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风格
#日本流行
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

中 文 名 五轮真弓

日 文 名 五輪真弓(いつわ まゆみ)

出生日期 1951年1月24日

出 生 地 东京都中野区

职    业 歌手

经纪公司 ソニー・ミュージックエンタテインメント

事 务 所 ロレイユ

代表作品:《约束》、《恋人啊》、《再见不许说》、《重演》等

艺人简介

五轮真弓,1951年1月24日出生于东京都中野区,日本创作女歌手。主要作品有《约束》、《恋人啊》、《再见不许说》、《重演》等。

五轮真弓少时曾受到良好的古典音乐训练,弹得一手好钢琴,并且精通法文。1972年,21岁的五轮真弓出版了个人第一张大碟《少女》,在这张专辑里她即显露出了大将风范,展示了惊人的创作才华———几乎包办了专辑内所有作品的词曲创作。后来,五轮真弓以平均每年一张唱片的速度向乐坛绽放芬芳,并开创了属于自己风格的音乐路线。大约在70年代末,她即沉稳地跃上了日本著名女歌手之列,在80年代到来时,她攀上了个人事业的高峰,先后出版了一些最具有代表性的专辑,例如《恋人啊》、《潮骚》、《风之诗》等广受好评的专辑,盛行一时。此后,她的音乐事业进入了平稳期,80年代中期后,这位实力派女歌手稍稍减慢了出新专辑的速度。进入90年代,她的创作能力明显有所衰退,在1990年、1991年、1992年、1994年出版过四张专辑后,她遂淡出歌坛,隐身幕后,基本已不再出个人大碟。1998年,她再次露面创作了一张《21stCenturyMayumiItsuwa》,从此告别歌坛。

演艺经历

1972年10月,CBS索尼(现·索尼音乐娱乐)相比,单曲《少女』初次亮相。在美国的水晶·工作室录音,在美国加利福尼亚州的水晶·工作室进行录音,在这个录音中也参加了颂歌·王,奥林匹克自己也在大众传媒被称“日本造颂歌·金”。此后,サルヴァ托尔·アダモ介绍法国也博得人气。

1980年发表的单曲『恋人』当初是B方面(偶联)用的曲子,不过,在歌放入后被那个极好的魅力作为A方面被发售了的事。“恋人啊”是大安全,成为她的代表曲,在同年的日本唱片大赏金奖。此后,美空云雀和被小等的重要的舞台·节目,成为了后世的曲子。另外《恋人啊』的安全而奥运会松任谷由実·中岛美雪·竹内被称为女性新音乐的代表性的艺术家。顺便说一下,这首歌是CBS索尼信浓町的工作室录音。编曲船山基紀,实际的录音时演奏钢琴的键盘乐手。当时红角儿工作室音乐家、合成器&キィーボードプレーヤーmaki灭亡了。录音室在当时CBS索尼的录音课的铃木。但是,今后,将流行歌曲爱好者为笼络,但也被认为对到那个为止的爱好者有反抗的倾向。

NHK红白歌会战期间,是1980年《恋人啊》,1981年《复刻》,1986年的《时光的流逝~变成鸟~》、1987年《心之友》,1988年《Wind and Roses》,第5回出场时完成了。

1980年代在东南亚的活动也有很多。

プロファイル

名    前 五輪真弓(いつわ まゆみ)

誕 生 日1951年1月24日

出 身 地 東京都中野区

職    業 歌手

レーベル ソニー・ミュージックエンタテインメント

事 務 所 ロレイユ

代 表 作 「拘束」、「恋人」、「さよならは言わないで」、「再演」など

アーテイスト紹介

五輪真弓(いつわ まゆみ、1951年1月24日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。東京都中野区出身。

芸能経歴

1972年10月、CBS・ソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)より、アルバム(『五輪真弓/少女』)・シングル(「少女」)同時発売でデビュー。ファーストアルバム『五輪真弓/少女』はアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスのクリスタル・サウンド・スタジオでレコーディングされた。このレコーディングには五輪のデモテープを聴いて感銘を受けたキャロル・キング、チャールズ・ラーキーも参加し、ストリングスの中ではデヴィッド・キャンベルがビオラを弾いている。アルバムはオリコンでは最高6位にランク。いわゆる海外レコーディングを商業的に成功させた先駆者としても日本の音楽界に大きな影響を与え、その後さまざまな歌手やミュージシャンたちがそれに追随した。

マスメディアでは「和製キャロル・キング」と謳われ、日本女性シンガーソングライターの草分けと呼ばれた。

1976年、最新アルバム『Mayumity』を絶賛したCBSフランスから現地(フランス)でのアルバム制作の申し出があり、初めての渡仏。翌年全フランス語による『MAYUMI』が発売された。機を同じくして、サルヴァトール・アダモと出会い、彼の2週間にわたるオランピア劇場でのコンサートにゲストとして招かれた。

また、この時期以降積極的にTV等メディアへの露出も増えていく。特に1978年3月21日発売の「さよならだけは言わないで」のヒットにより、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』やTBSテレビ『ザ・ベストテン』(今週のスポットライト・コーナー)など、歌番組への生出演が多く見受けられるようになる。

1980年にリリースされたシングル「恋人よ」は当初はB面(カップリング)用の曲であったが、歌入れの後にその出来の素晴らしさにA面として発売されることになった。「恋人よ」は大ヒット、彼女の代表曲となり、同年の第22回日本レコード大賞金賞を受賞した。その後美空ひばりや淡谷のり子の重要なステージ・レパートリーにもなり、後世へと伝えられる曲となった。

ちなみにこの曲はソニーの六本木スタジオにて録音された。編曲は船山基紀である。

しかしこれ以降、歌謡曲ファンを取り込むことになった反面、それまでのファンは抵抗を感じた向きもあるといわれる。これに対して五輪はこう言っている。

1980年代後半からは結婚・出産・育児のため活動をセーブし、表立った活動を控えていた時期もあったが、2000年代に入ってからは徐々にその活動を再び活発化させており、近年、その古典的かつ普遍的な作風は、豊かな声質と歌唱とともに、国内外で高い評価があがっている。

NHK紅白歌合戦には、1980年「恋人よ」で初出場を果たし、1988年まで通算5回出場している。

2015年現在、ソニー・ミュージックに所属している日本人女性歌手では在籍期間が最も長い(男性歌手を含めると郷ひろみに次ぐ長さ)。また、日本人シンガーソングライターとしては最長の在籍期間である。

海外での人気

1980年代には東南アジアでも「心の友」(元々は1982年発売のアルバム『潮騒』収録の楽曲)を中心にヒットが多く生まれた。「恋人よ」は現在も中国・韓国・ベトナムなど東南アジア各国で根強い人気を博している。

インドネシアでは、「心の友」は知らない人がいないくらい有名な作品である。インドネシアのラジオ関係者が日本で五輪のコンサートへ行き、その際買ったアルバムの中にこの曲が入っており、インドネシアのラジオで流したことで人気となった。五輪としては、地味な曲だけに何故インドネシアで「第二の国歌」とまで言われるまで大ヒットしたのかが不思議だった。インドネシアでは日本人が来ると歓迎の意味で、この曲を日本語で歌ってくれることが多い。また、スマトラ島沖地震での復興の際にも被災者の支えになったといわれている。2005年には、インドネシアの歌手・DELON(インドネシア語版)と共に、スマトラ沖地震チャリティ・シングルとして「KOKORO NO TOMO」をリリースしている。

ライブでは、1982年・香港・香港スタジアムで初の日本人ワンマンコンサートを行い8000人の香港ファンが駆けつけた。翌1983年再び香港に渡り、クイーンエリザベスホールで2日間のコンサート。そして2014年7月15日、31年ぶりとなる香港でのコンサート会場、コンベンションエグジビジョンセンターは5000人の観客で埋まった。 1986年5月:インドネシア・ジャカルタのスナヤン コンベンションホールで、ワンマン・コンサート。7000人の動員。 1992年5月:マレーシア公演。 (主催:国際交流基金、会場:プトラ・ワールド・トレード・センター、ゲスト:シーラ・マジツト。)


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