小档案
中 文 名: 东京事变
外 文 名: Tokyo Incidents
国 籍: 日本
代表作品: 《群青日和》
简介
东京事变(日语:东京事変,英语:Tokyo Incidents/Incidents Tokyo)是一组日本的乐团,成立于2003年,成员共有五人,分别为椎名林檎(主唱)、龟田诚治(贝斯手)、浮云(吉他手)、刄田缀色(鼓手)和伊泽一叶(钢琴手.吉他手)。虽然其理念上大体以椎名林檎为中心,但每位乐手们依然各自闪耀,并也各自衬托,他们的风格多变,这也是长久受到观众喜爱和支持的原因。
发展过程
乐团成员中途有两人退出,之后很快就有补充了两个新的成员,因为有这一变故,一般以“第一期”、“第二期”加以区分。
第一期:2004年–2005年
2003年秋天,在椎名林檎双六高潮演唱会中正式成立,这也是东京事变第一次的演出。隔年获邀参与MEET THE WORLD BEAT 2004、富士音乐祭的演出,掀起了音乐的革命。同年,发表出道作《群青日和》,写下了近20万张的销售成绩,成功地跨出成军后的第一步。后来,东京事变顺势推出首张专辑《教育》。
之后,东京事变展开第一次巡回演唱会“东京事变 live tour 2005 dynamite”,以椎名林檎个人演唱时期最后一张单曲《苹果之歌》的东京事变版本作为开场曲,也正式宣告东京事变的时代来临。07月01日,负责弹奏钢琴的团员-H是都M、弹奏吉他的-昼海干音宣布退队。
第二期:2005年–2006年
经过两个月的空窗期后,东京事变官网宣布递补的两位成员为:吉他手浮云,以及钢琴手伊泽一叶,两位也是曾和椎名林檎合作过的乐手,这时的东京事变俗称“第二期东京事变”。“大奥”制作人积极的邀歌下,椎名林檎完成了“修罗场”的创作,并于2005年发表单曲《修罗场》,以充满流行的轻快氛围表现出女人之间的爱憎。
第二期东京事变首张单曲《修罗场》卖出10万张的好成绩后,他们接着趁势推出第二张专辑《大人》,而由于新血的加入,使得东京事变被浓浓的爵士味所围绕,同时更加入了放克、爵士乐、蓝调,甚至是日本传统音乐等音乐成分,再加上团员们精彩的弹奏与各乐器之间交织出的优美旋律,和椎名林檎如故事般的写词方式,完成了一张正如其名、十分成熟的专辑。
之后,东京事变积极的投入演唱会的工作,不管是在日本武道馆和大阪城音乐厅举行让歌迷认识新成员的演唱会《DOMESTIC! Virgin LINE》,或是以第二张专辑大人为中心的巡回演唱会《"DOMESTIC!" Just can't help it.》,甚至是和其他乐团一起筹办的音乐祭《SOCIETY OF THE CITIZENS》,都广受大众好评。
2007年
2007年乐队发表以意大利的跑车O.S.C.A为构想的单曲《OSCA》,此张单曲均来自于团员们的创作,以神经质般的摇滚曲风,再加上椎名林檎宛如舞蹈般的演唱,展现出东京事变另外一种面貌。紧接着发表的单曲《Killer Tune》则是以轻快的旋律贯穿全曲,充分展现出时下流行的氛围。
之后,继续延用双字策略发表专辑《娱乐》。
2008年–2010年
2008年正值主唱椎名林檎出道十周年,因此让她重拾个唱生涯,并展开十周年纪念演唱会。但东京事变也没有因为这样而停止演出,在《Rising Sun Festival》中,以椎名林檎和东京事变的名义分别进行演出。
之后,继续延用双字策略发表专辑《SPORTS》(竞技)。
2011年:《大发现》
2011年,东京事变原定2月23日发行第七张单曲《回响天空/每个女孩子啊》,但是2月12日鼓手刃田缀色喝酒闹事,因涉嫌妨碍警方执行公务而遭逮捕,东京事变立刻发表声明道歉,并宣布新单曲和东京事变活动无限期停止。而原本预定要上“Music Station”宣传新单曲的东京事变,受鼓手闹事所累,一并取消。另外,以新单曲中的歌曲作为广告曲的资生堂“MAQuillAGE”系列、江崎固力果“Watering Kiss Mint口香糖”也因为闹事所影响,将原本的歌曲改由椎名林檎单独演唱。
乐团解散
东京事变在2012年2月先后在神奈川、大阪和东京举办最后的巡回演唱会“东京事变live tour 2012 Domestique Bon Voyage”,于2012年2月29日正式解散。
2012年8月29日他们同时发售联合专辑《深夜枠》和 实况录音DVD/BD《珍プレー好プレー》。
2013年2月27日他们同时发行Complete CD Box《Hard Disk》和MV DVD《Golden Time》,《Hard Disk》将收录8张CD,其中《Recovery Disc》中包含了他们未收录进CD和未发表的歌曲。MV DVD《Golden Time》中收录了12支MV。
——————————————————————————————————————
東京事変(とうきょうじへん、英称:Tokyo Incidents、Incidents Tokyo)は、かつて椎名林檎を中心に結成された日本の5人組バンドである。所属レコード会社はEMIミュージック・ジャパン/Virgin Music。2003年に結成され、2012年の閏日に解散した。
概要
結成の経緯
2003年当時、引退を考えるほど音楽活動の継続にモチベーションを見出せなかった椎名林檎が、「メンバーたちのために書き下ろすつもりで曲を書けば意欲が湧くのではないか」と考えて結成。もともとは椎名のバックバンドだった。
メンバー
最終メンバー
椎名林檎(シイナ リンゴ)- vox(声弦)
刄田綴色(ハタ トシキ)- drums(太鼓)
亀田誠治(カメダ セイジ)- bass(四弦)
浮雲(ウキグモ)- guitar
伊澤一葉(イザワ イチヨウ)- key and guitar
元メンバー
2005年7月1日まで参加。
晝海幹音(ヒラマ ミキオ)- 六弦
H是都M(エイチ ゼット エム)- 鍵盤
サポートメンバー
佐野康夫 - ドラム
2006年7月に行われたライブイベント「SOCIETY OF THE CITIZENS vol.1」で、骨折していた刄田の代りに出演。
略歴
デビュー前
2003年7月18日、新宿ロフトで行われたJIGHEADレコ発ライブに東京事変として初めて出演。その後、同年8月より行われた椎名のライブツアー「椎名林檎 実演ツアー 雙六エクスタシー」にも出演したが、あくまでバックバンドとしての出演であった。
2004年 - 2005年
2004年5月30日、椎名がバンド「東京事変」として活動していくことを宣言、同年7月24日には「0724YAMABIKARI」にて、宣言後初のイベントでの登場となった。その後、フジ・ロック・フェスティバルを含むいくつかのライブ参加を経て、9月8日に東芝EMI(当時)からシングル『群青日和』でデビューを果たす。続いて10月には2枚目のシングル『遭難』、11月には1作目のアルバム『教育』、12月にはミュージック・ビデオ集『tokyo incidents vol.1』を、4ヶ月連続で発売した。
2005年には、初のライブツアー「東京事変 live tour 2005 “dynamite!”」を開催。しかし同年7月1日、H是都Mと晝海幹音(現・ヒラマミキオ)の2名が、それぞれの活動のためにバンドを離れることを発表した。
2005年 - 2008年
2005年11月、3枚目のシングル『修羅場』と2作目のアルバム『大人(アダルト)』の製作に合わせ、伊澤一葉と浮雲の2名がバンドに参加。また、シンボルマークが折り鶴から孔雀になった。
2006年1月25日に発売されたアルバム『大人(アダルト)』は、バンドとして初のオリコンチャート第1位獲得を果たした。また、2月には日本武道館と大阪城ホールにて新メンバーの顔見世ライブ「DOMESTIC! Virgin LINE」、4月からは全国17都市でニュー・アルバムをひっさげての約2ヶ月にわたるライブツアー「東京事変 “DOMESTIC!” Just can't help it.」を立て続けに開催した。同年末には、COUNTDOWN JAPAN 06/07(12月30日:幕張、12月31日:大阪)にも出演した。
2007年7月11日には4枚目のシングル『OSCA』、8月22日には5枚目のシングル『キラーチューン』を発売。9月26日には、3作目のアルバム『娯楽(バラエティ)』を発売した。10月18日からは、アルバムからの楽曲をフィーチャーした、全国7都市でのライブハウスツアー「東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment」が開催された。なお、椎名は前作『大人(アダルト)』発売の際のインタビューでの「(今後について)自分は曲を書かず、作詞と歌のプレイだけに関わったアルバムを作ってみたい」といった発言の通り、シングル「OSCA」、「キラーチューン」、およびアルバム『娯楽(バラエティ)』では一部の作詞と歌唱のみを担当した。11月21日には、「東京事変 live tour 2007 Spa & Treatment」で披露された新曲「閃光少女」を含むミュージック・ビデオ集『閃光少女』が発売された。
2008年、椎名林檎としてのデビュー10周年ということもあり、椎名は久しぶりにソロ活動を再開した。そのため、夏に開催されたライジング・サン・ロックフェスティバルには、ソロとバンドの両名義での参加となったが、東京事変としての活動は限定的だった。
2009年 - 2011年
2009年、前年に引き続き、椎名はソロとしての活動を継続して久しぶりのニュー・アルバムを発表した。そのため、年前半は椎名以外のメンバーもそれぞれの活動に専念することになった。亀田は本業のプロデューサーとして様々なアーティストたちと仕事をし、刄田はフジファブリックのレコーディングやライブにサポート・メンバーとして参加した。また伊澤は、ELLEGARDEN(現在活動休止中)の細美武士が結成したバンド「the HIATUS」にツアーメンバーとして参加した。
10月1日、年末のCOUNTDOWN JAPAN 09/10への出演が発表された。また同年末、4作目のアルバムへ向けて2年ぶりに活動を再開。12月2日には6枚目のシングル『能動的三分間』を発売した。この作品は自身初のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得した。同楽曲は江崎グリコ「ウォータリング キスミントガム」のCMソングに起用され、そのイメージキャラクターに椎名が起用された(また、同CMのナレーションは浮雲が担当している)。椎名がCMに出演するのは初めてのことであった。
2010年2月24日には4作目となるアルバム『スポーツ』が発売され、アルバムでは『大人(アダルト)』以来のオリコンチャート1位を獲得した。同年3月からは全国ツアー「東京事変 live tour 2010 ウルトラC」が開催された。同年7月21日よりテレビ朝日系金曜ナイトドラマ『熱海の捜査官』主題歌の「天国へようこそ」が、28日には「ウォータリング キスミント」CMソングに起用された「ドーパミント!」が配信限定で発売された。8月25日には先のライブツアーの模様を収録した『ウルトラC』と、2007年に行われたライブハウスツアーの模様を収録した『Spa & Treatment』を同時発売した。また『ウルトラC』は9月8日にBlu-ray Discが発売された。
2011年2月23日には7枚目のシングル『空が鳴っている/女の子は誰でも』を発売する予定だったが、同年2月10日に刄田が公務執行妨害で逮捕されたため、発売延期とプロモーション活動の自粛を発表した。「空が鳴っている」は4度目となる「ウォータリング キスミント」のCMソングに、「女の子は誰でも」は資生堂「マキアージュ」のCMソングにそれぞれ起用され、同時にイメージキャラクターに椎名が起用されることが決定していたが、この不祥事により、キスミントのCMでは16日から名義を「椎名林檎」とした上で、同楽曲の別アレンジバージョンが使用されることとなった。マキアージュのCMも同様の処置が取られ、こちらは期日通りに放映された。また、テレビ朝日系列『ミュージックステーション』に2週出演予定が取り消される事態にもなった。3月14日に刄田は略式裁判により罰金刑となったため、協議の結果4月5日から活動を再開することとなった。一連の件に関して、刄田は公式ウェブサイトにて謝罪している。また、発売未定だった上記シングルは5月11日に発売された。6月29日には5作目のアルバム『大発見』が、9月21日には新曲「ハンサム過ぎて」を含むミュージック・ビデオ集『CS Channel』が発売された。また、9月30日からはライブツアー『東京事変 Live Tour 2011 Discovery』が開催された。12月31日には椎名が『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、それに伴いバンドメンバーも出演した。
2012年 - 2013年
2012年1月11日、解散を発表した。椎名本人による解散声明文に「事変は来る閏日解散致します」とあり、解散日は2012年2月29日に決定した。1月18日、バンドメンバーがそれぞれ持ち寄った楽曲5曲を収録したミニアルバム『color bars』が、同年2月15日には2011年に行われたツアーの模様を収録した『Discovery』と、それまでに行われたライブの中から厳選された音源を収録した初のライブベストアルバム『東京コレクション』を発売した。2月14日より、最後のツアー「東京事変 Live Tour 2012 Domestique Bon Voyage」を開催。2月29日にはオフィシャルブック『チャンネルガイド -東京事変オフィシャルブック-』(スイッチ・パブリッシング刊行)を発売し、同日の日本武道館公演をもって解散した。6月13日には同ツアーの最終公演を収録したDVD及びBlu-ray Disc『Bon Voyage』を発売した。8月29日にはシングルのカップリング曲を収録した『深夜枠』と、結成から解散までのライブのドキュメンタリー映像を収録したライブヒストリービデオ『珍プレー好プレー』が発売された。
2013年2月27日にはCD-BOX『Hard Disk』、ミュージック・ビデオ集『Golden Time』がそれぞれ発売された。