桑田佳祐,1956年2月26日出生,日本男歌手。出生在神奈川县的茅崎市,南方之星的主唱及吉他手。妻子为南方之星成员之一的原由子,目前育有2子。
1974年进入青山学院大学参加民谣社结识关口和之,隔年大森隆志与原由子进入青山学院大学就读,也加入了民谣社,在几次的乐团组合解散之後,最後终于以「南方之星」为名参加歌唱比赛,获得一纸唱片合约,并在1978年正式出道,以多首经典歌曲「泪吻」、「海啸」等叱吒日本乐坛至今。身为「南方之星」主唱及吉他手的桑田佳祐也负责「南方之星」主要作词作曲之大任,可谓「南方之星」灵魂人物。在1986年桑田佳祐与其他乐手合组KUWATA BAND,只限一年活动。1987年展开个人音乐活动发行首次个人单曲「悲伤的心情」至今。1991年又因「Acoustic Revolution」演唱活动而与小林武史等人组成「SUPER CHIMPANZEE」。除了音乐活动之外,自1993年以来,桑田佳祐每年都为拯救艾滋举行演唱表演活动,包括与奥田民生合作的「光的世界」及小孩先生的「奇迹的地球」。2002年12月1日他将与岸谷五朗、江角真纪子等人一起於日本武道馆举行「行动救艾滋」活动。
作为南方之星主唱的身分最为人所知,乐团作品之作词作曲亦多由他完成。有『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』等等名曲。作词常讽刺性地表现爱,性,世态等。风格时而幽默,时而情色,时而看似不知所云,时而悲哀,时而正经。各种各样类型的歌词都灵活使用著,风格可谓诡谲多变。作曲方面亦为日本首屈一指的名曲制造机,以结合了日本音乐风格与西乐音乐性的乐曲受到极高之评价。曲调风格从摇滚风格强的东西到叙事声乐曲,制作技术从传统乐器到现代的电脑合成软体等技术也都使用熟练。在单独表演的音乐活动也活跃著。
自1978年出道以来30馀年持续站在J-POP界的第一线。音乐杂志『ロッキング・オン』将其誉为「流行音乐之神」。同时,对日本的许多的音乐人带来影响,「我是桑田先生(南方之星)的歌迷喔」「受到他的影响很大」等公开说著的音乐人非常之多。
1987年的固定单独活动开始以後也能良好兼顾原来的南方之星主唱工作,两边各自活跃的活动,在商业性方面也持续维持成功的稀少例子之一。
2010年7月,证实患上早期食道癌,演艺公司决定桑田至少休养半年以专心治疗。 但因术后复原状况良好,在医师准许下于2010年的第61届NHK红白歌合战中出场,并宣告复出音乐活动,而休养前未能录完的新专辑“MUSICMAN”也已完成。
日文简介
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、日本のミュージシャン、シンガーソングライターであり、バンド、サザンオールスターズのボーカル兼リーダーである。愛称は、すけちゃん、ケイちゃん、桑っちょなど。
神奈川県茅ヶ崎市出身。
サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。
1990年には映画『稲村ジェーン』の監督を務め、興行的成功を収めている。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。
サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして「いとしのエリー」、「真夏の果実」、「TSUNAMI」などを制作した。
青山学院大学在学中よりバンド活動を行いバンド名の変更とメンバーチェンジを繰り返した後、サザンオールスターズとしてデビュー。「サザンオールスターズ」というバンド名は、青学時代の同級生である宮治淳一(現:ワーナーミュージック・ジャパンストラテジック本部シニア・チーフプロデューサー)が名付けたもの。 1987年のソロ活動開始以降、サザンとソロ、それぞれの活動を数年毎のローテーションで行っている。
1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男をもうける。長男はインディーズバンド・READ ALOUDのボーカル、桑田祐宜。