昭和7年大阪生まれ。
祖父は竹本源太夫、父は文楽三味線の鶴澤藤蔵。
昭和21年4月四代目竹本織太夫(後の八代目綱大夫)に入門し、竹本織の大夫を名乗る。昭和38年五代目織大夫を襲名。平成6年切語りとなる。 平成8年九代目綱大夫襲名。
平成6年紫綬褒章受章。 平成15年日本芸術院賞受賞。 平成16年大阪芸術賞受賞。 平成18年人間国宝認定。
人形浄瑠璃文楽は物語を語る太夫と情景や心情を弾き分ける三味線、そして登場人物としての人形の三位一体で作り上げられる。その文楽の世界に入って来年で65年、母親のおなかの中から入れると、80年になる文楽太夫の重鎮。来年4月の文楽公演で九代目竹本源大夫襲名披露を行う。
「もうやるべきことはやったと思っていました。それが、ある人に『おじいさんの名前を襲名しないのか』と言われまして、仕事がまだ一つ残っていた、とはっとしました」と綱大夫。
祖父の七代目源太夫(明治14年―昭和10年)は、美声で有名な文楽太夫だった。綱大夫が4歳の時に亡くなり「浄瑠璃を語っていた時の本当の心」は知るよしもなかったが、三味線の先代鶴沢寛治や先代野沢喜左衛門から、よく祖父のことを聞かされたという。
「おじいさんはな、声がころころとまわって、とってもお客受けが良かったって、ファンも多かったみたいでね。うちの母がね、源太夫の娘なんですわ。私にね、あんたの芸は難しいって、ほめてんのやないんですわ。『お客さん気の毒や、おとっつぁんの浄瑠璃はぱぁっとして、深刻なこと語っていてもすーっとしてた』って絶賛するんです。レコードとか聴きますとね、なるほどなあと思います。肩のこらない浄瑠璃でね」と話す。
浄瑠璃の語り口は、源太夫のように歌う浄瑠璃や、じっくり語って聴かせる浄瑠璃、土のにおいが残る浄瑠璃などさまざまで、綱大夫は重厚な語り口が魅力だ。近松門左衛門の作品を得意とし、庶民の話を描く世話物、武家の時代物の両方で活躍している。
「私は師匠(八代目綱大夫)の浄瑠璃、芸が好きで。織の大夫の名前をもらった10代から師匠が私を育ててくれて、なんでも勉強だからとよく言われました。師匠が見てよかった映画とか歌舞伎とか本も読めと、観た後に感想も聞かれて」と、プラスにしてきた。
浄瑠璃のけいこは、今のようにカセットもICレコーダーもない時代。「三味線なしで机を扇子でたたいて拍子を取りながら語られるのを全身を耳にして、音階は言葉の抑揚で覚えた。小言もいっぱい聴きましたが幸せやったなあと、今になって思いますね」
そして昭和38年に五代目竹本織大夫を襲名。平成6年には文楽太夫の最高位である重要な場面を語る切場(きりば)語りになった。
「切場語りいうたら綱大夫師匠や豊竹山城少掾(やましろのしょうじょう)師匠のことでしたから、自分は大変な位を頂いた、責任重大だなと身の締まる思いでした。身を慎めて品位を持たないかん」と振り返る。文楽太夫にとって最終目標であり、芸道だけでなく人格も問われる。
2年後、あこがれの師匠の名前、綱大夫の九代目を継ぎ、息子で三味線弾きの鶴沢清二郎とコンビを組んだ。「これも幸せでね。何遍でも緻密にけいこができた」と、ベストを求めてきた。2011年1月公演は、これまでにも何度か演奏し、練り上げてきた『傾城恋飛脚(けいせいこいびきゃく)』の「新口(にのくち)村」の切場を語る。公金を横領した忠兵衛が故郷へ恋人の梅川と逃避行し、父の孫右衛門に別れを告げるくだりだ。
「節は派手についているけれど、あんまり派手な演奏になって踊ってしまってもしょうがない。憂いが漂うくらいでないと語れない。難しい場面だが、近松の奥深さを感じてもらえる作品」と、楽しみにしている。
そして4月、清二郎も三味線弾きだった祖父(綱大夫の父)の名前、鶴沢藤蔵の二代目を継ぐダブル襲名披露だ。演目は、時代物『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』の「九郎助住家の段」の切場を語る。源実盛が源氏の武将でありながら平家へ心を寄せる思いを物語るクライマックスだ。
「曲も好きですが、実盛が大好きで。織の大夫時代の勉強会で父に弾いてもらって語った」という思い出の作品で、新たにスタートする。(敬称略)