小档案
中 文 名: 松田圣子
外 文 名: 松田聖子、まつだ せいこ、Seiko Matsuda
别 名: 蒲池法子(原名),Mamadol
国 籍: 日本
民 族: 大和
星 座: 双鱼座
血 型: A
身 高: 160cm
体 重: 42kg
出 生 地: 日本福冈县久留米市荒木町
出生日期: 1962年3月10日
职 业: 歌手、演员
毕业院校: 久留米信愛女学院高等学校,堀越高等学校
经纪公司: 索尼唱片,环球唱片
代表作品: 《裸足的季节》《青い珊瑚礁》《赤いスイートピー》《大切なあなた》《あなたに逢いたくて》等。
主要成就: 唱片销量3000万张,日本武道馆演唱会100余场,红白歌会出场18回
简介
松田圣子,女歌手与演员,日本首屈一指的顶级巨星,被国民誉为“永远的偶像”,与美空云雀、山口百惠一起被评为日本昭和时代三大歌姬。纵横乐坛30多年而盛名不衰,其巨大影响力引领80-90年代亚洲时尚潮流。
松田圣子的歌曲大多充满积极阳光的正能量。她在日本乐坛曾创下女歌手连续24张单曲销量排行榜冠军,并保持该纪录长达23年(后被滨崎步赶超);同时她也是在演唱会圣地日本武道馆举办演唱会最多的女歌手,以超高的实力和人气多次荣获各类奖项。曾数次赴美国发展,但未顺利打开局面。90年代后逐渐转型为创作歌手。2005年她在中国台湾地区发行的国语唱片获得了台湾地区专辑排行榜冠军,并在台北开演唱会。2007年参加在中国江苏南通举行的第九届亚洲艺术节。
从艺经历
偶像歌手
1979年11月松田圣子以演员身份出道。1980年4月推出第一张单曲《裸足の季节》宣布以歌手身份出道,并接连发行了一系列脍炙人口的作品,创了不少唱片销量纪录。在80年代日本流行乐坛,松田圣子与后来出道的中森明菜的白日化竞争犹如当时的美苏争霸一般激烈,为歌迷们带来了大量经典不朽的作品。1985年松田圣子与演员神田正辉结婚,宣布暂停事业退出,次年女儿神田沙也加出生后又宣布复出再战乐坛。
创作歌手
进入90年代后,松田圣子开始转型尝试更多音乐风格,形象造型上较以往也有所突破,雄心勃勃的她还练就了一口纯正的英文,也推出了数张英文专辑。在这段唱片业的黄金时期,又推出了诸如《大切なあなた》等优质作品,而1996年发行的单曲《あなたに逢いたくて〜Missing You〜》销量更是超过百万张,是她迄今销量最高的单曲,迎来了事业的第二次巅峰。然而几次远赴美国闯荡试图进军好莱坞都不尽人意,个人生活上两次离异再婚和随之而来的一系列绯闻使她一时间成为了话题女王。松田圣子对事业的执着和努力令人敬佩,不断调整自己状态,逐渐转向做创作歌手,后来她的一些专辑甚至包揽了所有的词曲创作。如今这位乐坛不老唱将仍然活跃着,每年的巡回演唱会依旧座无虚席场场爆满。
专辑
2016年06月Shining Star
2015年10月永遠のもっと果てまで / 惑星になりたい
2015年06月Bibbidi-Bobbidi-Boo
2014年06月Dream & Fantasy
2014年05月I Love You!!~あなたの微笑みに~
2013年10月夢がさめて(松田聖子&クリス・ハート)
2013年06月A Girl in the Wonder Land
2013年05月LuLu!!
2012年06月Very Very
2012年05月エトランゼ
2012年05月涙のしずく
2011年12月SEIKO STORY~80’s HITS COLLECTION~
2011年11月特別な恋人
2011年06月Cherish
2010年09月Touch Me Seiko II
2010年05月My Prelude
2010年05月いくつの夜明けを数えたら
2009年11月Seiko Matsuda Christmas Songs
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松田 聖子(まつだ せいこ、本名:蒲池法子(かまちのりこ)、1962年3月10日 - )は日本のシンガーソングライター、女優である。所属事務所はファンティック。福岡県久留米市荒木町出身。身長159cm。体重40kg。血液型A型。
1962年
3月10日、福岡県久留米市荒木町に、柳川市出身で公務員(厚生省の事務官)の父親と、八女市の農家出身の母親の長女として生まれる。8歳年上の兄がいる。実兄はかつてラリードライバーとして有名であった。
カトリック系の久留米信愛女学院高等学校に入学する。
1978年
高校1年の時、「CBSソニー」主催の『ミス・セブンティーンコンテスト』九州地区大会に桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を吹き込んだテープを送り合格し、九州地区大会で優勝。全国大会に進もうとした際に両親に反対され辞退するが、九州地区で優勝した聖子の歌声を聴いて「この子は絶対に売れる」と確信したCBSソニー制作部・若松宗雄にスカウトされる。
1979年
高校3年の時に「サンミュージックプロダクション」に所属。歌手デビューのため上京し、堀越高等学校に転校。日本テレビ系ドラマ『おだいじに』に「松田聖子」役で出演。この時の役名が親しみやすいとしてその後の芸名となる[1]。
1980年
1月からニッポン放送『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』にDJとしてレギュラー出演。
3月 堀越高等学校卒業。NHK「レッツゴーヤング」にサンデーズのメンバーとしてレギュラー出演。
4月1日、「裸足の季節」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズ(※特に1980年代の女性アイドルには、必ずといっていいほどキャッチフレーズが付いていた)は、「抱きしめたい! ミス・ソニー」。
女性アイドルとして、多数の新人賞を獲得。また「聖子ちゃんカット」と呼ばれる独特のヘアスタイルが全国の女の子の間で大流行した。「ブロマイド」の年間売上でトップに輝く。
4月28日、「裸足の季節」で、フジテレビ「夜のヒットスタジオ」に初登場。この番組でデビュー1ヶ月以内に新人が初登場を果たしたケースは少なく新人にとりこの番組に出演することは「歌手としての第一のステータス」と見なされていたが、このデビュー曲が後述のように提供スポンサー・資生堂のCMソングであったこと、所属事務所が当時番組常連歌手(桜田淳子、都はるみら)を多く擁していたサン・ミュージックであったこと、また歌手として将来性の高さ(初登場時、山口百恵引退後のアイドル界を背負って立つ人材との期待の下に「ポスト百恵」という位置づけで紹介された)を総合勘案して、デビューから28日目という早さでの初登場となった。ちなみに同番組への初登場例としては、番組と強いパイプを持っていたバーニングプロダクションの石野真子がデビューからたった2日目で登場した例(1978年3月27日放送)がある。
7月3日、「裸足の季節」で、TBS『ザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナーに初登場(11位)。
8月14日、「青い珊瑚礁」で、TBS「ザ・ベストテン」に初ランクイン(8位)。
9月18日、「青い珊瑚礁」で、TBS「ザ・ベストテン」の第一位を初めて獲得。
1981年
8月13日、「白いパラソル」が、TBS「ザ・ベストテン」で番組史上初となる「初登場第一位」を獲得(9072点)。
1983年
11月17日、「SWEET MEMORIES」(8位、6796点)と「瞳はダイアモンド」(2位、8199点)が、TBS「ザ・ベストテン」で番組史上初となる「二曲同時初登場」を記録。
1984年
父親が公務員を定年退職したことを機に両親を九州から呼び、以降、両親と共に暮らす。
『ドレミファドン』のアンケートで、若い男性にとっては「結婚したい女性」のNo.1となる。
1985年
交際を公にしていた歌手・郷ひろみと破局(郷が聖子に専業主婦になる事を求めたが、聖子は歌手を続けたかったことが原因とされる)。その2ヶ月後、映画『カリブ・愛のシンフォニー』(メキシコロケ)で共演した神田正輝とサレジオ教会で結婚。二人の結婚は、世紀の結婚をもじって「聖輝の結婚」と呼ばれた。結婚式・披露宴の独占放送権を獲得したテレビ朝日は、約10時間にわたりこの模様を放送。ゴールデンタイムの平均視聴率は34.9%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録した。
1986年
後にSAYAKAとして歌手デビューする長女・沙也加を出産。結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えず、“ママになったアイドル”という意味の「ママドル」と呼ばれる。
1988年
東京都目黒区の自由が丘に現在も営業中のブティック「フローレス・セイコ」をオープン。
1989年
サンミュージックから独立し、個人オフィスの「ファンティック」を設立。
1990年
1985年頃から明らかにしていた米国進出のため、全米デビューアルバム『Seiko』を発売。米国での歌手活動のため、しばらくニューヨークに住む。元恋人を名乗る外国人による暴露本が出版され、便乗本や報道が相次ぐこととなる。スキャンダル報道を通じて、「永遠の少女」とは異なる「大人の女」のイメージも定着していく。
1996年
再び全米進出を目指すため、デビュー以来所属したソニーレコードを離れ、「ユニバーサルミュージック」に移籍する。日本での移籍第1弾シングル「あなたに逢いたくて〜Missing You〜」が8年ぶりのオリコンシングルチャート1位、売り上げ130万枚とミリオンセラーを突破し、自身最大のヒットとなり、この頃が結婚後の人気の頂点であった。
1997年
1月に神田正輝と離婚。離婚のニュースは、芸能報道を越えて各局とも一般ニュース枠でも報じ、号外が出された。
12月、父親が死去(葬儀は、菩提寺である柳川市の良清寺で行われた)。
1998年
5月に6歳年下の歯科医と交際2か月で結婚。会った瞬間「ビビビッと来た」というコメントが流行語になる。
2000年
9月にかつての恋人で劇的な別れをした郷ひろみとのデュエット曲「True Love Story」の話があり受諾、発表し世間の度肝を抜く。12月に歯科医と離婚。
2002年
ソニー・ミュージックエンタテインメントに復帰。
この年から2003年まで、大阪城ホールにおいて年末のカウントダウン・ライブを行う。BS中継もされた。
2004年
約3年ぶりのオリジナルアルバム『Sunshine』が、7月21日付のオリコンアルバムチャートで初登場6位を獲得。アルバムトップテン入りは通算39作目となり、女性アーティストでは松任谷由実に並ぶ歴代1位に輝いた(その後松任谷由実が記録を更新したため現在は歴代2位)。
10年ぶりに出演(障害児童の母親役)したテレビ・ドラマ『たったひとつのたからもの』(日本テレビ)が関東地区で平均30.1%、関西地区で平均23.6%(ビデオリサーチ調べ)という高視聴率となる。
2005年
6月5日のさいたまスーパーアリーナを初日に、歌手活動25周年にあたる全国ツァー『fairy』を開始。台湾のファンからの強い要請に応えて、8月20日、最終公演を台湾の新荘市で行う。5000人の観客から熱烈に歓迎され、中国語でも歌った。
2006年
7月31日付オリコン・アルバムチャートで10万円の74枚組CDボックス『Seiko Matsuda』を96位にランクインさせた。ちなみにこのボックス・セットは週間売り上げ金額で2億1500万円を記録し、2位の『Beautiful Song -ココロ デ キク ウタ-』(9300万円)を2倍以上引き離していた。また、これまで、アルバムでチャートイン(トップ300)した最高額作品は、1989年8月の美空ひばりの6万円の35枚組『今日の我に明日は勝つ』(9位)だったが、松田聖子はこの記録を16年11ヶ月ぶりに更新したのである。その後、当初の発売予定の1万セットを完売し、売り上げだけで約10億円となる。
2007年
松田聖子を取り上げたドキュメンタリー『松田聖子〜女性の時代の物語』(NHK総合)が放映される。視聴率は9.3%(ただし同放送の平均視聴率は5〜6%前後とされる:ビデオリサーチ調べ)だった。3月、歌手活動について古巣の「サンミュージック」と業務提携契約を締結。
11月20日、沖縄で24年ぶりの公演(ディナーショー)。
2008年
7月5日公開の実写版『火垂るの墓』で清太の母.雪子を演じ7年ぶりの映画出演となる。回想シーンでの登場を除けば登場は冒頭のみだが同作の挿入歌を担当。
2009年
6月、ユニバーサルミュージックに再移籍することを発表。
毎年恒例となっている夏のコンサートツアーには、発売されたアルバムタイトルがそのままツアータイトルになる事がほとんどだが、09年にはアルバムの発売がなかったために『Seiko Matsuda Concert Tour 2009 My Precious Songs』と題したコンサートツアーが開催され約14万人を動員する。
2010年
4月21日、プリンセス・セイコとして矢島美容室とコラボレーションして「アイドルみたいに歌わせて」を発売。
5月5日、ドラマの主題歌としては14年ぶりとなるフジテレビのドラマ『チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋』の主題歌「いくつの夜明けを数えたら」を発売。
5月19日、26日の2週に渡ってNHKの『SONGS』で松田聖子スペシャルが放送され、1週目が7.5%(同番組の平均視聴率は3 - 4%前後とされる:ビデオリサーチ調べ)で番組史上歴代2位の視聴率となり、翌2週目には更に視聴率を伸ばし、8.3%と歴代1位となる視聴率を獲得した。
6月6日 - 8月7日、『30th Anniversary SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2010 My Prelude』を開催(10箇所14公演)、計15万人以上動員する。
10月10日、20年ぶりとなるファンクラブ会員限定の『30周年記念ファンの集い』を赤坂プリンスホテルにて開催。参加は有料抽選申し込みだったが、日程的に急だったにも関わらず予想以上に申し込み人数が多くなってしまったため、4回に分けてファンの集いを行い、約5000人のファンと交流を果たす。
10月20日、東京国際フォーラムでデイヴィッド・フォスターの実に16年ぶりの日本公演となる『DAVID FOSTER &FRIENDS JAPAN TOUR 2010』にスペシャルゲストとして登場し、デイビッドが88'年に聖子に作曲提供した「抱いて」を彼のピアノ伴奏にて披露する。
1983年に放映を開始したサントリーのTV-CMで、聖子自身が名前を伏せ「SWEET MEMORIES」をアニメのペンギンにあてて歌い話題となったが、そのアニメキャラクターのペンギンと27年ぶりに再びサントリーの缶コーヒー「ボス シルキーブラック」のCMで競演を果たし話題となる。
2011年
6月-8月、コンサートツアー『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2011 Cherish』を開催。
9月7日、Hollywood Bowlで開かれたクインシー・ジョーンズ主催の『Quincy Jones Global Gumbo All Stars』にゲスト出演し、クインシーとの話し合いで同年3月11日に起きた東日本大震災への復興への願いも込めて全米ビルボード1位にもなった坂本九の「スキヤキ」を歌う。
10月1日、毎年恒例の夏の全国コンサートツアー中、客席のファンからの要望が多かったことにより、昨年の30周年記念のファンの集いに引き続き、この年はザ・プリンスパークタワー東京で2年連続となるファンの集いを、司会進行に、松田聖子の大ファンと公言し続けている藤井隆を迎え開催、4回に分け約5000人のファンと交流する。
11月-12月、クリスマスディナーショー開催(12箇所27公演)
11月23日、30周年記念シングルとして竹内まりやとの初コラボレーションによる「特別な恋人/声だけ聞かせて」を発売。女性アーティストによるシングル詞・曲楽曲提供は、1985年発売の尾崎亜美の「ボーイの季節」以来約26年ぶりとなる。
12月16日放送の『オールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送)の公開録音を28年ぶりにファンを抽選で招待し行う。
12月31日、毎年恒例となっているカウントダウン・ライブのため出場していなかったNHK紅白歌合戦に、カウントダウンのライブ会場である東京体育館から中継という形で10年ぶりに出場し、「震災復興に“親子の絆”ということで少しでも勇気を与えられたら」ということで、娘である神田沙也加と共に、自身の曲ではなく坂本九の「上を向いて歩こう」をデュエットした。
2012年
5月2日、自身が作詞・作曲を手がけた新曲「涙のしずく」を発表。「涙のしずく」は、2012年4月28日公開の映画『わが母の記』のイメージソングに決定した。
6月-8月、コンサートツアー『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2012 Very Very』を開催(6箇所9公演)
6月13日、自身の公式ホームページにて一般男性と結婚したことを発表。再々婚後も神田姓を続称しているかどうかは明らかにしていないため、2013年現在の本名は不明。
9月に全米でリリースされたジャズグループ、フォープレイのアルバム『Espirit De Four』の中の「Put Our Hearts Together」でゲストボーカリストとして参加。この曲は東日本大震災の追悼も込めた形でボブ・ジェームスが作ったもの。
9月9日、東京国際フォーラムで行われた『東京JAZZ 2012』に、ボブ・ジェームス率いるユニットの特別ゲストとして出演。
10月29日、『Put Our Hearts Together コンサートin 大船渡』に出演。この模様は12月27日、NHK総合テレビでドキュメンタリー番組として放送された。
11月4日、舞浜アンフィシアターにてファンミーティング開催。司会は藤井隆。
11月-12月、クリスマスディナーショー開催(9箇所20公演)
12月28日-29日、舞浜アンフィシアターにて初のバラードコンサート『Seiko Ballad』を開催。
2013年
4月2日、京セラドーム大阪にて、阪神―中日戦の始球式を行う。
4月23日、6月5日に発売される藤井隆のCDシングル「She is my new town / I just want to hold you」の作詞・作曲・プロデュースを手がけたことを発表。2曲ともにコーラスでも参加している。
6月-7月、コンサートツアー『SEIKO MATSUDA CONCERT TOUR 2013 A Girl in the Wonder Land』を開催(5箇所8公演)
7月31日-8月1日、東京国際フォーラムで行われたクインシー・ジョーンズの32年振りとなる来日公演にシークレットゲストとして出演。
9月14日、幕張メッセで行われた『UNIVERSAL SIGMA 10TH ANNIVERSARY 「SIGMA FES. 2013」 〜U-EXPRESS LIVE AUTUMN〜』に出演。
10月30日、クリス・ハートとのデュエットソング「夢がさめて」を発売。
11月2日、TOKYO FM 『McDonald's SOUND IN MY LIFE』のゲストとして東京・渋谷スペイン坂スタジオに生出演。その後、東京・お台場ヴィーナスフォートでシングル発売記念イベントを開催。
11月-12月、クリスマスディナーショーを開催(10箇所22公演)
12月31日、グランドプリンスホテル新高輪「飛天」にて、『2013 New Year's Eve Live Party』を開催。2回公演で、2回目は紅白歌合戦と、カウントダウンセレモニーが含まれていた。
2014年
6月8日-8月31日、コンサートツアー『Pre 35th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2014 Dream & Fantasy』を開催。
11月1日、「felicia club by Seiko Matsuda」(feliciaとclubの間はハートマーク)が自由が丘に開店
11月21日-12月24日、クリスマスディナーショーを開催。
12月31日、第65回NHK紅白歌合戦に大トリとして出場し、個人別で最高視聴率を獲得する。
2015年
4月17-18日、舞浜アンフィシアターにて『35th Anniversary "Thank You Event!!"』と称したファンミーティングを開催する(合計5公演)。司会はモト冬樹
6月13日-8月30日、コンサートツアー『〜35th Anniversary〜 Seiko Matsuda Concert Tour 2015 "Bibbidi-Bobbidi-Boo"』を開催 (5か所8公演)
10月1日、六本木ヒルズアリーナで催された映画『PAN〜ネバーランド、夢のはじまり〜』ジャパン・プレミアレッドカーペットに出演する。
10月11日、舞浜アンフィシアターにて『35th Anniversary Seiko Matsuda Fan Meeting 2015』を開催する(1日3公演)。キーボード奏者・野崎洋一とアルバム『SQUALL』から『Canary』までを振り返る。
11月-12月、クリスマスディナーショー開催。
2016年
4月17日、舞浜アンフィシアターにてファンミーティング『SEIKO MATSUDA 2016 "Heart♡心"EVENT!!』を開催。