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风格
#日本流行
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

島袋寛子 (しまぶくろ ひろこ、hiro、1984年4月7日 A型)

今井絵理子 (いまい えりこ、elly、1983年9月22日 O型)

上原多香子 (うえはら たかこ、1983年1月14日 A型)

新垣仁絵 (あらかき ひとえ、HITOE、1981年4月7日 AB型)の4人。

いずれも沖縄アクターズスクール出身。

島袋寛子

メンバー最年少。メインヴォーカルを担当。突き抜けるような高音が特徴。最年少とは思えない受け答えでよく「しっかり者」と言われていた。年上の上原がいつも甘えていたほどである。が、一方で何事にも真剣に考え悩む一面があり、精神的な“もろさ”も持ち合わせていた。 性格が非常に真面目で「正義感が強い」「自分の心に嘘つかない」等コメントも真面目なものばかり。グループ解散後はポップスの他、ジャズ、また歌手活動以外にも、映画やミュージカルにも挑戦している。

今井絵理子

メインヴォーカルを担当。パンチのある歌声で特にアップテンポの曲でリーダーシップを取っていた。ライブを盛り上げるのがうまく元気で「ステージの人」とも言われる。 人一倍仕事熱心で、仕事に関して自分にも他人にも厳しかった。何でも自分が納得できるまでチャレンジし、きつい事でも率先してやっていた。時にはやる気の見えないメンバーに激怒したこともあったという。自分の仕事が少なくてムシャクシャしていたというエピソードも今井らしい。また、解散に対して唯一消極的で(メンバーそれぞれの道を尊重したものの)できればしたくないとしていた。グループ解散後は歌手の他に女優としても活動。

上原多香子

ダンス&コーラスを担当。美人なのに天然ボケで、おしゃべりで甘えん坊で、誰でも話しやすい雰囲気を持っていた。 そんな上原を島袋は「全てを調和する存在」と評価、振付師の中尾有里も「飄飄としていたけど、おとなしい寛子をいつも引っ張っていたのも多香子。グループのバランスを図っていたしっかり者」と称賛を惜しまなかった。なお、上原は島袋とよほど気が合うのか、TVなどでじゃれ合う姿が目立っており、ファンやスタッフの間で“仲良しコンビ”と専らの評判だったが、 その一方で島袋と今井、島袋と新垣は(仲が悪いわけではないが)互いに年齢や性格、仕事の関係上、やや話しづらかったと語っていた[1]。 グループ解散後は歌手・女優・CMモデルと、タレントとして幅広い分野で活動している。

新垣仁絵

メンバー最年長。最年長ということもあり、グループのリーダーである。メンバーの意見をまとめたり、料理を作ったり、宿題の点検をしたりするなど、まるでメンバーの母のようであった。SPEEDではダンスとコーラスを担当していたが、中でもダンスのセンスはグループ髄一で与えられた振りを崩して自分流にアレンジしていた。 性格は「怒ると怖い」ということ。初期の頃、今井と些細な事から大喧嘩して以来メンバーに「怒らせると怖い」という認識を植えつけてしまったという(自称SPEEDの“裏ボス”だと語っていた)。一方でオヤジギャグを連発するなどお茶目な一面も見せており、リーダーとして、あるいはメンバーの一人として、二つの顔をうまく使い分けていた。グループ解散後はファッションデザイナーやイラストレーターとして活躍。

大事件

ユニット名の由来

メンバーの今井絵理子が短距離走を得意とし、50mを7秒台で走るという瞬足であったため。

デビュー

東京にある月島の『上州屋』というもんじゃ焼きのお店はSPEEDがデビューしてまだ間もないころ、毎週のように訪れていた。このお店にはSPEEDの写真が飾ってあったりした。『解散直前!!SPEED』という番組で、SPEEDが解散前にミュージックステーションで行われるラストライブの話し合いをするためにも訪れた。『解散直前!!SPEED』では、SPEEDが過去にミュージックステーションに出演した際の映像などが放映された。

東京の謎

SPEEDが上京して間もないころ、沖縄では電車がないので、東京で電車に乗ろうとすると迷子になることが多かった。SPEEDのメンバー全員は「渋谷などで、なぜ地下鉄は地下にはなく、上にあるのか」が疑問だった。必ずハチ公前に出てしまっていたらしい。

渋谷などに買い物に行っても、ファンに追いかけられて買い物ができないことが多かった。だがメンバー全員「追われるのが面白い」、「スリルがある」と言って、追いかけられるのを当時は楽しんでいるようだった。それからはメンバーが2人以上で行動しているとファンに追いかけられるため、4人で買い物に行く際も集合場所と集合時間を決めて、4人バラバラで買い物をしていた。

明確だった役割分担

SPEEDは主に島袋、今井…ボーカル重視、上原、新垣…ダンス重視というスタンスを採っており個々の存在意義がハッキリしていた。

なお、例外として、新垣と上原がメインボーカルを務めた“ライブでのみ披露され未だCD化されていない楽曲”「リトルワールドへようこそ」等がある。

歌唱形態はユニゾンヴォーカル

SPEEDの歌唱形態は基本的には、シングル・アルバムの楽曲ほとんどが、今井絵理子と島袋寛子のユニゾンや二人の掛け合いの歌唱形態であり、バックコーラス(重唱)とバックボーカルの多くは、Melodie SextonとLeon Danielの2人である。これについてプロデューサーの伊秩弘将は「ユニゾンの方があの時期の少女のパワーとメッセージがよりストレートに伝わると信じていた」と説明している。

隠れたヴォーカル!?男女の黒人コーラス

SPEEDが憧れるミュージシャンに黒人コーラスグループ「TLC」がいる。その影響なのか大半の曲に男女の黒人コーラスが採用された。一部の曲ならまだしもここまで全面的に押し出すのは極めて稀。しかもコーラスだけに止まらずソロパートまでもが多数存在する。(事実、デビュー曲「Body & Soul」の出だしと終わりは黒人パートである)もはやヴォーカルメンバーと言われても何ら不思議はない。

SPEEDのPV

海外でのロケ撮影のものが多く、1stシングル『Body & Soul』のPVもサンフランシスコで撮影され、メンバーは初の海外旅行を経験した。おもなロケ地は以下の通りである。

Body & Soul・・・・サンフランシスコ、ロサンゼルス

Go! Go! Heaven・・・・ニューヨーク、マイアミ

Wake Me Up!・・・・フィリピン

ALL MY TRUE LOVE・・・・アリゾナ

Precious Time・・・・ロサンゼルス

SPEEDは一度、脱走事件を起こしたことがある。仕事でロサンゼルスからハワイに行く時、ロサンゼルスがすごく楽しくて、ロサンゼルスの空港でメンバー全員で逃げようと空港の外に出て行ったが、「帰って来い」と言われてメンバーは素直に戻って行った。

SPEEDはデビュー当時、よくミーティングを行っていた。喧嘩になることもしばしばあったが、次の日などには反省してまた仲直りしていた。(メンバー全員談)

番組出演

SPEEDがHEY!HEY!HEY!に出演した時、トーク中にダウンタウンの松本人志に頭を強く叩かれ、新垣が泣いてしまうという出来事があった。それから毎回SPEEDが出演する際に妙な空気が漂うことが多くなり、その事件後に番組からの配慮からかメンバーの位置を変えたりしたりしていた。新垣はSPEEDが解散するまでずっとこの出来事を引きずっていた。解散前のSPEEDとして最後に出演した際の『SPEEDが選んだHEY!HEY!HEY!思い出のVTR・BEST5』というコーナーではこの事件が堂々の1位になった。今井がソロで出演した時、ダウンタウンに「夏のツアーに来てください」と誘い、渋っていたため、松本に「仁絵ちゃんもいますよ」と言ったところ、松本は「僕は仁絵ちゃんのこと大好きなんですけど、仁絵ちゃん、僕のこと大嫌いですからね」とぼやいていた。

SMAPの中居正広からは時々、四姉妹(新垣→「長女」、上原→「次女」、今井→「三女」、島袋→「四女」)と呼ばれていた。

SPEEDは沖縄出身のため、雪を知らなかった。だが『これが日本の正月だ』という番組で、札幌北広島プリンスホテルファミリースキー場にて、初めて雪を体験した。

主な支持層は同世代の少女達

SPEEDは主に同世代の少女達に人気を博した。CD購入者は女性が中心、ライブでは黄色い声援が飛ぶ「新世代アイドル」と呼ばれた。従来のガールズユニットのコンサートはそれなりに女性の支持を得ている歌手でも現場では親衛隊が図太い声でコールを送るという光景が恒例化していたがスピードに限ってはそれが見られなかった。そのため、芸能界では近年、SPEEDのファンだったという芸能人が続々とデビューしている。矢口真里、中島美嘉、ソニン、ベッキー、後藤真希、川嶋あい、上野樹里、松浦亜弥、石原さとみ、長澤まさみ、新垣結衣、堀北真希、玉置成実、上原奈美、リア・ディゾン、Perfumeなどが有名で、その中でも矢口、ソニン、後藤、上野、松浦、新垣、玉置、上原、PerfumeはSPEEDに影響されて芸能界に入ったという。またリア・ディゾンは初めて手に取った日本のCDがSPEEDのCDで、それをきっかけにJ-POPを聴くようになったという。いずれも同世代かやや下の世代の少女達でSPEEDがこれらの世代に与えた影響力は計り知れない。

呼び名

メンバーそれぞれのニックネームとしては島袋は「宇宙人(可愛い宇宙人のイメージ:今井談)」や上原の「うーちゃん」などがあったが、とくに有名だったのが今井の「みかん星人(当時はみかんが好物で、1日約50個食べたこともあったため)」や、新垣の「腰振りマン(ダンスのときによく腰を振っていたため名づけられた:メンバー全員談)」などである。

解散後

2006年3月15日放送の世界仰天ニュース内で女子高生100人に「初めて買ったCDは何ですか?」というアンケートが実施された。そこで発表された5位までにSPEEDの曲が3曲ランクイン。当項目を象徴する結果となった。

1位「White Love」23人、2位「硝子の少年」10人、3位「STEADY」6人、4位「Body & Soul」5人、5位「だんご3兄弟」4人 〈補足〉

現役時代とソロ活動開始時の所属レコードはトイズファクトリーであったが、現在はそれぞれ、エイベックスに所属している。

SPEEDという英語の語源は成功・繁栄という意味であり、彼女たちはまさに「名は体を現す」存在であったといえる。

再結成した訳でないが、2007年7月の中越沖地震の際には、「読売愛と光の事業団」を通し、4人の連名で義援金を寄付している。


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