞は岡本定義。同年、所属レーベルをオフィスオーガスタのレーベルがあるアリオラジャパンに変更。

私生活では、2004年1月に飲食店経営の男性と結婚。その際妊娠していたが流産した。しかし2005年1月、待望の第一子となる女児を出産。更に2009年7月、第二子の妊娠を公表。同年12月12日に第二子となる男児を出産した。現在[いつから?]は子育てもあって瀬戸内町の実家に戻っているが、仕事があるたびに上京している。


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