小档案
Phew(ヒュー、1959年9月-)とは、1970年代後半に関西で活動していたアーント・サリーの一員だった頃から現在に至るまで活躍し続ける女性シンガーである。
小简介
大阪府出身。アーント・サリーの一員だったPhewは、やがてソロシンガーで活動するようになり、パス・レコード(PASS RECORDS)と契約する。
そして坂本龍一とのコラボレーションである『終曲(フィナーレ)/うらはら』を1980年3月25日に発表。制作の過程に関しては、Phewがカセット・テープにアカペラで録音した歌を坂本龍一が受け取り、ヴォーカルへのイコライジングとシンセサイザーなどによるバッキングを加えて楽曲の形にまとめ上げたという説があるが、クロック信号が録音されていないカセットテープ録音である上に、絶対音感が無い者のアカペラ歌唱に、後から音楽的なバッキングを被せる事は、当時のテクノロジ−では、ほぼ不可能である(「終曲」でのPhewの歌唱は音符内でのピッチが不安定であり、絶対音感が無い事は明白である)。また、シングルのクレジットには、Phewは、ヴォーカル、声(Voice)、ノイズを担当したとある。そして数々のインタビューでは坂本龍一のスタジオワークの模様や(「音楽的接点は感じられず、仕事が速いと言うだけ」と各所で発言している)、ミックスダウンの手法(イコライジングでは無く、シンバルの上の置いたヘッドフォンから再生された音を再び録音した)について語っているので、この曲はスタジオでヴォーカルを録音する通常のレコーディング手法により録音された可能性が非常に高いと思われる。
「終曲」発売後後パスレコードのプロモーション・ツアーに参加。バッキングメンバーは坂本龍一と後藤美孝であった。2人とも揃ってシーケンシャル・サーキットProphet-5とアープ・オデッセイと言うシンセサイザーの名機を使用し、坂本はシンセベースを担当し、後藤はノイズを担当したと言われている。
そして1981年の1月から2月の間にアルバム『Phew』を西ドイツ(当時)ケルンのコニー・プランクのスタジオで制作。レコーディング・メンバーはPhew、コニー・プランク、ホルガー・チューカイ、ヤキ・リーベツァイト、そしてパス・レコードの創立者である後藤美孝(坂本と共同で『B-2ユニット』を制作した後)。同アルバムは、1981年6月パス・レコードから発売されたが、Phewはその後数回のライブに出演後活動を中断。
1987年、活動を再開。近藤達郎 大津真らとアルバム『View』を発表。1991年10月21日 恒松正敏 高橋豊 大津真 藤本敦夫 藤井信雄らと『songs』発表。1992年にはアルバム『Our Likeness』を再びコニー・プランクのスタジオで制作。レコーディング・メンバーはヤキ・リーベツァイト、アレキサンダー・ハッケ、クリスロー・ハアス、トーマス・シュターン。同アルバムは英ミュート・レコードよりリリースされ、Phewは同レーベルから作品を発表した最初の日本人アーティストとなった。
以後はソロやユニットの形でライブ活動、アルバム制作を定期的に行っている。現在のユニットは、MOSTとBig Picture。夫は音楽家の長嶌寛幸。