小档案
乐 队 名 Kiroro(キロロ)
出 身 地 日本冲绳县中头郡読谷村
经纪公司 テインメント(1998年 - )
事 务 所 JVCエンタテインメント
成员档案
姓 名 玉城千春
昵 称 CHI-HA
出生日期 公元1977(昭和52)年4月17日
血 型 A型
身 高 154cm
毕业学院 长崎WESLEYAN短期大学教育科
担 当 主唱、创作
姓 名 金城绫乃
昵 称 A-YA
出生日期 公元1977(昭和52)年8月15日
血 型 AB型
身 高 152cm
毕业学院 冲绳县某医疗专门学校
担 当 键盘手、合音、编曲(有时也负责创作)
乐队简介
Kiroro,是一个日本女子歌唱组合。成员为玉城千春和金城绫乃,主唱玉城千春小学的时候,因为学校交流的关系曾经到过北海道,在那里学到了当地原住民爱奴族使用的方言,其中的“Kiroru”(在北海道爱奴族方言里的意思是“人走出来的大路”) 和“Kiroro-an” (在北海道爱奴族方言里的意思有“强壮”、“健康”、“硕大”和“坚固”的意思)两个字的意思和音节让她留下了深刻的印象,因此在组团时就直接用“Kiroro”当作团名。
Kiroro名字的由来
玉城千春在小学时到日本北海道池田町的时候,听到当地原住民--爱奴人的语言。
在他们的语言里:
Kiroru=踩在人脚底下那宽广、坚固的道路。
Kiroro-an=强悍、健康、华丽、坚固的意思。
综合以上2句爱奴语所以为组合取名为Kiroro。
演艺经历
Kiroro的主唱玉城千春读小学的时候,因为学校交流的关系,曾经到过北海道,在那里学会了当地原住民爱奴族使用的方言,其中Kiroro在北海道爱奴族的方言是"人走出来的大路",Kiroro-an在北海道爱奴族的方言有强壮、健康、硕大、坚固的意思,千春在组团时想起了印象深刻的两个字,直接用Kiroro当团名。
玉城千春和金城绫乃是冲绳县立独谷高中的高2同学,两人在下课后结伴在音乐教室里玩耍,千春常常自己写歌清唱,会演奏乐器的绫乃则在一边试着帮她伴奏,于是两个人就在放学后的音乐教室里组成了Kiroro。如果你还以为冲绳出身的歌手都是又蹦又跳的话,那你可得好好检讨检讨了,由主唱玉城千春和键盘手金城绫乃组成的Kiroro,就用干净、抒情的曲风,从冲绳开始,用音乐征服全日本。
プロファイル
バンド名 Kiroro(キロロ)
出 身 地 日本 沖縄県中頭郡読谷村
レーベル テインメント(1998年 - )
事 務 所 JVCエンタテインメント
メンバープロファイル
名 前 玉城千春(たましろ ちはる)
誕 生 日 1977年4月17日
血 液 型 A型
担 当 ボーカル
タレントの玉城ちはる(たまき ちはる)とは別人。
名 前 金城綾乃(きんじょう あやの)
誕 生 日 1977年8月15日
血 液 型 AB型
担 当 ピアノ・キーボード
メンバー紹介
Kiroro(キロロ)は、日本の女性二人組音楽グループ。所属事務所はJVCエンタテインメント。公式ファンクラブは「キロロ・ココロ・クラブ」である。
来歴
2人は沖縄県立読谷高等学校の同級生。その後、玉城が長崎ウエスレヤン短期大学、金城が医療事務の専門学校に進学し、在学中の1996年にインディーズデビュー。沖縄限定で発売されたインディーズデビュー曲「長い間」は、地元沖縄のローカルCM(「安信輸送サービス」の引越しCM)にも使われ、1万枚以上を売り上げる。
楽曲制作を手掛けているのは主にボーカルの玉城である。玉城は作詞・作曲の才能はあるものの、ピアノはあまり弾けず、書く音符も暗号のような状態である。それを、ピアノが弾ける金城が玉城の「暗号」を解読するような形で活動を始めた。ただし活動が進むに連れ、金城の作詞・作曲のものや玉城が作詞、金城が作曲というものも登場するようになった。
Kiroroという名の由来は、玉城が小学生の時、地域交流で北海道池田町に行った際、なんとなく耳に残ったアイヌ語に由来する。公式サイトによると、元になったアイヌ語はKiroru(人間が踏み固めた広い路)とKiroro-an(強い・健やか・盛ん・大きい・かたくな)である。
1998年1月にシングル「長い間」でメジャーデビュー。1998年・1999年・2001年にはNHK紅白歌合戦に出場した。
2004年10月からコミュニティーFMラジオ放送に向けたレギュラー番組「hot pot Kiroro」をスタートさせた。
2005年1月17日に公式サイト上で玉城が沖縄県出身の男性との婚約を発表、同年4月17日に結婚した。さらに同年5月24日には金城がレストランプロデューサーの男性と結婚。
2人共に子沢山であることでも知られ、金城が2005年11月に長女を出産したのを皮切りに、2006年2月には玉城も長男を出産、さらには2007年3月に玉城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告、同年9月に長女を出産。2008年8月、今度は金城がウェブページ上にて第2子を妊娠したことを報告。2009年3月に長男を出産。この金城の第2子出産と時を同じくして、玉城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告。2009年9月に次女を出産。2010年10月には金城がウェブページ上にて第3子を妊娠したことを報告。2011年3月に次男を出産。互いに出産を繰り返し、音楽活動も定期的に休止するこのスタイルは、収入にあまり困っておらずハードな仕事を避けたい2人の考えとの向きもある。
2011年8月7日、玉城が浜離宮朝日ホールで初のソロコンサートを行う。
2011年10月19日に玉城のソロデビューシングル「神様」を、同11月23日にファーストアルバム『Brand New Days』をリリース。
2013年4月26日、金城がウェブページ上にて離婚を発表。
2015年、HYの仲宗根泉と合同の新ユニット「さんご」を結成。デビュー作「いのちのリレー」はNHK沖縄放送局の終戦70年キャンペーンのテーマソングとなった。