小档案
中 文 名: 槇原敬之
外 文 名: まきはらのりゆき
别 名: Mackey
国 籍: 日本
民 族: 大和
出 生 地: 大阪府高槻市
出生日期: 1969年5月18日
职 业: 歌手,作曲家,作词家,编曲家
代表作品: NG
血 型: O
星 座: 金牛座
身 高: 176.2cm
罗 马 音: Makihara Noriyuki
简介
槇原敬之,日本知名流行创作歌手,作词家,作曲家,编曲家和制作人。他的创作方式多为先作词,再作曲。而他的作词题材,多是日常生活中发生的事,现实感较强,对于“爱”,“希望”这样的概念却很少直接的表现,他本人也曾说过自己的音乐是“生活的音乐”。
演艺经历
1990年10月25日,槇原敬之同时发行第一张单曲《NG》和第一张专辑《君が笑うとき君の胸が痛まないように》后宣布出道。1991年4月25日他发行第二张单曲《ANSWER》,同年6月10日发行第三张单曲《どんなときも》,这首歌曲是槇原敬之的成名之作,该曲拥有167万销售记录,创造了他个人首张百万单曲。之后他推出的第四张单曲《冬がはじまるよ》和92年发行的第五张单曲《もう恋なんてしない》都缔造了很高的销售记录,1992年6月25日槇原敬之发行第三张专辑《君は仆の宝物》销量再次创造百万记录,让他成为歌坛广受欢迎的创作男歌手。出道后的第二年(1992年)就出席了红白歌会,演唱《どんなときも》。到了97年转签SONY公司的时候,他的人生发生了巨大变化。首先他的低沉嗓音不见了,声音变细变尖了,其次他的风格也开始改变,歌曲的情感变得细腻感人了。
1999年8月26日,警方在槇原敬之的家中搜出迷幻药与兴奋剂等非法药物而将其逮捕,于同年12月被判处一年六个月的有期徒刑,缓刑三年。在槙原被捕之后,当时他所属的唱片公司新力博德曼Sony Music以及1997年之前所属的日本华纳音乐(Warner Music Japan)将其以往所推出的作品全面下架,槇原多年来的才子形象和努力成果化为乌有。同时槇原敬之的同性恋身份曝光,引发日本各界人士热烈讨论。
15个月之后,槇原敬之出道时的东家日本华纳音乐(Warner Music Japan)因其创造才华重新招揽他回来,2000年11月29日低调地发行了他歌唱生涯中第十张的个人专辑《太阳》,这张专辑蕴含了他的忏悔,重新理解人生的感悟。
2001年4月25日槇原敬之发行个人第23张单曲《桃》,宣布重回乐坛,但在往后两年之间,仍不见其之前的辉煌成绩。在事业遭遇重大挫折,无法继续唱歌的时候,他开始思考自己的人生,在歌手美轮明宏的书《紫の履歴书》中受到冲击,使其之后的创作开始受到影响。《世界に一つだけの花》就是在这个时候创作出来的。
2003年时,槇原敬之为日本杰尼斯偶像团体SMAP创作歌曲《世界中唯一仅有的花》,歌词激励人心而受到欢迎,在短期之间销售量突破250万张,成为年度销售冠军。在这一年,槙原敬之同时将自己和SMAP推上了歌唱事业的高峰。
同年5月,从不为任何歌手跨台演出音乐录像带的戏剧天后松岛菜菜子,因喜爱槇原敬之轻柔舒适的歌声而破例为他的单曲《在呼唤你的名字之后》演出音乐录像带,该曲也成为松嶋菜菜子主演的广告主题曲。
2004年,槇原敬之和日本乐坛众多歌手包括Mr.Children、宇多田光等人合作制作了尾崎丰的致敬专辑《A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI》。这张由尾崎丰作词作曲的致敬专辑取得了Oricon冠军 。
2006年2月,在槇原敬之发表专辑《LIFE IN DOWNTOWN》之后,个人专辑总销售量在3月超过了1089万6千张,超越了日本男歌手专辑总销售量的原纪录保持者井上阳水,成为新的男歌手专辑总销售量最高者。
近年作品
2010年06月 不安の中に手を突っ込んで
2010年01月 Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LOVE
2011年03月 林檎の花
2011年05月 Remember My Name
2011年05月 LIVE ALBUM SYMPHONY ORCHESTRA“cELEBRATION 2010”~Sing Out Gleefully!~
2011年06月 GIFT スペシャル.シングル.コレクション
2011年07月 Heart to Heart
2012年04月 恋する心達のために
2012年12月 Dawn Over the Clover Field
2012年10月 四つ葉のクローバー
2012年11月 秋うた、冬うた。~もう恋なんてしない
2013年03月 春うた、夏うた。~どんなときも。
2014年01月 Listen To The Music 3
2014年02月 Life Goes On~like nonstop music~
2014年11月 Fall
2015年02月 LOVABLE PEOPLE
2015年05月 超えろ。
2015年10月
No.1
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槇原 敬之(まきはら のりゆき、1969年5月18日[2] - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家。現在の所属レコード会社(レコードレーベル)はBuppuレーベル。公式ファンクラブは「Smile Dog」である。身長176cm。独身。
オリジナル曲に関しては、ほぼ全曲の作詞、作曲、編曲を自身がこなす。楽曲制作については、「詞先」と呼ばれる、詞を先に作る方法を多用する。
作詞の題材は、主に日常の生活に起こる出来事や恋愛模様であり、観念的表現が直接的に用いられることは少ない。本人が言うところの「ライフソング」を多く発表している。
人物
青山学院大学文学部第二部英米文学科中退。大の愛犬家で、2014年1月現在はフレンチ・ブルドッグを5匹、パグを1匹飼っている大阪出身ながら広島カープファン。
来歴
1985年
高校在学中の16歳時、坂本龍一が当時担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーに、アーティスト名「C・M・C」(コンプレッサーズ・ミュージック・クラブ)として「HALF」という楽曲を応募する。楽曲を聴いた坂本から「良いバランスで仕上がっている。言う事なし」と絶賛を得て、番組では異例のフルコーラスが放送された。同曲は、その後、同企画での優秀作品をまとめたコンピレーション・アルバム『Demo Tape-1』(MIDI)に収録された。
同曲を制作したアーティスト「C・M・C」は実質槇原の1人ユニットであり、『Demo Tape-1』のライナーノーツにも、「作詞・作曲・歌・演奏-槇原敬之」とクレジットされている。
同曲のレコーディングとミキシングエンジニアを担当していた沢田知久は、中学校当時から槇原の親友であり、槇原のメジャーデビュー後にも彼の楽曲制作にエンジニアとして参加している。
1990年
3月 - 「AXIA MUSIC AUDITION '89」で、グランプリを獲得。デモテープを聴いた一般の音楽ファンからの投票で選ばれる「一万人審査員賞」とのダブル受賞であった。応募曲は後にデビューシングルとなる「NG」で、サポートギタリストは従兄の寺西一雄(ローリー)。
10月25日 - シングル「NG」とアルバム『君が笑うとき君の胸が痛まないように』でWEAミュージック(後にワーナーミュージック・ジャパンに併合)よりデビュー。
1991年
4月25日 - 2枚目シングル「ANSWER/北風」をリリース。
6月10日 - 3枚目シングル「どんなときも。」をリリース。同曲は、映画『就職戦線異状なし』主題歌、ケンタッキーフライドチキンのCFソングに選ばれるなど話題となり、シングル、アルバム通じて自身初のミリオンセラーとなった。これらの活躍により、同年の第42回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。また、同曲は翌1992年の春の選抜高校野球入場行進曲にも選ばれた。
9月 - 初のCONCERT TOUR「〜僕はここにいます。〜」を大阪・名古屋・東京の3か所で開催。
9月25日 - 2ndアルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか。』をリリース。
11月10日 - 4枚目シングル「冬がはじまるよ」をリリース。
12月31日 - 「日本レコード大賞」「紅白歌合戦」に出場。
1992年
5月25日 - 5枚目シングル「もう恋なんてしない」をリリース。ドラマ主題歌となり、ミリオンを達成。
6月25日 - 3rdアルバム『君は僕の宝物』をリリース。槇原の代表曲となる「遠く遠く」等を収録しており、アルバムで初のミリオンを達成。
1993年
9月1日 - 8thシングル「No.1」をリリース。KDD「ゼロゼロイチバン」のCMソングとなり、オリコン1位達成。60万枚を売り上げる。
10月31日 - 4thアルバム、『SELF PORTRAIT』をリリース。初登場1位を記録。ミリオン達成。
1994年
8月25日 - 12thシングルTBS系ドラマ「男嫌い」主題歌「SPY」をリリース。オリコン1位を記録し、80万枚を売り上げる。
10月25日 - 5thアルバム、『PHARMACY』をリリース。ミリオンには届かなかったものの、初登場1位を記録。
11月25日 - 翌年4月まで続く自身最大規模のコンサートツアー「WELCOME TO MY PHARMACY」開催。全国30カ所56公演で、約15万人を動員。
1995年
上記のコンサートツアー終了後、喉にポリープが発覚し、入院。
1996年
所属レコードレーベルのワーナー内にプライベートレーベル「River Way」を立ち上げる。
7月25日 - 同プライベートレーベルより全曲ネイティブ・スピーカーによる英語詞のアルバム『ver.1.0E LOVE LETTER FROM THE DIGITAL COWBOY』発売。同アルバム発売直前に発売されたシングル「COWBOY」のPVはイギリスのデザイン集団Me Companyが制作、CGを駆使したアニメーション作品が話題を呼ぶ。
10月25日 - 約2年ぶりの日本語詞アルバム『UNDERWEAR』をリリース。
11月18日 - 16枚目シングル「まだ生きてるよ」をリリース。
1997年
ソニー・ミュージックエンタテインメントに移籍。
5月10日 - 初のベストアルバム『“SMILING” ~THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA~』発売。オリコン1位を記録し、190万枚のセールスを記録。
11月27日 - 8thアルバム『Such a Lovely Place』をリリース。
12月 - 『SMILING” ~THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA~』が、日本ゴールドディスク大賞の“ポップス部門”を受賞。
1997年
3月 - 『SMILING” ~THE BEST OF NORIYUKI MAKIHARA~』が、98年ゴールドディスク大賞ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
4月15日 - 初のアリーナツアー「GEORGIA PRESENTS 槇原敬之 CONCERT TOUR '98“It's a LOVELY PLACE !”~春だ!桜だ!マキハラ君祭り!!~」開催。 4月30日まで全国5カ所、7公演を行う。
1999年
7月7日 - 9thアルバム『Cicada』をリリース。
8月26日 - 覚せい剤所持が発覚。情報を得て内偵中だった警視庁本富士警察署の捜索を受けた際、自宅から発見され、覚せい剤取締法違反(所持)現行犯で10年来の友人の奥村秀一(現ワーズアンドミュージック代表取締役社長)と共に逮捕された。本人がファンや関係者に向けて「多くの方達に取り返しのつかないご迷惑をかけてしまい、お詫びする気持ちをどう表現して良いかわかりません。潔く罪を認め、いかなる処分も受けなければならないと思っております」とコメントし、謝罪した。同年9月3日にはMDMA所持が発覚した。これらの薬物は槇原・奥村の共通の知人から入手したものだった。逮捕のため9月から予定されていたコンサートツアーの中止やCDが発売元のレコード会社によって店頭から回収される動きがあり、このときファンが買いに走ったために、過去の作品の売上が伸びるという現象が起こった。また、この逮捕により一時期は7億円もの借金を抱えた。
9月9日 - 300万円の保釈金によって保釈された。
12月8日 - 懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。同日に本人は「寛大な判決が下りました今も、法を犯すことの重大さを痛感いたしております。今後は、絶対にこの様な事を起こさないことを、堅くお約束いたします」とコメントし、それ以降スタッフなどと今後についての協議を行った。
2000年
以前所属していたワーナーミュージック・ジャパンに復帰移籍する。
11月 - 10thアルバム『太陽』で活動再開。
2001年
11月21日 - 11thアルバム『Home Sweet Home』をリリース。
2002年
11月7日 - 12thアルバム『本日ハ晴天ナリ』をリリース。
2003年
自身が作詞・作曲し、SMAPに提供した「世界に一つだけの花」がダブルミリオンを記録。
2004年
レコード会社をEMIミュージック・ジャパンに移籍。
同年、前年のヒットを受け、「世界に一つだけの花」が春の選抜高校野球入場行進曲に選ばれる。
6月29日・7月1日・2日 - 大阪城ホールと日本武道館でオーケストラを交えたライブ「MAKIHARA NORIYUKI SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT "cELEBRATION"」開催。
8月 - 13枚目のオリジナルアルバム『EXPLORER』とベスト・アルバム『Completely Recorded』が発売され、両方とも50万枚を突破。『EXPLORER』は初登場1位を記録。『Completely Recorded』は初登場2位だったが、売り上げは『EXPLORER』よりも伸ばした。
9月 - アルバム総売上枚数が1,000万枚を突破。男性ソロ歌手としては井上陽水、長渕剛に次いで3人目であり、初チャートインから13年2ヶ月での達成は史上最速記録となった。
2006年
3月 - 同年2月22日に発売した14thアルバム『LIFE IN DOWNTOWN』の売り上げで、アルバム総売上枚数が井上陽水を抜き、男性ソロ歴代1位となる。
2007年
レコード会社をエイベックス(レーベルはJ-more)に移籍。
11月7日 - 15thアルバム『悲しみなんて何の役にも立たないと思っていた。』をリリース。
12月31日 - 8月にリリースした36枚目のシングル「GREEN DAYS」」で16年ぶりに第58回NHK紅白歌合戦に出場。
2008年
11月19日 - 16thアルバム『Personal Soundtracks』をリリース。
2010年
1月1日 - 20周年記念ベスト・アルバム『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LOVE』と『Noriyuki Makihara 20th Anniversary Best LIFE』の2枚を同時リリース。
6月30日 - 17thアルバム『不安の中に手を突っ込んで』をリリース。
7月21日 - SMAPのオリジナルアルバム『We are SMAP!』に「Love & Peace Inside?」を提供。
10月 - デビュー20周年記念ライブとなる「NORIYUKI MAKIHARA SYMPHONY ORCHESTRA CONCERT "cELEBRATION 2010"〜Sing Out Gleefully!〜Supported by BEAMS」を大阪城ホールと日本武道館にて開催。
11月29日 - 独自レーベルであるBuppuレーベルを立ち上げ、J-moreからBuppuレーベルへ移籍。インディーズでの楽曲リリースとなる。
2011年
3月11日 - Buppuレーベル第一弾シングル「林檎の花」をリリース。
7月27日 - Buppuレーベル第一弾アルバム『Heart to Heart』をリリース。
9月24日 - 2012年1月まで行われるコンサートツアー「Makihara Noriyuki Concert Tour 2011-12“Heart to Heart”」が千葉県の市原市市民会館よりスタート。
2012年
2月3日 - 毎週金曜更新のインターネットラジオ「槇原敬之の神宮前ヴェランダスタジオ」放送開始。
4月25日 - シングル「恋する心達のために」とライブDVD『Makihara Noriyuki Concert Tour 2011-12 "Heart to Heart"』を同時リリース。
9月7日 - リクルート「タウンワーク」のCMに出演。新曲「バイトが君を待っている」を書き下ろす。
9月19日 - ワーナー初期のアルバムを集めた7枚組BOX「EARLY 7 ALBUMS」発売。
10月24日 - シングル「四つ葉のクローバー」をリリース。
11月14日 - コンピレーションアルバム『秋うた、冬うた。〜もう恋なんてしない』発売。同時に、ワーナー時代の全オリジナルアルバムがリマスターされ再発。
12月19日 - Buppuレーベル第2弾アルバム『Dawn Over the Clover Field』をリリース。
2013年
2月23日 - 6月2日の大阪フェスティバルホールまで全51公演行うコンサートツアー「Makihara Noriyuki Concert Tour 2013"Dawn Over the Clover Field"」が埼玉県のさいたま市文化センターからスタート。
3月20日 - コンピレーションアルバム『春うた、夏うた。〜どんなときも。』発売。
10月16日 - ライブDVD『Makihara Noriyuki Concert Tour 2013 "Dawn Over the Clover Field"』をリリース。
11月23日 - 関西テレビ放送開局55周年記念「Livejack Special Ⅲ Stories -Songs make you smile-」に出演。
2014年
1月22日 - カバーアルバム『Listen To The Music 3』をリリース。
2月26日 - シングル「Life Goes On〜like nonstop music〜」をリリース。
3月2日 - コンサートツアー「Listen To The Music The Live ~うたのお☆も☆て☆な☆し」が栃木県総合文化センターからスタート。
11月19日 - シングル「Fall」をリリース。
2015年
2月11日 - 20枚目となるアルバム、『Lovable People』をリリース。