T.M.Revolution,又常缩写为T.M.R,是日本歌手西川贵教的个人音乐项目(或可视为是一个个人乐团)。1996年5月,西川贵教以个人名义“T.M.Revolution”之名推出首张单曲《独裁-monopoliz-》正式出道。浅仓大介为制作人。后转入Epic Records Japan后,制作人改为西川贵教,但浅仓仍然负责歌曲的作曲与大部分歌曲的编曲。
T.M.R的曲子大部分为编排复杂的电子摇滚曲风,再加上西川贵教极具爆发力的嗓音和充满视觉冲击的服装,成为了T.M.R的标志。发行了许多脍炙人口的歌曲。现已发行了25张单曲和9张原创专辑,并且都在日本公信榜上取得了不错的成绩。
然而,就在这个T.M.R的事业浪潮澎湃的时候,西川贵教和浅仓大介为了追求音乐上的进化,在东京巨蛋的演唱会后,毅然提出将T.M.Revolution封印。所幸的是,封印只是一种形式上的,两个月后,他们便宣布以the end of genesis T.M.R.evolution turbo type D为名继续活动。“the end of genesis”是世纪的终结,象征一切从零开始;“T.M.R.evolution”是指T.M.R的进化;“turbo”是西川贵教的昵称;再加上浅仓大介的“type D”。既然有了形式上的变化,歌曲风格自然会有些许改变,不同于以往的狂热激情,而是将歌曲表现得深情了许多。
2000年的3月,T.M.Revolution解封,同时将单曲《BLACK OR WHITE?》重新编曲后发行作为解封的标志。
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T.M.Revolution(ティー・エム・レボリューション)は、西川貴教が音楽活動をする際に名乗っている名称の一つであり、彼自身のソロプロジェクトの名称である。しばしばT.M.R.やTMなどと略される。
彼自身の公式ファンクラブ「turbo」に関しても、2006年までこのプロジェクトが西川貴教の音楽活動の大部分を占めていたため、turboの企画するイベントのほとんどはT.M.R.関連のものとなっていた。そのため、turboは事実上「T.M.R.のファンクラブ」と見ることが出来る。
"Takanori Makes Revolution"(貴教が革命を起こす)の頭文字を取ったものである。西川貴教という一個人の名義ではなく、プロデューサーや関係者、また全てのファンも一緒に歩んでいくという意味が込められたプロジェクトの名称である。 この実態について、以前に西川自身が例えとして「自分はクリスマスツリーの一番上の星で、みんなはツリーだ」と説明したことがある。
なお、この名称は浅倉大介自身がミュージシャンとしての修行を積んだTM NETWORKに由来していると思われる(ただし、浅倉本人は著書の中で「似ている事には後で気が付いた」と述べている)。ラジオやテレビなどで浅倉大介本人が語っていたことだが、彼は小室哲哉に「TMの名前を使わせてもらいます」と直接電話をした。ちなみに、西川も後にLOVE LOVEあいしてるに出演した際に「Get Wild」をカヴァーした。
デビューからブレイクまで
精力的なライヴをこなした上でのデビューを飾ったが、それでも音楽業界のトップアーティストの一員と呼ぶにはまだまだであった。転機が訪れたのは、アニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のテーマソングとして起用された3rdシングル「HEART OF SWORD ~夜明け前~」のロングヒット(オールナイトニッポンを担当するのもこの時期と重なる)。これをきっかけに、メジャーな音楽番組に多数出演する機会を得る事となり、フジテレビ「HEY!HEY!HEY!」にプロデューサー浅倉大介とともに初出演を果たす。ルックスからは想像もつかないおもしろキャラクターでお茶の間にも浸透。披露される軽妙なトークや圧倒的なパフォーマンスが話題を呼び、5thシングル「HIGH PRESSURE」でついにオリコンベスト10入りを果たす。6thシングル「WHITE BREATH」ではミリオンセラー、3rdアルバム「triple joker」では250万枚のセールスを記録。このアルバムでのツアー「King of joker」は、デビュー前に浅倉大介、木根尚登、葛城哲哉などと回ったイベントツアーライブ「What Jam?」と同じ全国主要都市のホールを回るツアーでファイナルは日本武道館。この公演のラストで歌った実質のデビュー曲ともいえる「BLACK OR WHITE?」では感慨のあまり泣き崩れてしまう。(この映像は同ツアー収録のDVDに記録されている。)
一躍トップアーティストの仲間入りを果たし、デビューから足掛け1年半で人気を不動のものにする。その後も順調にヒットシングルを飛ばし、2年連続の紅白歌合戦出場も果たす。またライブ活動においても全都道府県ツアーを行う。そして4thアルバム「The Force」の発表ののち、それまでの活動の集大成ともいえる、浅倉大介をサポートに迎えての東京ドームライブ2daysの後、前述の「3つの約束」を全て達成することが出来たT.M.Revolutionは1999年3月18日に突如その活動を"封印"すると発表する。
the end of genesis T.M.R. evolution turbo type Dとしての活動
前項のように、1999年春からT.M.Revolutionとしての活動を封印し、「the end of genesis T.M.R. evolution turbo type D(略称:T.M.R-e)」名義でトータルプロデューサーの浅倉大介と共に活動する事となった。
このユニット名は「創世期は終わり、T.M.Revolutionは西川と浅倉の手によって進化する」という意味で捉えることが出来る。「T.M.Revolutionを更に"進化"させるための準備期間」として設けられ、この時期に発表した楽曲・衣装はそれまでとは一転、どちらかというと夜をイメージしたようなクラシカルな曲調が多く、ピアノをメインとしたような楽曲でライヴでも座っての鑑賞を求めるなど、それまでのスタイルを壊す画期的な展開を見せた。浅倉の当時の発言によると、この活動は「(アイドルとしての)固定イメージの確立されてしまったT.M.R.の枠をはずす」ことを目的にしたものであったようである。結果的にはその目的は果たされ以後の幅広い活動につながることになったが、その反面話題性に欠けたり、プロモーションの頻度が落ちたことなどから、この時期よりCDの売り上げも以前に比べ減少するなどしている。(ただし、それでもそれぞれ15万枚ほどの売り上げを継続して維持しており、ファン層の絞り込みや固定化が成功したと見ることも出来る。)
また、このT.M.R-eで新たな試みとして意外にも初のアリーナツアーを決行。浅倉と共に全国を回る。またミュージカル「リトルショップオブホラーズ」の主演、TBSドラマ「ビューティフルライフ」へ出演するなど様々な試みもこの時期に行われた。絶頂期は過ぎたものの多忙の様子は相変わらずの様で、ドラマの出演とアリーナツアーの時期が重なり、体調的に消耗が激しいためか、ツアー明け後に予定されていたハワイでのファンイベントは中止となってしまった。
T.M.R-e後の活動
2000年3月のライブを契機にT.M.Revolutionとしての活動を再開し、CDリリース、ライブ活動を精力的にこなす。2001年リリースのシングル『BOARDING』の発売前後に西川がT.M.R.の意義に苦悩し以後のリリースが滞ったこともあったが、2002年からは西川自身がT.M.Revolutionのセルフプロデュースを開始することによりまた活動の頻度が高くなる。2003年には、デビュー時から所属していたアンティノスレコードからエピックレコードジャパンに同一レコード会社内でレーベル移籍(アンティノスレコード自体は彼が移籍する前(2002年)にエピックレコードジャパンに吸収合併された。2004年に運営終了)を行い、その後も新天地で様々な音作りを模索している。
2000年・2002年に行なわれた夏の野外ライブ「SUMMER CRUSH」では東京ビッグサイト・横浜スタジアム・大阪WTCオープンエアステージなどで数万人を動員、2003年12月には日本の男性ソロアーティストとしては初めての試みである、男性限定ライブを渋谷クラブクアトロで決行。以後、この男性限定ライブは毎年恒例となっている。また、2005年1月に発売した8thアルバム「vertical infinity」では、CD音源として初めて浅倉大介のベーシックアレンジを基に、西川自身が編曲した曲を発表するなど、新たな試みが続いている。
近年ガンダムSEEDシリーズに多数の楽曲を提供している所為か、以前の活動を知らない者に、T.M.R.がアニメソングを専門として活動する歌手と勘違いされることもあるが、それは必ずしも正しくはない。
デビュー10周年プロジェクト
2005年中期以降、デビュー10周年に向けて様々な活動が行われた。まず「西川貴教のオールナイトニッポン」プロデュースで、T.M.Revolutionの歴代の衣装を着たハローキティとのコラボレーション作品が全国の東急ハンズ・ファミリーマートで販売された。そして21stシングル「vestige -ヴェスティージ-」リリースの際は、新宿ステーションスクエアにて楽曲初披露の初ゲリラライブを決行。また、本来T.M.RevolutionのCD音源には、浅倉大介の手によるデジタルサウンドが用いられているが、リクエストセルフカバーベストアルバム「UNDER:COVER」では、CD音源初のライブアレンジを収録するなど、新たな試みが続いている。
10周年を迎えた以後も継続して様々な活動が行われ、デビュー記念日である2006年5月13日にはユニバーサル・スタジオ・ジャパンにて記念パレードを、2006年6月7日にはシングル21作全てを収録したベスト盤『The Complete Single Collection of T.M.Revolution 1000000000000-billion-』(オリコンアルバムチャート初登場1位)が発売、さらに6月21日にはシングル21作とLOVE SAVER、Meteor、Zipsの映像作品を全て収録したベストDVDも発売された。そして8月、満を持して8年ぶりの日本武道館、及び大阪城ホールでのライブが実現した。また、自身の誕生日である9月19日には再びユニバーサル・スタジオ・ジャパンで、今度はピーターパンのネバーランドとのコラボライブを行った。なお、11月9日より東京・大阪・名古屋・仙台・福岡の5都市を巡る衣装展「TIME SLICE DECADE」を開催。年末恒例のファンクラブ会員限定ライブは過去最多の全10公演を果たした。
西川はこの年の一連の活動を振り返り「2006年を持ってT.M.Revolutionの活動に一区切りがついた」という内容の発言をしており、以後1年間は彼自身が参加するバンドabingdon boys schoolや、2度目のミュージカルである「ハウ・トゥー・サクシード」の活動がメインに置かれ、T.M.Revolutionは充電期間に入った。
日本以外での活動
2003年8月、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアにて開催されたアニメコンベンションイベント・「OTAKON 2003」にて招待を受け、初の海外ライヴを行う。そして、2004年5月、2度目の米ライブのため渡米。カリフォルニア州のアナハイムで行われたエンターテイメントイベント、「Pacific Media Expo」に、日本のJ-POP代表として参加し、イベント前夜祭のスペシャルライブとして日本人初のアリーナライブをアナハイムアリーナにて決行。さらに2008年4月にはニューヨークのマンハッタンで行われたアメリカ東海岸唯一のポップカルチャーのコンベンション「New York Comic Con 2008」に招待され、ここでもライブを行った。いずれのライブも大成功を収めた。また、ライブ活動だけでなく米国・カナダにてCDリリース・握手会・現地ファンとの交流・プロモーションなども積極的にこなしており、6thアルバムの「coordinate」以降オリジナルアルバムが立て続けにリリースされている。また、韓国でも現地Sony BMGにより、数枚のCDが発売されている。
T.M.Revolution再始動
2008年4月7日から放送されるアニメ「ソウルイーター」の主題歌、「resonance」を6月11日にリリースした。新曲は2年10ヶ月ぶりとなる。さらに前述のニューヨークでのライブや、2008年5月に行われるhide追悼ライブイベント「hide memorial summit」にも参加することが決定し、活動は再び活発化する。hide memorial summitでは、2日間のうち初日のゲストとして紹介されていたが、2日目にもサプライズゲストの形で参加している。9月からは約2年振りの全国ツアーの開催も決定した。