38154人收藏

2055条评论

在网易云音乐打开

风格
#硬摇滚 #重金属 #前卫金属 #能量金属 #视觉摇滚 #交响金属
地区
Japan 日本

艺人介绍

乐队简介

X-Japan是日本著名的重金属乐队。

乐队成立于1982年1月,1989年成为日本最红的乐队,以独立厂牌的出身进行主流音乐的创作。X作为乐队名称,是因X字母有着“无限的可能性”的意义。之后,进军世界时为了与美国同名乐队加以区别,在1992年8月HEATH入团的同时改名为X JAPAN。

成员

Toshi(1965年10月10日 – )主音、木吉他(1982–1997年,2007至今)

Yoshiki(1965年11月20日 – )团长、鼓、钢琴、键盘(1982–1997年,2007至今)

hide(1964年12月13日 – 1998年5月2日)主音吉他、木吉他、和音(1987–1997)(1998年逝世)

Pata(1965年11月4日 – )节奏吉他、木吉他、和音(1987–1997年,2007至今)

Heath(1968年1月22日 – )贝斯吉他、和音(1992–1997年,2007至今)

Sugizo(1969年7月8日 – )主音吉他、小提琴、和音(2009至今)

前成员

Taiji(1966年7月12日 – 1992年)贝斯吉他、木吉他、和音(1985,1986–1992年)

Terry吉他(1982–1985年)ToshiとYoshiki高中时代的同学,2002年在交通事故中去世。

Tomo 吉他(1984–1985年)

Atsushi贝斯吉他(1984–1985年)ToshiとYoshiki高中时候的前辈。

EddieVan吉他(1985年)现Ritual Carnage

Hally 吉他(1985年)元DIMENTIA、现United。

Jun 吉他(1985–1986年)

Zen/Xenon吉他(1985–1986年)

Hikaru贝斯吉他(1985–1986年)现Mephistopheles

Kerry 吉他(1986年)

Satoru 吉他(1986年)

Isao 吉他(1987年)交通事故后退出。

演艺经历

东京进发

在幼儿园时期,青梅竹马长大的Toshi和Yoshiki,在六年级的时候讨论到美国硬式摇滚乐队Kiss,约定要共组乐队。遂在中学时代组成了DYNAMITE(1978–80年)和NOISE(1980–1982年)。在初中的饯别会上首次进行了演出。当时乐队主唱是别的中学的学生,后来二人进入当地的安房高中后继续进行着乐队活动,其他成员因为升学问题而相继退出,Toshi从当初的吉他手变成主音。1982年成员增加后开始组建X。

本来预定在高中毕业后接受武藏野音乐大学推荐入学的Yoshiki在入试1周前接受Toshi的邀请,放弃升学而选择了到东京做摇滚乐队之路。同时一起到东京的还有Toshi,之后两人的活动地点转移到了东京。

地下时期

在到东京后的两人,在无任何门路的情况下找寻着乐队成员和演出地点(Live House)。一年后,他们基本摸索出如何管理乐队。同年6月,他们的首支单曲《I'll Kill You》由Dada Records出版发售。之后由Yoshiki母亲出资300万日元设立了自己的厂牌Extasy Records有限公司,接着在1986年4月自主制作发售了单曲オルガスム。在这个时候X已经有了一批固定的乐迷,并且乐队成员如流水般不断交替着,获得好评的オルガスム进行了再版。

后来,一度加入又退出的Taiji在1986年年末再次加入。在录制SKULL THRASH ZONE Vol.1大碟时PATA支援加入,而后,1987年初サーベルタイガー解散后下决心回老家当美容师的HIDE被YOSHIKI劝说入队加入了X,顶替因交通事故不得不退出的乐队成员的Pata正式入队,至此组成了Major时的阵容。

1988年4月,自主制作的地下大碟Vanishing Vision发售,在一周内就售出了1万张。接着,在同多家主流厂牌公司的合同探讨下,于1988年夏,同当时刚刚成立的CBSソニー(现Sony Entertainment)签下合约。

CBSソニー的合约

在向Major进行的时候,多个主流录音公司为和X定合约展开了争夺战。Vanishing Vision在Major后在发售是有其可能性的,但是Yoshiki判断出“要给地下时代留下印迹”而坚持由エクスタシー这个自主厂牌发售。结果,在和X争夺签合约的公司中由当时各方面条件最不好的CBSソニー胜出。

1989年4月21日,由CBSソニー发售的专辑《Blue Blood》成为X出道的标志。Oricon(日本最大的音乐排行榜)统计,专辑初登场获得第六位,同年售出了60万张的记录。

1990年2月第一次在日本武道馆的演出使Live Tour(巡演)《Rose & Blood Tour》再次开始。5月大阪城ホール演出后为录制新大碟X远渡美国,但是在本人不在的情况下,成功举行了一系列前所未闻的FILM GIG,此时X已经成为了一种现象更加大规模的在全国传播。

1995年11月开始举办全国巡演《Dahlia Tour 1995–96年》。1996年3月13日在名古屋1日公演中Yoshiki的椎间盘突出症突然复发,公演中止。实际上除了福冈巨蛋的延期外,另外18场公演中有7场演出时也临时中止,特别是预定福冈巨蛋的演出本来从延期公演到最后不得不变成中止。

在经历了长期的录音后,1996年11月4日专辑《Dahlia》终于出版,但是经历了5年,专辑中的10首歌有6首在之前已经以单曲形式发售,成了实际上的精选集。

1997年4月,Toshi以音乐方向性不同为由退队。在无法找到后继主音的情况下,成员决定2000年X Japan再复活,目前先解散。9月22日在日本读卖新闻上横幅广告发表解散通知。同日召开记者会,宣布X Japan解散。之后作为对乐迷的责任举办最后的演唱会,而后hide说服Yoshiki邀请Toshi参加1997年12月31日在东京巨蛋举行的《The Last Live最後の夜》,演出后以最后一次参加红白歌战作为谢幕。

2007年再结成

在2007年2月14日X-Japan与Sony的合约期间,专辑《Blue Blood》和《Jealousy》分别限定发售。

2007年10月18日,X Japan官网正式发表乐队活动再开的消息。消息中说明X Japan的新曲I.V. Promotion Video将在东京都港区台场的アクアシティお台场屋上公开拍摄,并且I.V.已经决定作为好莱坞电影《电锯惊魂4》的主题曲,这首歌表明了X Japan在世界范围内Debut的期望和决心。这首曲是以亡故的hide音源经过再加工后作为X Japan五人的新曲制作完成,作为世界DEBUT的音乐。

海外公演

2008年1月16日至17日,X JAPAN首次在海外演出,在香港以“X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG”为主题进行演出。

Yoshiki在2009年6月13日和6月14日分别在北京和上海举办歌迷见面会。

近期活动

法国巴黎当地时间2015年7月4日,X-JAPAN成员YOSHIKI参加“Japan Expo”活动。

X JAPAN新专辑于2016年3月11日发行,并同步在英国发售。

X JAPAN(エックス・ジャパン)は、日本のヴィジュアル系ロックバンド。1989年にX(エックス)としてメジャーデビューし、1992年にX JAPANに改名。1997年9月22日に解散を発表し、同年12月31日にラストステージで活動を終了。2007年10月22日に再結成。通称、X。

1982年、千葉県館山市で当時高校生だったYOSHIKIとToshlを中心に結成。LAメタルに影響を受けた派手なルックスで、後続のバンドにビジュアル、音楽の両面で大きな影響を与えた。

来歴

1997 - 2006年: 解散、HIDEの死と解散後のX JAPAN

Question book-4.svg

この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2008年7月)

1997年4月、音楽性・方向性の違いを理由にToshlが脱退する。後任のボーカルを見つけられなかったため、9月22日に記者会見を開き、当日をもってX JAPANの解散を発表。その後、ファンに対する「けじめ」としてライブをしよう、とHIDEがYOSHIKIを説得。Toshlも参加して、1997年12月31日に東京ドームで『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を行い、コンサート終了後に出演した『第48回NHK紅白歌合戦』のステージで幕引きとなった。

残ったメンバーは2000年に新たなボーカリストを加えた形で再結成することを予定し、それまでの間、各メンバーはソロ活動を展開する。中でもHIDEは、hide with Spread Beaver名義で精力的に活動を始めた。しかしその矢先、1998年5月2日にHIDEが急逝。その後『Art of life live』や『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』などのライブ・アルバムやライブDVD、ファン投票によるベスト・アルバム『X JAPAN BEST 〜FAN'S SELECTION〜』のリリース、全国主要都市や韓国・ソウルでの『FILM GIG』開催などが続いた。

さらに、HIDEと同郷であり、hide MUSEUMの建設にも関わった当時の小泉純一郎首相が「X JAPANのファン」と公言し話題を呼び、「Forever Love」が自民党の国政選挙の際にCMで使われた。しかし、その一方でToshlの洗脳疑惑騒動やYOSHIKIの迷走などかつてのファンを不安にさせるニュースも数多く報道されていた。特にYOSHIKIは日本で表立った音楽活動をほとんど行わなくなり、アメリカでのViolet UKの活動を主体にプロジェクトを進めていた。これには、公私共に深い信頼関係にあったHIDEの死去が自身に与えた精神的なダメージが大きかったためであることを後に語っている。

2002年、YOSHIKIはゲスト出演したNHKの『わたしはあきらめない』で解散の直接的原因となったToshiについて、「Toshlの声を道具のように扱っていた」と、自身の行いに問題があったという内容の発言をしている。また、HIDE死後の転機となったのが、『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』で奉祝曲「Anniversary」を演奏した際に受けたファンの歓声であったとしている。この模様は後日、未放送部分が付け加えられ番組単行本に纏められている。しかし、当時のToshlは「自分はテレビを見ないので知らない」と受け入れることは無かった。

韓国では「Tears」が、映画『僕の彼女を紹介します』挿入歌として、日本文化解禁後の韓国映画において初の日本語楽曲使用となった。また、ヨーロッパではX JAPANの楽曲をカヴァーするバンドも現れた。後述の再結成発表の場でもアジア圏から東京に駆けつけたファンやリアルタイムでX JAPANを知らない若者たちの姿などが多く報道されていた。

2007年: 再結成

2007年2月10日にToshlが自身のホームページで、X JAPANのかつてのマネージメント事務所の社長がToshlのライヴ会場に何度も足を運び、「他のメンバーが再結成したがっているがToshlはどうだろうか」と頼んで来たと述べている。再結成に対して否定的であったToshlは、最初は頑なに断り続けていたが、あまりにも何度も来られたため、YOSHIKIにも確認し、共通の友人でもある小室哲哉にも応援と期待を頂いて話を進めていると明かした。同年3月21日にはToshlが自身のホームページで、ロサンゼルスのYOSHIKIのスタジオを訪ね、およそ10年ぶりに共に演奏したことを明らかにした。その際にセッションした楽曲はYOSHIKIがHIDEへの追悼曲として作曲し、2005年のYOSHIKIのクラシック・アルバム『ETERNAL MELODY II』に収録していた「Without You」であったことも明かし、YOSHIKIとのプロジェクトや新曲のリリースの動きが進行していることをほのめかした。その後、同年6月にYOSHIKIはスポニチの取材に対し、再結成に向けて話を進めていることを認めた。

同年10月18日、公式ホームページで活動再開が正式に発表された。また、東京都港区台場のアクアシティお台場屋上において、新曲「I.V.」のプロモーション・ビデオの公開撮影を10月22日に行う旨が報道された。当日の撮影ではYOSHIKIに抱きかかえられたHIDEの人形も揃い、10年ぶりにX JAPANの『5人』が台場に集まったファンの前に姿を見せた。このミュージック・ビデオでは『HIDEも世界に連れて行く』という意味を込めてHIDEのステージ・ポジションにマイク・スタンドとギターが設置されていた。撮影終了後には2008年春を目処に東京での再結成コンサートを計画していることなども明らかにされた。「I.V.」は亡きHIDEのギター音をデジタル加工して使用するなど、X JAPAN5人の楽曲として制作され、2008年1月23日にリリースされた。また、ハリウッド映画『SAW4』のメイン・テーマ・ソングとして採用された。撮影されたミュージック・ビデオは、2008年2月29日に発売された『X JAPAN RETURNS 完全版 DVD-BOX』に収録された。

後日、TVでのインタビューでYOSHIKIは「X JAPANに終止符を打つための再結成で綺麗な形で終わらせるためであり、長期間の活動はしない」と語った。また、HIDEの後任のギタリストに関しては、ゲストと言う形をとり、HIDEのポジションを空けておく、X JAPANは常にHIDEと一緒という発言から新たにHIDEのギターを収録することが不可能なことやToshlとの確執が完全に解消されたわけではないと述べた。なお、Toshlは復活後のソロコンサートで「X JAPANもやりながら癒しの音楽もやっていきたい」と語っていた。

2008年: 世界進出

2008年1月20日に渋谷Apple Storeで記者会見が行われ、同年3月28日、30日に、東京ドームで2日間の再結成コンサートが行われることが発表された。同日の夕方にはタワーレコード渋谷店において、X JAPANメンバーと招待されたファン160人によるトーク・ライブが行われた。会見当日に先行予約が開始されたが、予想以上の反響があったため、当初の予定を変更しドームの後方席も開放し増席することと、夏以降の追加公演が発表された。また、X JAPANにとって初の海外公演となる欧米・アジアツアーが年内に発表されるとも語った。再結成コンサートは『X JAPAN 攻撃再開 2008 I.V. 〜破滅に向かって〜』と銘打たれ、28日は「破壊の夜」、30日は「創造の夜」と命名された。後日、再結成コンサートはあまりにも反響が大きく2日間ではキャパシティを確保することができないと判断し、YOSHIKIを始めとするメンバーの休養のため空けられていた29日に追加公演を行うことを決定。29日はYOSHIKIも「命を張る覚悟」として「無謀な夜」と命名された。また、チケットの価格高騰を懸念して、プレミア席のオークション中止も発表された。立ち位置は「HIDEがいたときと同じ配置で行く」と改めて『5人のX JAPAN』によるコンサートであることが強調され、再結成コンサート当日は、ステージやモニターに特殊映像(ホログラムなど)によって再現されたHIDEが映しだされた。さらにこの会見で「I.V.」のiTunes Storeなどにおける全世界23ヶ国同時発売が発表された。

2008年5月3-4日にHIDEの追悼ライブ『hide memorial summit』が開催され、LUNA SEA、T.M.Revolution、Dir en grey、マキシマムザホルモンなどが出演し、X JAPANは2日目に出演して「Without You」やhideのソロ楽曲「ピンクスパイダー」などを演奏したほか、LUNA SEAのメンバーとLUNA SEAの楽曲「BELIEVE」を共演した。12月31日には赤坂BLITZでカウントダウン・ライブ『X JAPAN COUNTDOWN GIG 〜初心に帰って〜』を開催。この模様はCS放送、DMM.comによる独占生中継が行われたほか[13]、全国13館のTOHOシネマズにて中継上映も行われた。

後日YOSHIKIは雑誌のインタビューやMyspaceなどを通じて「I.V.」の日本語版のリリースや「Without You」をはじめとした新曲の制作をほのめかしていた。また、「もしかしたら当初の構想より長く活動できるかもしれない」と語った。

2009年: ワールド・ツアー、SUGIZOの加入

2009年1月17日香港公演。2009年1月16-17日に、香港のアジア・ワールド・エキスポで初めての海外公演となる『X JAPAN WORLD TOUR LIVE IN HONG KONG』を開催し、2日間で2万人を動員した。

香港公演後には一時期、HEATHに関するトラブルが発生したことで2-3月に予定されていた台北公演・ソウル公演は延期が決定され、最悪二度目のベース脱退という事態に陥ったが、公演が翌日に迫った5月1日にHEATHから脱退が回避されたという旨とファンへの謝罪が公式サイトに掲載された。同時に再結成公演以来サポート・メンバーとしてステージで演奏していたSUGIZOが「6人目のメンバー」として正式に加入した。5月2-3日にワールド・ツアー東京ドーム公演『X JAPAN WORLD TOUR Live in TOKYO 〜攻撃続行中〜』を開催。「JADE」が初めて演奏されたほか、新たに加わったSUGIZOのヴァイオリンとYOSHIKIのピアノによる共演など、SUGIZOの加入による新しいコラボレーションも見られた。5月30日には台湾で『X JAPAN WORLD TOUR Live in TAIPEI』が開催された。

その後、ワールド・ツアーは10月10日のパリ公演がアナウンスされていたが、YOSHIKIの持病である頸椎椎間板ヘルニアの手術に伴い、三たびの延期。年内の開催を予定していた大阪公演も延期となった。

7月末のYOSHIKIの手術後、8月22日には6年ぶりとなるフィルム・コンサート『X JAPAN FILM GIG 〜鈴鹿の夜〜』が鈴鹿サーキットで開催された。これはYOSHIKIがプロデュースするレーシングチーム「TEAM YOSHIKI&童夢プロジェクト」が出場するSUPER GTレースの前夜祭に伴って行われたもので、X JAPANのフィルム・コンサートとしては初の野外公演となった。これには当初YOSHIKIの出演がアナウンスされていたものの、その後に手術が決まったこともあり、出演は取りやめとなっていたが、当日になりYOSHIKIとToshlがサプライズ出演。公の場にYOSHIKIが姿を現すのは手術後これが初めてとなった。

2010-11年: ワールド・ツアー、TAIJIの死

サンパウロ公演で演奏するYOSHIKIとToshl

2010年1月6日-14日にロサンゼルスにてミュージック・ビデオの撮影が行われた。6日にはロサンゼルス・センター・スタジオ、7-8日にはロサンゼルス・シアターへと場所を移し、9日にはハリウッド・コダック・シアターの屋上に設置された特設ステージの上でライブ形式の公開撮影が行われた。9日の公開撮影ではファン8000人を動員し、総制作費は5億円を計上した。その後12-14日にもさらに場所を移して撮影が行われた。撮影は「I.V.」「JADE」といった再結成後の新曲に加えて「Rusty Nail」「紅」「ENDLESS RAIN」といったすでにミュージック・ビデオが存在している曲にも行われた。撮影された映像の一部はパチンコ台「CR FEVER X JAPAN」に使用されていた。また、DVD『X JAPAN Showcase in L.A.』に収録され、パチンコ店のみで限定リリースされた。

この9日の公開撮影がYOSHIKIにとっては手術後初、Toshlにとっては活動休止後初のパフォーマンスの披露となった。Toshiは2009年10月に肋間神経痛を患い、この撮影の直前まで全く声が出せない状態が続いていたが、この撮影をきっかけに声を取り戻したことを撮影直後の単独記者会見で明かした。この記者会見でToshiは自己破産申請・離婚調停・ソロ活動でのパートナーであったMASAYAとの決別などを告白と、2月24日にX JAPANメンバー全員参加の『Toshl LAST CONCERT"武士JAPAN"』の開催を発表した。

2010年の8月6日-8日にかけてアメリカ・シカゴで行われたロック・フェスティバル『ロラパルーザ』のメイン・ステージに出演した。

8月14-15日に、横浜国際総合競技場で『X JAPAN WORLD TOUR Live in YOKOHAMA 超強行突破 七転八起 〜世界に向かって〜』を開催。元メンバーのTAIJIが中盤でスペシャル・ゲストとして参加し、ステージではHeathとのダブルベースにより「X」を共に演奏。1992年の東京ドーム公演以来、18年ぶりに共演が実現した。また終演後はステージ上でYOSHIKIをはじめとするメンバーと抱擁を交わした。TAIJIは翌2011年7月17日に急逝してしまったため、これが最後の共演となった。10月10日には、ワールド・ツアーの一環である北米ツアーを完遂した。

10月10日、ワールドツアーの一環である北米ツアーを完遂。ツアーを延期、中止せずに完遂したのは1991年の「Violence In Jealousy Tour 1991 〜夢の中にだけ生きて〜」以来となった。

2011年1月27日、北米における製造・流通を目的としてEMIと3年間の専属契約を結ぶ。3月6日には国立代々木体育館にて行われたYOSHIKIプロデュースのファッション・イベント『ASIA GIRLS EXPROSION』にX JAPANとして出演。5月27日には映画『手塚治虫のブッダ -赤い砂漠よ美しく-』の主題歌「Scarlet Love Song」が配信リリースされた。6月28日には東日本大震災の影響により延期となっていた「JADE」を配信リリース。その当日にヨーロッパ、日本、南米、東南アジアを廻る2011年ワールド・ツアーがロンドンからスタート。ヨーロッパ・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 European Tour』では、2008年から延期を繰り返していたパリ公演を含む4都市で成功を収めた。

3月6日に代々木第1体育館で開催された世界最大級のファッションイベント「ASIA GIRLS EXPLOSION」参戦。SUGIZOが参加するViolet UKのパフォーマンス、マリリン・マンソンのモデルとしての登場。この参戦で今年南米(メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、チリ)から始まるワールドツアー2011、北米で3月15日にシングルリリースされる「JADE」や、5月28日から日本全国で公開される映画ブッダの主題歌「Scarlet Love Song」が披露された。

ワールド・ツアーの一環として、日本では8月13日の舞洲サマーソニック大阪特設会場、14日の千葉・QVCマリンフィールドで開催されたロック・フェスティバル『SUMMER SONIC 2011』に出演。その2週間後の野外ライブ・ツアー『a-nation』の東京公演初日にもサプライズ・ゲストとして出演した。

9月18日、チリから始まった南米ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 South American Tour』をメキシコで完走。東南アジア・ツアー『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011 Southeast Asian Tour』では、北京公演が中止になったものの、11月8日にタイでのライブを終え、『X JAPAN WORLD TOUR Live 2011』の全公演が終了した。

2012年-

2012年4月11日(日本時間12日)、アメリカ最大のHR/HMの祭典『第4回ゴールデン・ゴッズ・アワード』にアジアのバンドとして初めてのノミネートされ、ベスト・インターナショナル・バンド賞を受賞した。また、世界デビューアルバム制作の最終段階に入ったことと、近々2度目のワールド・ツアーも計画中であることも発表された。

2013年5月20日、東京・デックス東京ビーチ内の施設「マダム・タッソー東京」にてX JAPANの等身大フィギュアお披露目式で記者会見を開き、2014年に2度目のワールド・ツアーを開催する意気込みを表明した。21ヶ月ぶりの記者会見だった。また「世界への名刺代わりになる作品」としてアルバムをリリースする予定だとした。

2014年4月29日、YOSHIKIのソロワールドツアー「YOSHIKI CLASSICAL WORLD TOUR」コスタメサ公演にて10月11日にX JAPANとしては初のマディソン・スクエア・ガーデンでの公演を行うこと、6月17日に全世界ベストアルバムとして「THE WORLD〜X JAPAN 初の全世界ベスト〜」が発売されることを発表した。このライブステージでは、YOSHIKIがピアノ演奏を中心に、Xの曲や"Anniversary"などを女性弦楽団と演奏し、ToshIもゲストとして参加して盛況となった。

2014年8月17日、国内で初めてゲリラライブを東京・新宿ステーションスクエアで敢行[25]。『聖闘士星矢 LEGEND of SANCTUARY』(同年6月21日公開)の主題歌「HERO」のX JAPANバージョンを披露し、ミュージックビデオの撮影も行った。国内でのMVの撮影は2007年の「I.V.」以来約7年ぶりで、SUGIZOが加入してからは初である。

2014年9月30日、10月1日の2日間、2010年日産スタジアム公演以来4年ぶりとなる日本でのワンマンライブを横浜アリーナでおこなった。2日間で2万2千枚用意されたプラチナ・チケットは1秒でソールドアウトした。X JAPANにとって横浜アリーナ公演は、1991年に実施された『Violence In Jealousy Tour』ツアー以来 23年振りということでも話題となった。

2014年10月12日、“世界で最も有名なアリーナ”としても知られる、米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでコンサートを開催した。会場には1万5千人のファンが集まり、アジア単独アーティストとして最高記録になった。

2014年12月26日、テレビ朝日系列で放送された音楽番組『MUSIC STATION SUPER LIVE 2014』にて、X JAPANとしては約17年ぶりにテレビ出演を果たした。番組内でX JAPANのニューアルバムを2015年8月にリリース予定であることも発表された。

2015年2月25日にYOSHIKIがInstagramにX Japan Master Album Sequences 2.24.15と印字されたCD画像を投稿した。

2015年6月27日、幕張メッセにてLUNA SEA初の主宰ロックフェス『LUNATIC FEST. (通称ルナフェス)』に出演した。

2015年7月6日(現地時間5日)、フランスの『JAPAN EXPO』にて全曲新作となるアルバムの翌年3月11日のリリース、それに伴う日本ツアーとワールドツアー、3月12日に英・ウエンブリーアリーナでのリリース記念ライブ、そしてドキュメンタリー映画の公開を行うことが発表された。

2015年11月26日、大晦日の音楽番組『NHK紅白歌合戦』へ出演することが発表された。X JAPANの出演は1997年12月31日以来、18年ぶりの出演となり、2007年の再結成以降では初出演となる。

2015年11月28日、宮城県石巻市のライブハウス「石巻ブルーレジスタンス」にて、日本ツアーの初日公演を兼ねた、東日本大震災復興支援チャリティーコンサートを実施。ライブハウスでのライブは1991年12月31日の目黒鹿鳴館以来24年ぶりとなる。このライブで用意されたチケット150人分のうち、半数の75人分は石巻市・東松島市・女川町の住民を対象にした無料招待枠で、残り半数は「ヤフオク!」でのチャリティーオークションに出品、落札額は全額中央共同募金会を通じて被災地支援の寄付金となる。ライブの模様は石巻市総合体育館にてパブリックビューイングを開催した他、ニコニコ生放送でも配信された。

2016年、ドキュメンタリー映画『We Are X』(監督:スティーブン・キジャック)が、第32回サンダンス映画祭のワールドシネマドキュメンタリー部門にノミネートされ、最優秀編集賞を受賞した。1月23日に米国のユタ州でワールドプレミア上演を開催。3月18日、SXSW 2016で、EXCELLENCE IN TITLE DESIGN部門の観客賞を受賞。

同年2月3日、PATAが大腸憩室炎および門脈血栓症のため入院したことにより一時活動休止を発表し、3月11日にリリース予定であった約20年ぶりのスタジオ・アルバムを延期、それに伴いイギリスのウェンブリー・アリーナでの公演も2017年3月4日に延期された。

3月18日、SXSW 2016でのYOSHIKIのスピーチにて、PATAが退院したことが明らかになった。


热门评论


最新简评(共2055条)