小档案
姓 名 森久保祥太郎(もりくぼ しょうたろう)
出生日期 1974年2月25日
出 生 地 东京都
血 型 B型
身 高 165cm
事 务 所 ヴィムス
艺人简介
森久保祥太郎,1974年2月25日,东京都出身,所属事务所为VIMS,唱片公司为Lantis。带一点鼻音听起来有点“洋腔”的语调使他的声音辨识度极高,轻浮慢悠的口气很有贵族气息。拥有广域声线的森久保祥太郎,出道以来,时而饰演帅气的男生,时而饰演可爱的小孩。主要代表作品及角色有《闪灵二人组》天野银次,《NARUTO》鹿丸,《网球王子》切原赤也,《最终幻想7》卡丹裘,《薄樱鬼》冲田总司,《歌之王子殿下》寿岭二。《飙速宅男》卷岛裕介等。除了声优工作,同时也热爱音乐。作词、作曲、编曲、演奏,被誉为“声优界无与伦比的音乐才子”。把自己的家改造成了Freak Out Studio。家里收藏了2000多张CD。
2007年2月22日与女声优浅川悠结婚,2009年离婚;2014年7月4日再婚,对方为一般女性。
演艺经历
如何加入声优的行列
森久保:我与一些自小在英语话剧中认识的朋友一起加入了一个剧团。某个事务所的负责人看过我在舞台上的演出后,找我录了一些示用的录音带。但我并不是十分喜欢自己的声音,也没想过要不要以声优作为职业。决定要为动画录音时,我甚至连配音是怎样也不太清楚便开始了。因为在过程中发生很多错误和麻烦,所以我想应该再没有下一次的机会。
第一次角色《爆走兄弟 Let&Go!》的四驱斗士
森久保:没错,他是个很多说话的角色。音响监督的田中告诉我“能演绎这种说话方式的角色,除了你便不作其他人选了”。这套作品原本计播放一年,幸运地可以一直做了三年。其间也有参与其他动画的配音工作,这对我来说是一种很好的磨炼。田中可说我的恩师呢!大约在开始配音一年后,我渐渐发觉自己喜欢了这份工作。
那时对自己和声优这个工作有什么想法
森久保:当中以主角为的角色令我有较深的印象。例如最初演出的电影《保卫者》的御神曲优,《魔术师奥凡》的奥芬,《超速摇摇》的堂本瞬一等角色,我十分喜欢。
除此之外还有什么特别的角色
森久保:这数年间我扮演的大多数是小孩子和坏蛋,路线上可说是有点狭窄,所以能扮演完全不同的角色实在令我感到高兴。例如《naruto》的奈良鹿丸与我以往的角色有很大的分别,他是个很怕麻烦、经常有令人意想不到举动的人,十分有新鲜感。《魔侦探洛基》的洛基是个很率直的人,在他身边总会发生很多有趣的事情。当我看过《闪灵二人组》的原作漫画后,心想假若它拍成动画的话实在很想参与其中呢。
想扮演哪个角色
森久保:全部。我会想像所有角色的形象,然后以自己的声线读出原作的对白。
实际演出的银次如何
森久保:初次正式录音时看到的趴地的银次(变得好像趴地熊的银次)。因为无法掌握,所以总是做不到那种效果。“这样是不行的”,我本着这种心情到录音室,为了能做到那种感覚而陷入苦战中。因为扮演太多趴地银次的缘故,似乎不能扮回正常版的银次呢(笑)。与声优同时进行的音乐活动也成为了工作了
森久保:虽然如此,我也不想忘记把音乐当做兴趣的感觉 ,毕竟我不想把它变得太过商业化。因为这是我的兴趣,我希望可以选择自己喜欢的音乐,从中若能得到大家的认同,那便足够。假若把它当作工作,遇到一些不喜欢的音乐也要勉强去做的话,那便没有任何意义。在工作的层面,因为这是专业的缘故,纵使我不喜欢也会努力做好,但我不想把音乐以同一种态度去面对。
还有尝试独唱吗
森久保:最初我是拒绝的哦,因为我希望可以以乐队的身份演出,所以没有考虑过要独唱。但因为有很多理解和支持我的工作人员说服我,所以最后也接受了这个建议,而这事也令我对音乐的看法有了很大的改变。负责的井上日德先生是个很严格的人为了做到更好,在录音前甚至砌夜重写歌词。那时我觉得歌词也是一种也是一种“乐器”,纵使对方不能明白内容,他对歌本身有感觉便行,但日德先生却告诉我,“这样歌词的力量实在太弱了!”有赖这个独唱的机会,令我重新思考关于音乐的事情。实在令我非常高兴,歌词OK了!在独唱时学到的事情对音乐家的其他领域也有所帮助呢!
与其他声优的关系如何
森久保:互相称对方为好朋友的就是伊藤健太郎,我曾为他的舞台负责有关音乐的工作,也试过一次同台演出。与我要好的还有樱井孝宏,因为我们住在附近加上年纪相若,所以便成为好朋友,不过他总是要我不要喝那么多酒:“给我好好节制一下!”(笑).另外还有石川,我们一起参与"A.N.S"乐队的活动,他就像是我的哥哥一样呢。
プロファイル
名 前 森久保祥太郎(もりくぼ しょうたろう)
誕 生 日 1974年2月25日
出 身 地 東京都
血 液 型 B型
身 長 165cm
事 務 所 ヴィムス
アーテイスト紹介
森久保 祥太郎(もりくぼ しょうたろう、1974年2月25日 - )は、日本の声優、俳優、歌手、ラジオパーソナリティである。ヴィムス所属。
代表作に『MAJOR』(茂野吾郎)、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』(奈良シカマル)、『弱虫ペダル』(巻島裕介)などがある。
声優としての仕事以外にも、ラジオパーソナリティとしてbayfmのDJ等、ラジオの仕事も多くこなしている。
タレント事務所に所属していた頃はウルフルズ「ガッツだぜ!!」PVでの民衆役や『タモリのボキャブラ天国』や『驚きももの木20世紀』の再現映像、Vシネマ、自動車教習所のビデオなどに出演していた。古巣の劇団である『おにぎりスキッパーズ』は一度は解散したが、『おにぎりスキッパーズ2』として再結成し、現在の公演ペースは年2回程度。
歌手活動においてほとんどの曲の作詞作曲を手掛けている。趣味は、バイクツーリング、楽器演奏(ドラム・ギター)、料理等。
初めてのアフレコの際、当時声優として未経験だったためペーパーノイズを起こした。第1話の台本は1ページ目から4ページぶち抜きの長台詞だったため、音響監督には「こんなに喋る役だとわかっていたらお前には絶対やらせなかった」と言われた。
ゲームのファルコムクラシックス、初回特典版CDドラマにて初主人公を務める。本人は続編以降での連続登用も期待していたのだが、続編では主人公の台詞は無音と設定とされたため、続編での登用はされなかった。
『爆走兄弟 レッツ&ゴー!!WGP』で共演した声優の伊藤健太郎とは、出身地、年齢、生まれた病院が同じということが判明し、以来非常に仲がよい。伊藤が主宰する劇団K-Showの舞台音楽は初期の頃から現在まで森久保祥太郎が担当している。
乃木坂46のメンバー衛藤美彩を気に入っており、2016年2月12日放送の『金つぶ』ではパーソナリティーの小島嵩弘がインフルエンザを発症したため、前番組の『The BAY☆LINE』に続いて衛藤と共演を果たした。
芸能経歴
1992年、日本大学第三高等学校卒業、多摩美術大学卒業。本格的に声優を始める前はタレント事務所に所属し、小学生の頃在籍したラボ・パーティの先輩達と立ち上げた劇団『おにぎりスキッパーズ』の公演を見た声優業界関係者のスカウトでオーディションを受け、『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のミニ四ファイターで1996年に声優デビュー。1年で最終話を迎えるはずが想像を遥かに超える人気作品に。よってシリーズが長引いてしまい、役者時代世話になった事務所から新たな声優事務所に移籍。以後、アニメ、ゲーム、ラジオパーソナリティ、音楽活動、舞台等様々な分野で活躍している。
シグマ・セブンに在籍の後、現在のアーツビジョン系列事務所『ヴィムス』に移籍。
1998年、声優の石川英郎と共に『あんず』(森久保が唯一食べられた果物)というユニット名で音楽活動を始める。
1999年、バンドメンバーを加えバンド『AN's ALL STARS』結成。同年8月、バンド『Mosquito Milk』結成。
2001年、カプコン セルピュータレーベルよりソロデビュー。
2008年、Lantisより再デビュー。毎年末に開催される「Original Entertainment Paradise“おれパラ”」ではホストの一人としてライブを披露している。
2010年、ソロプロジェクトとして『Buzzy→Bee(バジービー)』結成。
2015年1月、bayfm長寿番組『KEIYOGINKO POWER COUNTDOWN JAPAN HOT 30』の2代目DJとして就任。(初代はバッキー木場。25年で引退。)
2016年、第十回声優アワードで富山敬賞を受賞。