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风格
#日本流行 #都市流行
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

中森 明菜(なかもり あきな、本名も同じ、1965年7月13日 - )は、日本の女性歌手。

東京都清瀬市出身。血液型はA型。星座は蟹座。身長160cm。所属レーベルはユニバーサルシグマ、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ。所属事務所はFAITH。公式ファンクラブはFAITHWAY。

小简介

6人兄弟姉妹(2男4女)の5番目、三女。妹に元女優の中森明穂がいる。兄弟姉妹には、名前一字に「明」という文字が使われている。

4歳から14歳まで「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通う。バレエ経験者ということもあり、バレエを題材にした連続ドラマ『プリマダム』に出演した。

『スター誕生!』本選3度目の挑戦時、山口百恵の「夢先案内人」を歌い合格した。なお、2度目の挑戦(中学3年の時)で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったが、審査員の松田トシが「歌は上手だけど顔が子供っぽいから、童謡でも歌ったらどうかしら?」と批評。これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないじゃないんですか!?」と抗議し、会場は騒然となった。実は最初の挑戦時(中学2年の時)にも松田トシは中森を批評しており岩崎宏美の「夏に抱かれて」で挑んだが、「年齢の割にはおとなしすぎる」とコメントした。

当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本人が拒否した。

大東学園高等学校から明治大学付属中野高等学校定時制へ編入するが、多忙により中退。

デビュー当時、かなり体型がふっくらしており、体重は58Kgもあったという。

先述のデビュー当時のキャッチフレーズ「ちょっとエッチな美新人娘」が、周囲から「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時非常に苦痛だったと後に本人が語っている。ちなみに「エッチ」というのは卑猥な意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている。

同じ頃デビューしたアイドルに石川秀美・小泉今日子・早見優・堀ちえみ・松本伊代などがいる。1982年はアイドルの当たり年で、彼女(彼)らを総称して「花の82年組」と呼んだりする。

1982年9月20日、フジテレビ系列音楽番組『夜のヒットスタジオ』に「少女A」で初出演。のちに「夜ヒットクイーン」の異名を授かるほどに番組に大きく貢献する中森であるが、意外にも初登場はデビュー曲である「スローモーション」では実現せず、他の同期デビュー組と比べて番組初登場までに長い期間を要した。

デビューからほどなく、衣装・メイク・振り付けを自身で担当。1986年のスタジオ・アルバム『不思議』以降、楽曲のプロデュースも自身で担当していく。独自の歌唱表現力(特に圧倒的なロングトーンは“明菜ビブラート”と呼ばれている)にも磨きをかけアーティスト性を発揮。作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受けるなど、独自の世界を切り開く。

1990年代は、所属事務所トラブルなどのスキャンダルが続き不遇な時代を過ごすが、低音域やファルセットを活かした独自の歌唱法を編み出すと共に、後にシリーズ化されるカバー・アルバム作品『歌姫』の発表など、歌手として新境地を開拓していく。また、『素顔のままで』『冷たい月』『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』の3作の連続ドラマに主演を務めるなど、活動の幅を広げた。

レコード会社の離籍後に出されたベスト・アルバムなどの作品は非公認盤である。

本人作詞において、2002年のスタジオ・アルバム『Resonancia』以降「Miran:Miran」名義で作詞をすることがある。

『ミュージックステーション』の第1回目放送の出演、『スーパージョッキー』、『チューボーですよ!』、『警部補 古畑任三郎』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』の第1回目放送の歌のコーナー「THE TRIBUTE SONGS」の出演など、番組初回のゲスト出演を多く経験している。

久米宏が『ザ・ベストテン』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時から色々と親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙した。

2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版では、歌前に久米から応援の電話が入った。「番組内でも殆ど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合ってたと思う。だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。

芳村に関しては、『夜のヒットスタジオ』の司会当時、中森が自身でヘアスタイルから服装に至るまでの全てのコーディネートを行っていることを知り、番組内で芳村からそのセンスのよさを絶賛され、以降、同番組に出演するときには他の歌番組とは異なる特注の衣装で毎回番組に臨むほど、衣装などに気合を入れていた。芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『最近、おしゃれしてる?』と言われて、お洒落をした。真理さん見てますかー?」と芳村に画面を通じて呼びかけたこともあった。また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当したこともあった。

松田聖子とは不仲が噂されたが、これについては『おしゃれカンケイ』出演時に中森自身が、「作り話」であることを明かした上で、(松田聖子の)レコードもほとんど持っていると話した。更に、同番組で松田の「白いパラソル」をモノマネで披露した。

友近が中森の歌とモノマネをすることでもよく知られている。

大事件

1981年、オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)に本選3度目の挑戦時、史上最高得点で合格。その後、芸能事務所の研音(1982年 - 1989年)、レコード会社のワーナー・パイオニア(1982年 - 1991年)入りが決定する。

1982年5月1日に「スローモーション」でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズ(※特に1980年代の女性アイドルには、必ずといっていいほどキャッチフレーズが付いていた)は、「ちょっとエッチな美新人娘(み・ルーキー・っこ→ミルキーっこ)」。同年、第2弾シングル「少女A」がヒットとなる。さらに続く「セカンド・ラブ」が1983年を代表するヒットとなった。

1983年のブロマイド売上実績が女性部門でNo.1となる。

1985年に「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」、1986年に「DESIRE -情熱-」で2年連続日本レコード大賞を受賞。

1987年、第1回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。

1988年、音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では1位週数69週を獲得、番組史上最多回数となる。「ベストテンの女王」の異名がある。

1989年7月11日に、当時の恋人で歌手の近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし、約1年間歌手休業する。

1990年、復帰シングル「Dear Friend」が大ヒット。オリコン週間シングルチャートで21曲が1位を獲得(女性歌手では歴代3位の記録)。

1991年7月、復帰ライブ『夢 '91 Akina Nakamori Special Live』を開催。

1992年、連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系、月9)主演。最高視聴率31.9%を記録。

1993年、MCAビクター(後のユニバーサルビクター、現ユニバーサルミュージック)へ移籍(1993年 - 1997年)。

1994年12月、PARCO劇場にて、カバー・アルバム『歌姫』を中心としたライブ『歌姫 パルコ劇場ライブ』を開催。

1996年5月、自身初のディナーショー・ツアーを開催。同年12月にも開催し、以降、毎年末恒例となる。

1997年5月、9年ぶりの全国コンサートツアー『Felicidad』を開催。

1998年、ガウスエンタテインメントへ移籍(1998年 - 1999年)。連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)主演。

1999年、連続テレビドラマ『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』(日本テレビ系)主演。

2000年、楽工房に所属(2000年 - 2002年3月末)、個人事務所を「FAITH」・公式ファンクラブを「FAITHWAY」(2000年 - 現在)とする。{個人事務所の前身はNAPC(1993年 - 1999年)}

2001年、@nifty内のインディーズレーベル@easeにて、シングル「It's brand new day」を発売。

2002年、デビュー20周年を迎え、ユニバーサルミュージックに移籍(2002年 - 現在)、カバー・アルバム『ZERO album-歌姫2』が大ヒット。憧れの存在である山口百恵の「秋桜」や、ライバル視された松田聖子の「瑠璃色の地球」などをカバーし話題となった。同年、14年ぶりに第53回NHK紅白歌合戦に出場。

2004年、ユニバーサルミュージック内の私設レーベル「歌姫レコーズ」を設立。

2005年7月、品川のclub eXにて、自身がリリースしてきたカバー・アルバム『歌姫』シリーズを中心としたライブ『Akina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eX』を開催。

2006年、デビュー25周年目を迎え、7年ぶりに連続テレビドラマ『プリマダム』(日本テレビ系)に出演。また、大手パチンコメーカー大一商会から自身をモチーフとしたパチンコ機「CR中森明菜・歌姫伝説」がデビュー、ヒット機となる。

2007年、デビュー満25周年。カバー・アルバム『歌姫』シリーズのベスト・アルバム『歌姫ベスト 〜25th Anniversary Selection〜』をリリース、オリコンの週間アルバムチャート(2007年1月29日付)で4年ぶりにトップ10入り。また、演歌を中心としたカバー・アルバム『艶華 -Enka-』をリリース、こちらもトップ10入りを果たし(2007年7月9日付、通算34作目)、日本レコード大賞「企画賞」を受賞した。初のカウントダウン・ディナーショー『AKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008』を開催。

2008年、自身初の1990年代の曲を総括したベスト・アルバム『歌姫伝説 〜90's BEST〜』をリリース。第22回日本ゴールドディスク大賞「ザ・ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト」を受賞。


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