小档案
中 文 名 柿原彻也
日 文 名 柿原徹也(かきはら てつや Kakihara Tetsuya)
出生日期 1982年12月24日
出 生 地 德国杜塞尔多夫
血 型 AB型
身 高 170cm
职 业 歌手、声优
毕业学院 学习院大学、Amusement Media综合学院
经纪公司 Kiramune
事 务 所 Zynchro
代表作品 《妖精的尾巴》纳兹·多拉格尼尔、《天元突破红莲螺岩》西蒙
艺人简介
柿子是出生在德国杜塞尔多夫的一位日裔侨胞。从懂事时就一直住在德国,幼稚园的几年到小学一年级时虽然有待在日本,除此之外到18岁为止都住在德国。双亲皆为日本人,国籍亦为日本,然而户籍地不明。是基督教徒,拥有中间名。虽然出生在欧洲最大的日本居住地,但是“日裔侨胞”的身份绝对无法等同于“日本人”,也正是这样的身份,给柿子的声优之路平添了不少麻烦。
远隔千山万水,在异国他乡生活了十多年的柿原彻也,在得知自己的祖籍日本有一种叫“声优”的职业,可以为自己喜欢的动画,游戏配音的时候,十分兴奋,几乎是想都没想就在高中毕业后一个人拎着行李直奔东京的各大声优养成学院。真的是“想都没想”啊……要是当时有一点点的理智分析就不会为很有可能遇到的种种问题所困扰而那么冲动行事吧。事实上,贸然行事的下场也十分现实的打击了柿子——没有任何一所声优养成学院向这个远渡重洋、不知哪里飘来的日裔撇开大门。现实有时候就是这么无情,经历过这样的打击,不得不承认,对柿子的成长也着实是有好处。
后来好不容易进入了声优学校,一边在声优学校里掌握日语,一边在定时制高中(非全日制高中)学习,归国第二年升入大学,持续着学习与工作兼顾的状态直到毕业。过去为能说日语、德语、英语、拉丁语、西班牙语五国语言的多语,但那之后能说的只剩下日语、德语和英语三种。高中毕业后从德国回到日本,因为长年住在海外能说的日语只有七成左右。为了能准确地使用日语,也为了成为声优而进入了AMUSEMENT MEDIA 综合学院(津久井教生谈)。AMUSEMENT MEDIA 综合学院毕业。和门胁舞以为专门学校时的同级生,同事务所的羽多野涉的后辈。
演艺经历
2003年出道。
2007年获得第一回声优奖新人男声优奖。主要扮演少年、青年角色。常演出热血或英雄等情绪化的角色,也能够摇身一变演出冷静、认真的智慧型角色。因为是多语者,常演出外国人或口译员之类的角色。也因活用了此才能,在‘魔法少女奈叶A's’中演出的四个角色有两个是用德语应对的防御装置的声音。并且,在续篇‘StrikerS’里1个人担当了5个角色。
2010年加入kiramune,作为歌手这个新身份出道。
2013年7月1日正式离开81成为自由身声优。
2014年7月1日,跟共事的staff们建立和运营新公司,公司名字叫「株式会社Zynchro」(ジンクロ)。
プロファイル
名 前 柿原徹也(かきはら てつや Kakihara Tetsuya)
誕 生 日 1982年12月24日
出 身 地 西ドイツ、デュッセルドルフ
血 液 型 AB型
身 長 170cm
職 業 歌手、声优
卒業学園 学习院大学、Amusement Media综合学院
レーベル Kiramune
事 務 所 Zynchro
アーテイスト紹介
柿原徹也(かきはら てつや、1982年12月24日 - )は、日本の男性声優、ナレーター、歌手。
2013年7月1日までは81プロデュース所属、2014年7月1日よりZynchro所属。
主に少年や青年役を演じることが多く、熱血ヒーロー役などを得意としている。語学が堪能なため、日本語以外を喋る役柄を任されることがある。特に『魔法少女リリカルなのはA's』では、演じた4役のうち2役がドイツ語で受け答えするアームドデバイスの声であった。近年はコミカルなギャグキャラ・冷酷な悪役・主人公のライバルなど、幅広い脇役も多く演じるようになる。
同大学出身の井上麻里奈は一学年下である。アミューズメントメディア総合学院の同期には門脇舞以、前野智昭、ひとつ上の先輩に同じ事務所に所属していた羽多野渉がいる。
ドイツに住んでいた頃は、皆「てつや」が発音出来なかった為「テトゥーヤ」などと呼ばれていた 。
ドイツにいた頃も、両親の実家が日本にあるため、たびたび日本に帰国している。その時に日本で漫画を300冊ほど買い集め、船便でドイツにまとめて送っていた。妹の影響で少女漫画も愛読していたなど、子供の頃から日本のアニメや漫画に親しんでいた。それらの漫画はドイツの実家に全て置いてきたとのこと。漫画では『ジョジョの奇妙な冒険』が好きで、自身のブログでたびたび台詞などを使用する。
世界規模の大会で応援する国はサッカーならドイツ、野球なら日本と競技によって分けている。阪神タイガースのファンで同球団に所属していた赤星憲広選手の大ファン。音楽は両親の影響もあり、CHAGE and ASKAの大ファン。
趣味及び特技はバイク、手品、社交ダンス、スノーボードなど。また血液型を覚えるのが得意で、声優業界の人の血液型をほぼ記憶する趣味を持つ。自分の環境を変えるために免許を取り、休日は友人とクルマやバイクでツーリングしてリフレッシュしている。
芸能経歴
アミューズメントメディア総合学院声優タレント学科、学習院大学卒業。
デビュー年である2002年から2013年7月1日まで81プロデュースに在籍した後、退所後は一年程フリーで活動。フリー転向から1年ほどたった2014年7月に、個人事務所・株式会社Zynchro(ジンクロ)を設立した(現在は同事務所の取締役兼所属)。
ドイツのデュッセルドルフにて日本人の両親の下、2人兄妹の長男として生まれる。幼稚園の何年かと、小学1年生頃に日本にいたが、それ以外は18歳までドイツに住んでいた。ドイツに住んでいる際、高校の社会実習で幼稚園の先生を1年間していたが子供たちが言う事を聞いてくれずアニメキャラクターの声真似をしたところ言う事を聞いてくれるようになり、「日本が世界に誇れるアニメ文化に関わる仕事がしたい!」と一念発揮して声優を志し来日、定時制高校を卒業後、学習院大学へ進学する。学生生活と両立させながらアミューズメントメディア総合学院に通い、2003年頃より声優としての活動を開始した。
2007年、第1回声優アワードで新人男優賞を受賞。
2010年、ランティスのKiramuneレーベルで歌手としてデビューした。KiramuneレーベルからCDデビューを誘われた時は、役者として業界に入ったため声優以外にも舞台や映像といった体を使って演じることは視野に入れていたが、「歌の表現方法は一切考えてなかった」として面食らったという。返事を保留して数週間悩み、所属事務所のスタッフに相談したり、レーベルのスタッフと直接会って協議した結果、「おもしろいものを作れるはず」と思えるようになり歌手デビューに至った。
2013年7月1日、デビューから長年所属していた81プロデュースから退所し、フリーとなった。
2014年7月1日、フリーになってから1年の節目に個人事務所「株式会社Zynchro(ジンクロ)」を設立、同年7月30日にミニアルバム「ダンディギ・ダン」を発売した。