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风格
#日本流行
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

中 文 名 大黑摩季

日 文 名 大黒摩季(大黒 摩紀 おおぐろ まき Ohguro Maki)

出生日期 1969年12月31日

出 生 地 日本北海道札幌市南区

身    高 161.5CM

职    业 摇滚歌手

毕业院校 藤女子高等学校

经纪公司 ビーイング(2016年-)

事 务 所 ビーイング

代表作品 STOP MOTION、POWER OF DREAMS、BEST OF BEST等

艺人简介

在发表的很多歌曲中,“恋爱中的人(特别女性)的真心”是很出色的,近年来特别是女性歌迷。

中性的歌唱方式、时尚,摇滚颜色强的曲子构成相反,献身、牺牲自我性也可以理解女性的细腻心理高歌的绝妙的平衡的评价,男女歌迷层厚。

被求婚的时候马上回信,之后不保留的约会中“时候一到,恶人遭报吗”的大黑嘟囔着“年贡呢,藏开着不缴纳,只是陈米。”被退回的词“ヤル的”感动决定同他结婚。

11月11日11点11分在区政府提交婚姻申请书,但是2人也在贪睡的当日下午1点11分提交了。

结婚报告的时候把丈夫称为“音乐界是相当远的世界,是一个穿不着朴实的西装的王子”。

演艺经历

1989年试听(第3回BAD选秀)合格。此后,B ' z,ZARD,TUBE、松本孝弘,T - BOLAN,DEEN织田哲郎等的幸福系艺人担任和声。

1990年春(安宅后KIX - S结成)的吉他专辑“孤独”的主唱RUNAWAY嘉宾参加(当时的记载是大黑摩紀),山久美子的“WHY ?」「LOVE & PEACE”“BIBBIDI,BOBBIDI,BOO”覆盖。

1991年CM NETWORK的一员而《GO!GO!贵花田》的歌曲。

因为歌手出道不在,所以辞职后向美国旅行。之后,从社长那里得到了电话,为了向歌手出道的话前进了回国。

1992年,『STOP MOTION』初次亮相。第二张单曲『DA·KA・RA』百万销量记录,日本唱片大奖“新人奖”获奖。以后,“再』,『只凝视着你》、《夏天到来》、《们·们·们》、《灼热》等热门歌曲出。出道后几年没有暴露在现场,媒体演出和live活动。因此,“大黑摩季歌手担当,照片上露面,模特担当作词·作曲担当和三人各自的”“大黑摩季计算机被做了的东西不存在”的都市传说还存在的(同样的ZARD的主唱・坂井泉水和小松未步的举出(举行)存在。

作为数不多的电视演出,在出道前的1992年5月17日在富士电视台「音乐博览会」上,电视首次演出。B ' z和近藤房之助坪仓唯子的名曲,以前唱企划的合唱,但唱歌之前的大黑是B ' z等人横一线排列,主持人名字被介绍。另外在1996年《灼热》的主题曲亚特兰大NHK奥运转播了关系,同局的『圣代体育』演出采访中回答。

1996年6月1日,当时关于幸福赞助了电视节目“ROX”(关西电视台)第一次被特集,业余时代的往事等采访。

1997年8月1日彩虹广场有明在特设的舞台举行了首次的单独表演实况录音『LIVE NATURE # 0 ~ Nice meet to you〜』,第一次正式爱好者前现出身姿。这次演出的一部分是“音乐站”进行了现场直播外,大黑摩季LIVE BEATs部分收录的。以后,举办全国巡演。

在那以前,一点点地站在舞台上。1990年5月横滨鸟举行的近藤房之助和小岛陈设的LIVE嘉宾的主唱参加。1996年2月和3月在大阪・心斋桥有在咖啡馆举行了Sunday布鲁斯LIVE君超的舞台作为嘉宾参加的。其他也有“大黑摩季”作为个人,1996年9月21、22日在札幌举行的“邮政爱拨片北海道大会,大会”的主题曲和当时是未发表了「风」(后来专辑“大”OF DREAMS收录)提供的缘分,大会闭幕后选手和大会董事,员工等导致举行的后夜祭惊喜登场迷你LIVE进行过。

1999年,全国巡演《NATURE # 3”举办LIVE。在夏天,与巡演最终的特别LIVE在千叶海洋球场毅然实行。12月31日在奈良・东大寺举办的倒计时实况录音现场宣言充电休养。2001年古巣幸福退出了东芝EMI唱片公司转会活动再开(结果要出处],[幸福方面的CD,“幸福”作词工作人员被赋予了)。8月8日复归第一弹单曲《彩虹ヲコエテ》发表。

2003年,专辑『RHYTHM虽然是BLACK》引领,全国巡演《Live BOMB!LEVEL . 3”举办。11月11日,与朋友的介绍相识的公司职员和入籍。初次见面的时候,男性回答不知道黑的事,回答“艺术家?画家吗?”。

2004年,武部聡志土屋公平、真矢,恩快人等人拷贝带“大黑摩季和结成朋友”。80年代的名曲的专辑『BAND复印COPY亚细亚功夫世代會. 1》发表。单曲《ASAHI〜〜』SHINE & GROOVE曲棍球雅典奥运会女子日本代表官方支持歌曲被起用。这首歌是大黑偶然看到的电视节目出演的曲棍球女子日本代表选手说了女子曲棍球的现状听,自己的奋斗时代的身影重叠什么都不能做呢,被做了的东西。在完成的时候,访问了代表队的集训地听了的事。

2005年,时隔2年的新作《HAPPINESS》发表,7月15日开始全国巡演《Live BOMB!LEVEL . 4”举办。12月第一次举行的日本武道馆单独live。同31日,ナガシマ超市乐园(三重县)进行倒计时LIVE进行。

2006年,首次的叙事诗单曲『蝴蝶梦』在CX中的日剧「新・风的圆舞曲」主题曲。3月民谣精选专辑《weep》发表。5月15日,随着世界杯选手发表,FW选出的大黑将志和卷诚一郎(两人配合大黑摩季(卷)所以),朋友中田英寿助威。顺便说一下,黑黑卷的共演没有实现。10月20日开始全国巡演《Live BOMB!LEVEL . 5~出道15周年企划·比较提前各地客户大感谢tour“dive亮Maki Best”+〜”举办。

2007年4月9日,北海道立学校来说是首次的“初高中连读”诞生的登别明天(登别的あけび)中等教育学校的开学典礼作为神秘嘉宾登场。ノーギャラ作词作曲的学校的校歌“明天(あけび)的天空”生披露,新生们震惊了。4月18日的单曲『这个数据ii之?!/恋爱的恶魔- She ' s no Angel》发表。“这个数据ii之?!』是前面说的『Live BOMB!LEVEL . 5』巡回展出,和观众一起跳舞的舞蹈动作,装饰着享受的号码。大黑摩季说现在的好词是考虑是否到达的东西“这个数据ii之』云う语言“这样就好?」“这个数据ii诺”大黒流的后背耶鲁的语言。5月24日,东京青年会议所和2016年东京奥运会的学生会举办的活动,举办“奥运会”,“奥运会”,免费演唱会。对奥运会的市民运动高涨起来了。5月25日,夕张市,种植了2万本的樱花和红枫,以地域再生的「幸福的樱花和枫叶」项目开始,在同市内的煤炭的历史公园内加入纪念植树会。首次披露了新曲「樱花心」。10月,大黑摩季和朋友的重组,青春摇滚livehouse巡演。年末东京全日空洲际饭店其他首次的晚餐秀举行了。同年5月27日去世的ZARD・坂井泉水的6月26日的音乐葬。随后记者阵始终一边大哭对“关怀出色的女性。”等意见。

2008年2月9日开始全国巡演《MAKI OHGURO Live Bomb!Level . 6第15 Anniversary Final Tour ~谢谢!然后…POSITIVE SPIRAL〜』(全21场公演)举办的。

プロファイル

名    前 大黒摩季(大黒摩紀 おおぐろ まき Ohguro Maki)

誕 生 日1969年12月31日

出 身 地 日本北海道札幌市南区

身    長 161.5CM

職    業 ロック歌手

卒業学園 藤女子高校

レーベル ビーイング(2016年-)

事 務 所 ビーイング

代 表 作 OFFSTOPMOTION、パワーDREAMSベスト・オブ・オブ・ベストなど

アーテイスト紹介

大黒 摩季(おおぐろ まき、1969年12月31日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。所属事務所はビーイング。北海道札幌市南区出身、藤女子高等学校卒業。実家は老舗菓子札幌キムラヤで前社長の長女、現社長の姉である(製パン業)。

3歳からクラシックピアノを始め、小学校の頃から作曲をしていた。幼少の頃はオモチャがピアノだったという。札幌にある藤女子高等学校を卒業後に上京する。 また非常に交友関係が広く神田うの、藤原紀香やはるな愛、川島なお美夫妻や山田邦子夫妻、森三中など多数。夫は1歳年下の一般人の為、氏名や職業は公表されていない。 楽曲提供する際にMaquita Grande Negroというペンネームを使用するときもある。

芸能経歴

デビュー前

1989年にビーイング主催のオーディション(第3回BADオーディション)に合格するも、コーラスをするよう言われる。他にもソニーやビクターのオーディションに合格しており、ソニーからは「すぐにデビューしよう」という話があったが、大黒はビーイングでの下積みの道を選ぶ。その後、B'z、ZARD、TUBE、T-BOLAN、DEEN、織田哲郎などのビーイング系アーティストのコーラスを担当する。

1990年には安宅美春(後にKIX-Sを結成)のギターソロアルバム「孤独のRUNAWAY」にゲストボーカルとして参加し(当時の表記は大黒摩紀)、山下久美子の「WHY?」「LOVE & PEACE」「BIBBIDI, BOBBIDI, BOO」をカバーしている。1991年1月にSILK(大森絹子)のアルバム収録曲「ジョン・レノンが聴こえる夜」(作詞はみなみなみ)で作曲家デビュー。TUBEの春畑道哉のソロライブツアーにコーラスとして参加。またCM NETWORKの一員として「GO!GO!貴花田」という曲を歌っている。

本人が望んでいた歌手デビューがなかなか出来ないために会社を辞めてアメリカへ旅に出たが、滞在先で社長から「歌手デビューの話が進んでいる」という旨の電話連絡を受け帰国、会社に復帰して活動を再開した。

デビュー以降の活動

1992年、「STOP MOTION」で歌手デビュー、ドラマ主題歌という大型タイアップがつくもセールスはいまいちだった。2ndシングル「DA・KA・RA」がCMのタイアップがつき問い合わせが相次ぎ結果的にヒットチャートを上昇しミリオンヒットを記録し、第34回日本レコード大賞新人賞受賞。以降、「チョット」「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」「熱くなれ」等のヒット曲を出す。デビューしてから数年は露出を控え、メディア出演やライブ活動をすることはなかった。そのため、「大黒摩季は歌手担当、写真で顔を出すモデル担当、作詞・作曲担当とそれぞれ3人いる」「大黒摩季はコンピューターで作られたもので実在しない」という都市伝説まで存在した[1]。また、デビュー当時は所属事務所のプロフィール欄に1972年生まれと記載されており、年齢を詐称していた。[要出典]1996年度の長者番付では歌手部門10位となる。

数少ないテレビ出演としては、デビュー前の1992年5月17日にフジテレビ『ミュージックフェア』において、初出演を果たしている。B'zと近藤房之助、坪倉唯子が昔の曲を歌う企画のコーラス参加だが、歌う前に大黒はB'zらと横一線に並び、司会に名前を紹介されていた。また1996年に「熱くなれ」がNHKのアトランタオリンピック中継テーマソングとなった関係から、同局の『サンデースポーツ』に出演しインタビューに答えているほか、同年6月1日には当時ビーイングがスポンサーに付いていたテレビ番組『ROX』(関西テレビ)の第1回で特集され、アマチュア時代の思い出を語るなどインタビューに応じている。

1997年8月1日にレインボースクエア有明特設ステージで行われた初のソロライブ『LIVE NATURE#0〜Nice to meet you〜』で、初めて本格的にファンの前に姿を現す。このライブの一部はテレビ朝日『ミュージックステーション』で生中継されたほか、ライブ・ビデオ『大黒摩季 LIVE BEATs』に一部収録されている。このライブ以降、全国ツアーを開催するようになった。

それ以前にもわずかながらステージに立ち、姿を現している。1990年5月に横浜バードで行われた近藤房之助と小島良喜のライブにゲストボーカルとして参加。1996年2月と3月には大阪・心斎橋にあるグランカフェで行われていた、サンデーブルースLIVEクンチョーのステージに飛び入りゲストとして参加している。その他にも「大黒摩季」個人として、1996年9月21、22日に札幌で行われた「ゆうあいピック北海道大会」に、大会テーマソングとして当時は未発表だった「風になれ」(のちにアルバム『POWER OF DREAMS』に収録)を提供した縁で、大会閉幕後に選手や大会役員、スタッフなどを招いて行われた後夜祭にサプライズ登場し、ミニライブを行ったことがある。

1999年、全国ツアー『LIVE NATURE #3』を開催する。夏にはツアーファイナルとなるスペシャルライブを千葉マリンスタジアムで敢行する。12月31日に奈良・東大寺で開催されたカウントダウンライブで充電休養を宣言する。2001年にはビーイングを脱退し、古巣の東芝EMIにレコード会社を移籍して活動再開した(移籍以降、ビーイング側のCDでは作詞に「ビーイングスタッフ」と付けられている)。8月8日に復帰第1弾シングル「虹ヲコエテ」を発表した。

2000年代

2003年、アルバム『RHYTHM BLACK』を引っさげて、全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.3』を開催。11月11日、友人の紹介で知り合った会社員と入籍。初対面の際、男性は大黒のことを知らず、「アーティスト?画家ですか」と訊かれたと、大黒は語っている。

2004年、武部聡志、土屋公平、真矢、恩田快人らとコピーバンド“大黒摩季とフレンズ”を結成。1980年代の曲をコピーしたアルバム『COPY BAND GENERATION VOL.1』を発表。シングル「ASAHI〜SHINE & GROOVE〜」がアテネ五輪ホッケー女子日本代表オフィシャルサポートソングに起用される。この曲は大黒が偶然見ていたテレビ番組に出演していたホッケー女子日本代表の選手が話していた女子ホッケーの現状を聞き、自分の下積み時代の姿と重なり何か出来ないかと思い作られたもの。出来上がった時には代表チームの合宿地へ訪問して聴いてもらったとのこと。

2005年、2年ぶりの新作『HAPPINESS』を発表し、7月15日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.4』を開催。12月には初となる日本武道館単独ライブを行う。同31日、ナガシマスパーランド(三重県)にてカウントダウンライブを行なう。

2006年、初のバラードシングル「胡蝶の夢」がフジテレビ系昼ドラマ『新・風のロンド』主題歌に起用される。3月にはバラードベストアルバム『weep』を発表する。5月15日、ワールドカップ選手発表に伴って、FWに選出された大黒将志と巻誠一郎(二人合わせて大黒摩季(巻)だから)、友人の中田英寿にエールを送った。ちなみに「大黒巻」の共演は実現しなかった。10月20日より全国ツアー『Live BOMB!LEVEL.5 〜デビュー15周年前倒し企画・わりと津々浦々お客様大感謝TOUR “ダイブ見せますMaki Best”+ 〜』を開催。

2007年4月9日、北海道立校としては初の「中高一貫校」として誕生した北海道登別明日(のぼりべつあけび)中等教育学校の開校式にサプライズゲストとして登場。ノーギャラで作詞作曲を手がけた同校の校歌「明日(あけび)の空に」を生で披露した。

4月18日にシングル「コレデイイノ?!/恋の悪魔 -She's no Angel-」を発表。「コレデイイノ?!」は前出の『Live BOMB!LEVEL.5』ツアーで披露され、観客と共に踊れる振り付けが施されている。大黒曰く今時のイイ言葉はないかと考えて辿り着いたものが「コレデイイノ」と云う言葉であり、「これでいいの?」に「コレデイイノ!」と大黒流の背中を押すエールの言葉となっている。

5月24日、東京青年会議所と2016年東京オリンピックを望む学生の会が開催するイベント、「オリンピックを東京に2016!」にて、無料ライブを開催。

5月25日、夕張市において2万本のサクラやモミジを植え、地域再生を図る「しあわせの桜ともみじ」プロジェクトがスタートし、同市内の石炭の歴史村の公園内で記念植樹会に参加。新曲「桜ごころ」を初披露した。

5月27日(デビュー15周年日)、同日放送のフジテレビ『ウチくる!?』に出演。番組内で司会の中山秀征からの(バックコーラス担当時代の思い出として)「他のアーティストで『下手糞だなー』って思う人いたでしょ?」という質問に対し、「はい。なんであんたの気持ち悪い音程に私が合わせて歌わなきゃいけないの?って。結局顔かよ!結局体かよ!ってね」と答える場面があった。この発言が偶然にも同日死去したZARDの坂井泉水を指しているのではないかとの噂が立った(この時、中山からの「どんな人のコーラスに参加してたの?」という質問の際にも「B'z、TUBE、ビーイング」という語句を出してZARDは出さなかった)。その後、大黒のブログが炎上する事態に発展した[3]。なお、大黒の歌手デビュー日と坂井の命日はどちらも5月27日である。

6月26日、死去した坂井泉水の音楽葬に参列した。その後記者陣に対して終始泣き崩れながら「心遣いが素敵な女性でした」とコメントした。大黒と坂井はZARDのコーラス・レコーディングが終わった後、イタリア料理店で音楽の話をしたこともあった。

8月19日に38歳でこの世を去ったプロウィンドサーファー飯島夏樹の誕生日に、表参道ヒルズにて飯島へ捧げた曲、「HEVEN'S WAVES」を披露した。ハワイで行われた葬儀で流された。飯島と大黒はサニーサイドアップ所属。

10月、大黒摩季とフレンズを再結成し、青春ロックライブハウスツアーを開催。年末にはANAインターコンチネンタルホテル東京他で初のディナーショーを開催した。

2008年1月30日にアルバム『POSITIVE SPIRAL』を発表。2月9日より全国ツアー『MAKI OHGURO Live Bomb! Level.6 15th Anniversary Final Tour 〜ありがとう! そして…POSITIVE SPIRAL〜』(全21公演)。5月17日、ツアーフィナーレのスペシャルライブをパシフィコ横浜で開催した。年末は2007年に引き続き、グランドプリンスホテル高輪他でディナーショーを開催した。

2009年2月4日に初のセルフカバーアルバム『LUXURY 22-24pm』とライブDVD『Maki Ohguro Live Bomb!!Level.6 15th Anniversary Super Final in パシフィコ横浜 〜My Music My Life〜』を同時発表。3月29日よりライブツアーを横浜BLITZ、Zepp Tokyo他全16公演開催した。

2007年公開の映画「LIFE〜天国で君に逢えたら」のモデルとなったプロウィンドサーファー飯島夏樹の小説がTBSドラマ、「JNN50周年記念 スペシャルドラマ 天国で君に逢えたら」でオンエアーが決定。放送日 2009年9月24日。そのテーマソング『最後のラブレター』を手掛けた。

8月29日に一夜限りのファンクラブイベント、〜一見さんお断り〜「スナック摩季」を渋谷DUOにて行われた。

活動休止

2010年8月24日に子宮疾患の治療のため、2010年10月末で無期限活動休止を発表した。疾患は1996年には発覚していたが、子宮腺筋症だけでなく、左卵巣嚢腫、子宮内膜症、子宮筋腫も併発し他の内臓を圧迫しており、これ以上の肥大は子宮全摘出しか方法がなくなる可能性があり、また治療のための体外受精や流産を繰り返しており、2010年にきて治療のために活動停止をせざるを得ない状況となった。しかし、翌年の2011年にRESTART JAPAN with TUBEの楽曲である『RESTART』のレコーディングに参加している。

2014年には北海道夕張郡長沼町にて町内の三つの中学校の統合により新設される『長沼町立長沼中学校』の新校歌の制作を依頼され、「道産子として恩返しをしたい」と快諾、自らの作詞・作曲により『希望の丘』と題する新校歌を描き下ろして完成させ、新しい中学校に贈っている。

2015年には、スカイマークの応援歌を手掛け、約4年半ぶりとなる本格的なレコーディングも実施した。応援ソング制作のきっかけは、スカイマーク社が大黒が2010年に発表した楽曲「TAKE OFF」の使用許可を取ろうとしたことで、このたび制作された応援ソングも同曲を原曲としている。タイトルは「TAKE OFF ~SKYMARK, Cheer UP← version~」で、スカイマーク社員たちに寄り添った応援歌にしたいという考えから、大黒自ら原曲の歌詞を3割程度変更し、「青く光る Skymark」などのフレーズも盛り込まれた。さらに、同年3月19日には、Youtube上で本曲とスカイマークの映像を用いた動画が公開された。

ビーイングでの再始動

2015年には、大黒の古巣ビーイングの所属歌手La PomPonへ楽曲提供をするなど作家としての活動を本格化。9月16日リリースのシングル「謎」のカップリング「ヤダ!嫌だ!ヤダ!~Sweet Teens ver.~」の作詞を担当。4月にリリースされたLa PomPonの2ndシングル「HOT GIRLS」のカップリング曲「恋はずーく☆ダンス」にて「Maquita Grande Negro」というペンネームでも楽曲提供している。その他TUBEやアンティック-珈琲店-などビーイング所属のアーティストへの楽曲提供、ビーイング在籍時に多くの作品でコーラスを担当していたZARDのデビュー25周年記念サイトへのメッセージの寄稿[8]、2016年5月18日に発売の「d-project with ZARD」にゲストボーカルで11曲参加する[9]など、古巣ビーイングでの活動が活発化してきた。

2016年6月20日、6年ぶりに活動再開と再びビーイングに所属することが発表され、8月11日開催のファンクラブイベント、8月13日の野外フェス「ライジング・サン・ロックフェスティバル」の参加が発表となる[10]。

また、8月10日に6年ぶりの新曲となるシングル「Higher↗↗Higher↗↗」が配信限定でリリースされた


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