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风格
#朋克
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

仲野茂(なかの しげる)-ボーカル

元仲野茂BAND、現SDR(セドロ)、ゲタカルビ。

通称シゲル。

逸見泰成(へんみ やすなり)-ギター

現Graffiti Bus。

通称マリ(由来は辺見マリから来ている)。

JILL(PERSONZ)の元夫。離婚後、新宿ロフトのパーティで遭遇した際に彼女の態度に腹を立て、怪我を負わせた為に逮捕された。

藤沼伸一(ふじぬま しんいち)-ギター

現REGINA、Aggressive Dogs。泉谷しげるのサポートギタリストとしても活躍中。

通称シンイチ。

寺岡信芳(てらおか のぶよし)-ベース

現Groovi'n。リクオのサポートベーシストとしても活動中。

通称テラオカ。

小林高夫(こばやし たかお)-ドラムス

現ゲタカルビ。ロリータ18号のマサヨ率いるナンシースパゲティーでも活動中。

通称コバン。

小简介

1978年成军的"アナーキー"(无政府状态),是80年代前半期日本最有影响力的朋克团体之一。

アナーキー(ANARCHY)一词,来自于SEX PISTOLS的歌曲"Anarchy in the UK"。

1979年,乐队在YAMAHA主办的音乐选秀节目中一举获得最佳乐队、最佳主唱,从而或得了其他朋克乐队无法企及的大公司唱片合约。

1980年初,乐队第一张专辑、同名大碟在Victor唱片旗下的INVITATION厂牌发表。这张专辑中有不少翻唱作品,比如翻唱the Clash的经典朋克歌曲,将chuck berry的老歌翻成朋克风格等等。遗憾的是,其中一首"东京is burning"(翻自The Clash的London's burning)由于歌词有批判王室的意味,最终被勒令删去。至今此曲仍然被禁,在唱片内页的歌词处以黑条涂去。如此多的翻唱,显然有唱片公司营销方面的考虑。果然,一经推出,即到达10万的销量。在当时,对于非主流的朋克乐团来说简直等于天文数字。Anarchy就此一炮而红。

同年底,第二张大碟"'80維新"面世。

1981年,赴伦敦录制了第三张大碟"亜無亜危異都市"。

"亜無亜危異"是一出文字游戏,因为这五个汉字读音正好是"A-NA-R-CH-Y"(亜ア無ナ亜ー危キ異ー)。这个无厘头的写法后来也成了乐队的标志之一。

年底,乐队又出了第四张大碟。

随后,一直到1985年,虽然乐队的风格开始有些偏向硬摇滚和布鲁斯,但稳定的出碟以及高人气的事实都使他们的事业看上去一帆风顺。但意外在1986年到来,吉他手逸見泰成与妻子产生情感纠纷,最终因伤害罪而被捕。乐队就此失去一角。随后,剩余的四人决定改换名称,启用"The Rock Band"作为新队名。同年The Rock Band名义的大碟发表,唱片名为"アナーキー"(换汤不换药~__~)。次年,The Rock Band再发新专辑。然而,The Rock Band并没有继续下去,乐队还是选择了解散。

在当时,很多业内人士也是他们的粉丝,其中包括小泉今日子、山下达郎、元头脑警察的摇滚界大佬Panta、元The Blue Hearts的灵魂甲本hiroto等等,山下达郎甚至说他曾在唱片发售的第一天就跑去买碟。アナーキー的影响力可见一斑。

1994年,乐队重新组合,不过原鼓手并未参加。虽然乐队再次受到了舆论热烈的关注,并且有着许多相当成功的演唱会和唱片,但那个朋克时代,毕竟已经远去了。

アナーキー(あなーきー)は、日本のパンクロックバンドである。

アルファベットでは「ANARCHY」、漢字では「亜無亜危異」(または「亞無亞危異」)と記す。バンド名の由来はセックス・ピストルズの楽曲「アナーキー・イン・ザ・UK」から名づけられた。

埼玉県和光市の団地育ちのメンバーを中心に、1978年に結成。メンバーは4人が埼玉県立和光高等学校、1人が埼玉県立浦和工業高校出身。1979年にヤマハ主催のアマチュア音楽コンテスト「EastWest」にて優秀バンド賞、最優秀ボーカリスト賞を獲得し、翌1980年にシングル「ノット・サティスファイド」、アルバム『アナーキー』でビクターインビテーションよりデビューした。1986年にはギターのマリが痴話喧嘩の末、元妻を刺し逮捕された為、「THE ROCK BAND」と改名するが、メンバーのソロ活動が活発になり活動休止状態になる。その後、1997年に新メンバーを加え活動再開したが、2001年に活動休止している。

1980年にビクターからデビュー。

デビュー当時は全員国鉄の作業服(ナッパ服)を着用し、髪を逆立てたスタイルだった。セックス・ピストルズのような性急なリズムと反抗的な歌詞のロックは、当時の中高生に人気を誇った。

デビューアルバム「アナーキー」はオリジナル曲と、ザ・クラッシュ、チャック・ベリー、スティッフリトルフィンガーズ、イーター等の曲に日本語のオリジナルの歌詞を乗せたカバー曲を収録し、10万枚以上の売り上げを達成、一躍人気バンドとなる。

しかし、そのアルバムに収録されていた曲「東京イズバーニング」(クラッシュ「ロンドンは燃えている!(London's Burning) 」のカバー曲)が、クラッシュの「王室批判」になぞり日本の皇室を揶揄する歌詞だったため、レコード会社が政治団体から抗議を受け、回収という措置を取るに至った。後にこの曲を削除して再発されている。

その後も次々とアルバムをリリースしていくが、一向に上達しない(敢えてしない)パンクバンドとは違い、楽曲のレベルがグングン上達していき、クラッシュになぞりレゲエ、ダブ等を取り入れたサウンドも展開し、人気を誇るバンドに成長する。

業界内でもファンは多く、タレントの北野誠、小泉今日子、ボアダムスの山塚アイ、元THE MAD CAPSULE MARKETSのKYONO、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト、PANTA、eastern youthの吉野 寿、ロリータ18号のマサヨ、ジュンスカイウォーカーズ、今井寿、山下達郎がファンを公言しており、山下達郎に至ってはアルバムを発売日に買っていたという。

当時はBOØWYやTHE ROOSTERSといったバンドと仲が良かった。BOØWYの氷室京介とギターのシンイチは、映画「裸の24時間」で競演したり、BOØWYのデビュー当時のキャッチコピーが「エアロスミスとサザンオールスターズとアナーキーを足して割ったバンド」と呼ばれていた過去があったりと因縁深い。

しかし、一方で歌詞の内容やサウンド、アクションに対し、ただのクラッシュの模倣であるという批判も多く(クラッシュもレゲエやダブに接近している)、同時期に活躍していたパンクバンドTHE STALINの遠藤ミチロウは雑誌等で「あいつらのライブに行くより外でテニスでもしてたほうが健康的でいい」と、アナーキーの批判を行っていた(元々彼はクラッシュのサウンドやアナーキーの歌詞を嫌っている事や、アナーキーがコンテストからのデビューだという事を小馬鹿にしていた事、クラッシュを露骨に模倣したアナーキーを嫌っていたとも見える)。遠藤とは映画「爆裂都市」の出演をめぐり長らくお互いがいがみ合っていたが、数年後に出演したイベントで泉谷しげるの仲裁によって和解。

その後も順調に活動していたが、1986年にギターのマリが痴話喧嘩の末に元妻を刺し逮捕された為、バンドは活動休止。 その後、残ったメンバーでザ・ロック・バンドと改名し、活動を続けるが、個々の活動が目立ち始め自然と活動休止に。その後1994年にオリジナルメンバーが結集し、一夜限りの再結成ライブを行う(なお、そのライブ音源はCD化されており、「東京イズバーニング」や、未発表曲「タレントロボット」も収録している)。 1997年に新メンバーを加え再始動。当時人気のあったデジロック色を強めたバンドに生まれ変わり3枚のアルバムをリリースするも、2001年に活動休止。2005年に全アルバムとオリジナルメンバーによる新曲、更に秘蔵映像を収録したDVDをセットにしたBOXが発売された。


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