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风格
#日本流行 #节奏布鲁斯 #放克 #灵魂乐 #都市流行
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

姓    名 久保田利伸(くぼた としのぶ)

国     籍 日本

出生日期 1962年7月24日

出 生 地 日本静冈县静冈市清水区

职    业 歌手、作曲家

毕业院校 驹泽大学经济学部

事 务 所 FUNKY JAM

代表作品 失意的Down Town、Cry On Your Smile、La La La Love Song

艺人简介

1962年出生于静冈县静冈市清水区的久保田利伸,年轻时代便醉心于黑人音乐。曾就读于驹泽大学,大学时代的他组成了Funk Band,并于YAMAHA举办的全国音乐大赛中一举拿下最佳演唱奖!

1985年,他终于与Kitty Music签约,并于1986年推出首张单曲「失意的Down Town」进入日本流行乐坛。 出道后的久保田利伸于87年推出单曲「Cry On Your Smile」正式在日本乐坛走红,成为一位家喻户晓的歌星。这段期间他除了不断推出作品之外,也参加了电台的定期演出,久保田的歌曲更是搭上广告、连续剧的主题曲。最后1989年这一年如愿地举办个人的巡回演唱会,一连就举办了88场,并于同年推出了个人的首张精选辑The Baddest。

1990到1994年这段期间里,久保田除了持续作品推出之外,他受到了两件事情的刺激,大大地影响了他音乐创作的方向:其一是1991年前往非洲的尼日利亚参加『Children Of Africa』的慈善演出、其二则是参与可口可乐1993年度广告而来到心目中梦想已久的国度牙买加后,非洲与牙买加的雷鬼乐、饶舌乐、R&B、HIP HOP、甚至放克乐都深深地植入久保田的音乐理念,让他的音乐视野更加宽广。于是久保田在整个音乐创作过程转变最大的时期推出了个人第二张精选辑The Baddest II。

1994年后久保田几乎长住美国纽约,睽违两年后推出了专辑Bumpin' Voyage(崎岖之旅)。同年8月间,久保田终于以toshi KUBOTA之名推出了首支单曲Funk It Up正式打开美国乐坛大门。接着他又火速地在全美推出个人首张英文专辑Sunshine Moonlight(日光光,月晃晃),获得美国许多乐评的高度推崇。1996年可说是久保田成为超级巨星的元年,他所推出的单曲「La La La Love Song」搭配富士电视台由木村拓哉、山口智子、竹野内丰、松隆子主演的电视连续剧『长假』缔造了两百万的超高销售佳绩,他也一举晋升百万级的畅销艺人!

1998至1999年一直旅居纽约的久保田自从「AHHHHHH!」就一直未见新作。终于1999年7月 28日推出了双张单曲,一张叫做「The Sound Of Carnival」,另一张名为Soul Bagin。接着久保田受邀为电影『信差』(草剪刚、饭岛直子领衔主演)撰写电影主题曲「Messengers' Rhyme」,一时更成为佳话。

1999年台湾发生了921大地震后,向来行事低调、几乎不接受日本传媒专访的久保田,透过录像带的方式难得地为所有台湾民众录下他个人对大家的关怀。

演艺经历

2001年的作品 CANDY RAIN,为天海祐希主演的日剧水曜日的情事的主题曲。

2006年演唱与日本女歌手SunMin合唱由草剪刚及柴崎幸主演的电影

《日本沉没》的主题曲《Keep Holding U》。2010年,富士电视台继1996年的长假後,再度邀请他替木村拓哉主演的月9"月之恋人"打造主题曲:LOVE RAIN~ 恋の雨~。本曲是他看完剧本後替本剧量身订做的歌曲。久保田利伸的音乐不但对当今乐坛有着莫大的影响,而他的存在更无疑是日本流行音乐活生生的历史轨迹!真不愧是最"BLACK"的日本男歌手,以及日本黑人流行音乐之王。

プロファイル

名    前 久保田利伸(くぼた としのぶ)

国     籍 日本

誕 生 日 1962年7月24日

出 生 地 静岡県静岡市清水区

職    業 歌手、作曲家

卒業学園 駒澤大学経済学部

事 務 所 FUNKY JAM

代表作品 失意的Down Town、Cry On Your Smile、La La La Love Song

アーテイスト紹介

久保田 利伸(くぼた としのぶ、1962年7月24日 - )は、日本のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。静岡県庵原郡蒲原町(現・静岡市清水区)出身。身長170cm、体重59kg。血液型O型。別名・愛称は「ファンキー久保田」「クボジャー」「キング・オブ・Jソウル」「久保やん」「クボトシ」「久保田の兄貴」等。自他共に認めるファンキーなキャラである。

実家は青果店を営んでおり、父親はスイカを叩くだけで、良し悪しが分かるほどであったという。また、『笑っていいとも!』に初登場した際に久保田が語ったところによれば、一家揃ってファンキーなキャラクターで(母親はそうでもないとの本人の話)[1]、青果店の店主である父親は客が来ると、フィンガーチップスを鳴らしながら「らっしゃい」と言っていたという。

少年時代は野球少年で、元日本ハムファイターズの広瀬哲朗は地元・中学時代の2年先輩・チームメイトだった(後年、久保田と広瀬は日本ハムのCMで共演している)。広瀬の入団以来ファイターズを応援し続けている。高校時代まで野球に勤しみ、いわゆる球児だった。

2013年7月に小林克也のラジオにゲスト出演した際、自身の音楽の原点は中学から高校時代にかけて毎日聴いていたスティーヴィー・ワンダーで、現在でもリスペクトしていると語っている。

静岡県立静岡商業高等学校に入学。商業高校ということもあって、在学中に簿記検定などの資格も取得した。

高校を卒業後、駒澤大学進学と同時に上京。在学中に軽音楽部ロック研究会に属し、そこで出会った羽田一郎とアマチュアバンド「HOTTENTOTS」(ホッテントット)を結成。翌1982年には、ヤマハ主催のコンテスト「EAST WEST '82」に出演し、ベスト・ボーカリスト賞を受賞。(このコンテストで披露された演奏は、レコードに収録され発売された。またバンド在籍時の久保田は、アフロヘアーに口ひげを生やしていた。)頻繁に髪型を変える。

1985年に大学を卒業後、音楽プロデューサーとしてキティミュージックとの作家契約で音楽業界に入り、1980年代には20代前半という若さで多くの歌手、アイドルに楽曲提供をしていた。主な相手としては、田原俊彦、中山美穂、小泉今日子、鈴木雅之、GWINKO、荻野目洋子、芳本美代子、小山水城、とんねるず、バブルガムブラザーズ。特に田原には1985年から1993年までの間に多くの楽曲を提供している。1990年代に入ってからも、清水美恵、西田ひかる、森高千里、TOKIO、高橋真梨子などに楽曲を提供、ここ数年にもCHEMISTRY、MISIA、ISSA、山田優などに提供している。

2004年、ノルウェーの外資系企業に勤める11歳年下の日本人女性と入籍し、同年12月には、第一子となる男児が誕生した。

好きな食べ物はエビフライ、担々麺以外のラーメン、シャウエッセン。特にラーメンは久保田の実家の近所にある食堂「蒲原館」のラーメンを大変気に入っている。また、西麻布の百貨店にある惣菜店の焼きそばも大変気に入っている。嫌いな食べ物は柿とセロリで、柿については本人曰く「柿は柔らかくても硬くても食えない」との事である。また、20代の頃から体重は50kg台後半から60Kg程度を維持しており、出前は好きな物を食べているが、玄米を主食としていることでこの体重を維持している。

久保田の作品はテレビドラマへの起用が多く、特にフジテレビ系列への起用が目立っている。なお、テレビ東京系列の番組に久保田の楽曲が起用されたことは現在までのところない。

デビュー当時には日本ではまだ市民権を得ていなかったブラックミュージックを浸透させるのに一役買った功績は大きく、現在も国内外でR&Bシンガーとして活動している。ブラックミュージックと言う事で、久保田自身の音楽スタイルは山下達郎、大沢誉志幸、吉田美奈子、佐野元春、井上陽水、忌野清志郎、キングトーンズ、ハイクオリティなシティ・ポップスという点で角松敏生や稲垣潤一、小田和正等によって確立されたジャンルであるが、ヴォーカルスタイル、リズム感、ソングライティング等の部分でブラックミュージックに大きく影響を受け、又それを自身の音楽性に取り入れ、さらにセールス的にも大成功を収めたのは、彼以前には居なかったと言っても過言では無く、その事から彼自身は「ブラック・ミュージックのパイオニア」とも称されている。

2015年12月に松尾潔のメロウな夜(NHK FM)に出演した際、楽曲製作でマーヴィン・ゲイの大きく影響を受けていると話している。

芸能経歴

1984年 ジャズ・ラテンミュージシャンの松岡直也のアルバム『LONG FOR THE EAST』の1曲目『The Latin Man』に作詞・ゲストボーカルとして参加。(全詞英語。コーラスは楠瀬誠志郎。)

1985年 アマチュアながら音楽業界の注目を浴び、TBSラジオ「SURF&SNOW」のサウンドステッカー制作を担当する。田原俊彦のシングル曲『華麗なる賭け』、『It's BAD』、岩崎宏美のシングル曲『月光』を作曲。この頃に趣味で「すごいぞ!テープ」を作る。

1986年

6月21日 シングル『失意のダウンタウン』でメジャーデビューする。

9月にはファーストアルバム『SHAKE IT PARADISE』、12月にはセカンドシングル『TIMEシャワーに射たれて』をリリース。

1987年 4枚目のシングル『CRY ON YOUR SMILE』でシングルチャート最高8位を記録し、ブレイク。

1988年 5枚目のシングル『You Were Mine』がフジテレビ系ドラマ(月9枠)「君の瞳をタイホする!」の主題歌となる。TBS「ザ・ベストテン」にも、(VTR出演ではあったが)初登場。オリコン年間ランキングにおいて1988年度第10位となる。

1989年 1枚目のベスト・アルバム『the BADDEST』が、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラー。

1990年 「NHK紅白歌合戦」に出演(アリスンウイリアムズとデュエットで)

1991年 ナイジェリアで開催されたイヴェント〈The Children Of Africa Concert〉に出演し、ジミークリフの「MANY RIVERS TO CROSS 」と、オリジナル曲「MAMA UDONGO 」を披露。

1993年 日本における11枚目のシングル『夢 with You』がフジテレビ系ドラマ(水曜劇場枠)「チャンス!」の主題歌となる。本人も最終回にちょい役で出演。年末、ニューヨークに拠点を移す。

1994年 日本ハム「シャウエッセン」のCMに出演。以後、1999年まで続く。

1995年 「Toshi Kubota」として全米デビュー。

1996年 ナオミ・キャンベルとデュエットした『LA・LA・LA LOVE SONG』が、フジテレビ系ドラマ(月9枠)「ロングバケーション」の主題歌となり、ミリオンセラーを記録。ちなみに、当該曲の『LA・LA・LA』は久保田の出身地の方言の語尾に使われる「~ら」から取ったとの事。また、作詞をしていている時に、歌詞がうかばずに浮かんだのが、『LA LA LA』と書いたとも言われている。

1998年 日本における20枚目のシングル『AHHHHH!』が発売。日本テレビ系「進め!電波少年」での「朋友(パンヤオ)」の応援歌として作られたもの。

2004年 2月、松尾潔の呼びかけで集まったアーティストたちが久保田の楽曲をカバーしたトリビュート・アルバム『SOUL TREE ~a musical tribute to toshinobu kubota~』が発売。参加アーティストは、Skoop On Somebody、MISIA、倖田來未、中島美嘉、ATSUSHI(EXILE)、BoA、ゴスペラーズ、Rhymesterほか。

2004年 11月上旬に米国のテレビ番組「ソウル・トレイン」(英語版を参照)に出演。日本人アーティストとしてはYMOに次いで2番目。ソロアーティストとしては初出演となった。

2006年 1995年10月から続いていたラジオ番組「久保田利伸のプラネット・フレーヴァ」が2006年3月に終了。翌月からエフエム大阪で「JAM FOR REAL」がスタート。

2007年 3月、「mtv iCON 久保田利伸 powerd by 楽天オークション」がSHIBUYA-AXにて開催された。平井堅、SunMin、AI、DOUBLE、ATSUSHI(EXILE)、VERBAL(m-flo)、KREVA、AFRA、加藤ミリヤ、SOULHEAD、森大輔、bird、椎名純平、TOKUらが参加し、久保田の楽曲をカバーした。

2010年6月には『LOVE RAIN 〜恋の雨〜』が、みたびフジテレビドラマ(月9枠)主題歌となり(「月の恋人〜Moon Lovers〜」木村拓哉主演)、自身14年ぶりにオリコントップ3入りを果たした。

2011年6月21日、メジャーデェビュー25周年を迎えた。

2016年6月21日、メジャーデビュー30周年を迎えた。


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