小档案
中 文 名: 赤西仁
外 文 名: Akanishi Jin,あかにし じん
国 籍: 日本
星 座: 巨蟹座
血 型: O型
身 高: 176cm
体 重: 57kg
出 生 地: 日本东京都江东区
出生日期: 1984年7月4日
职 业: 演员,歌手,音乐制作人
经纪公司: Go Good Entertainment
代表作品: 《极道鲜师2》《Anego》《有闲俱乐部》《BANDAGE》
主要成就: 2008年第17届年间日剧大奖最佳男主角
2008年日刊体育日剧大赏最佳男主角
配 偶: 黑木明纱
简介
赤西仁(Akanishi Jin),1984年7月4日出生于日本东京都江东区。日本男演员、歌手、音乐制作人。
早年经历
1984年7月4日,赤西仁出生于日本东京都江东区,有一个小他3岁的弟弟赤西礼保。曾就读于东京都立志舍高等学校,后因进入演艺界而中途退学。
1998年11月8日,年仅14岁的赤西仁因为对演艺圈的憧憬,而向杰尼斯事务所寄出履历表,虽然参加甄选时赤西仁并不在入选名单里,却阴差阳错被杰尼斯事务所的老板喜多川留了下来。
演艺经历
2001年3月,赤西仁经过选拔成为了组合KAT-TUN的一员。该组合成为前辈堂本光一的专属伴舞团体;2002年,未出道的KAT-TUN在东京国际论坛举办名为“回应55万人爱的支持”的首次演唱会;
2005年1月,赤西仁与龟梨和也合作参演电视剧《极道鲜师2》。该电视剧初回收视率26.5%,为当周同时段播出戏剧之冠。4月搭档筱原凉子参演电视剧《Anego》,饰演一位刚入职的年轻男孩。
2006年3月,赤西仁所在的组合KAT-TUN在经过了长达五年的磨合之后,终于正式出道。该组合于同一天发行单曲《Real Face》、专辑《Best of KAT-TUN》以及DVD《Real Face Film》,并且夺下公信榜3门冠军的成绩。之后KAT-TUN举行出道后的首次全国巡回演唱会,总计共43场公演。10月赤西仁暂停演艺活动到洛杉矶留学。
2007年4月,活动休止的赤西仁归国,重回组合。10月主演电视剧《有闲俱乐部》,凭借重情重义的“松竹梅魅绿”一角获得第日刊体育日剧大赏最佳男主角奖;2008年7月,赤西仁担任电影《极速赛车》日语版的配音。11月,赤西仁与电影《BANDAGE》的导演小林武史合作推出限定乐队“LANDS”,并且发行同名单曲《BANDAGE》。
2010年1月,以“LANDS”名义发行专辑《Olympos》,该专辑夺下了公信榜专辑榜单的周榜冠军。2月在东京日生剧场举行了为期22天共32场的个人演唱会。7月因为方向性不同,赤西仁正式从KAT-TUN退团单飞。10月在美国共5个地方举办名为“Yellow Gold Tour 3010”的巡演。12月加盟华纳唱片,成为继矢沢永吉后第二位与华纳家族签订全球合约的日本SOLO艺人。
2011年3月,发行首张个人单曲《Eternal》,该专辑收录歌曲全部由本人负责作词、作曲。发行后以首周销量21.7万张成为公信榜的冠军。11月赤西仁以“Jin Akanoshi”的名义在美国乐坛出道,正式发行迷你专辑《Test Drive》。该专辑由J.R.Rotem监制,不仅夺得公信榜周榜冠军,并且拿下美国iTunes舞曲排行榜第一位。12月推出第2张单曲《Seasons》。
2012年3月,赤西仁发行首张正规专辑《Japonicana》。11月与基努·里维斯合作参演好莱坞奇幻电影《四十七浪人》。
2013年8月,发行第3张单曲《Hey What’s UP》,该曲被选为“东京girls 2013秋冬服装秀”的宣传曲。10月发行第4张单曲《アイナルホウエ》。11月推出专辑《#JUSTJIN》。
2014年3月,赤西仁与杰尼斯事务所合约到期,达成了不再续约的协议,将在今后专注海外活动。7月建立自己的经济公司Go Good Entertainment,之后发行第5张单曲《Good Time》。11月发行迷你专辑《Mi Amor》,该专辑共收录七首歌曲,均由赤西仁作词作曲。
2015年6月,发行专辑《Me》,专辑共收录十首单曲,均由赤西仁一人包办作词作曲。7月起举办日本巡演“JIN AKANISHI LIVE TOUR 2015 ~Me~”,此次巡演共举办16场。
2016年6月,发行专辑《Audio Fashion》。
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赤西 仁(あかにし じん、1984年7月4日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優であり、男性アイドルグループ・KAT-TUNの元メンバーである。妻は女優の黒木メイサ。
元所属事務所はジャニーズ事務所で、2014年2月28日付で退社した。その後、2014年7月4日に公式サイトおよびファンクラブを設立し、活動を再開している。現在は事務所に所属しておらず個人で活動している。
来歴
KAT-TUN
1998年11月8日、ジャニーズ事務所のオーディションを受ける。結果は不合格だったが、 付けていた名札を返した相手が偶然ジャニー喜多川社長で、その名札の番号がNo.1だったため、「YOUも残っちゃいなよ。」と言われ合格した(本人談)。 ジャニーズのオーディションを受けた理由は、テレビ番組で錦戸亮が歌う姿を見て、同じような事がしたいと思ったから。 2000年からジャニーズJr.としてB.A.D.やM.A.D.に参加し、 2001年に堂本光一の専属バックダンサーとして結成されたKAT-TUNのメンバーに選ばれる。
2005年1月からKAT-TUNメンバー亀梨和也とともに出演したテレビドラマ『ごくせん』第2シリーズでブレイク。 2006年3月22日、KAT-TUNメンバーとしてシングル『Real Face』でCDデビュー。 10月12日に語学留学を理由に芸能活動を無期限休業するも、2007年4月19日にロサンゼルスから帰国、翌20日の帰国記者会見で芸能活動復帰を発表。 10月、日本テレビ系連続ドラマ『有閑倶楽部』で連続ドラマ初主演。 2008年7月、映画『スピード・レーサー』の日本語吹替版の声優を務める。
2010年1月公開の『BANDAGE バンデイジ』で映画初出演初主演。劇場公開に先駆け、『BANDAGE』の劇中バンドであるLANDSのボーカリストとして発売したシングル『BANDAGE』とアルバム『Olympos』がそれぞれオリコンチャート初登場1位を記録した。 2月7日 - 28日、日生劇場でソロライブ「Star Live 友&仁(You&Jin)」を公演。6月19日・20日にロサンゼルスで同ライブを行い、アメリカに10月まで滞在。KAT-TUNのライブツアーには不参加で、当時はその後KAT-TUNとしての活動予定も未定であり、ジャニーズ事務所は当時点での脱退や解散は否定した。
2010年7月16日、正式にKAT-TUNを脱退する方針が、同日のKAT-TUNの東京ドームでのライブ開始前にジャニー喜多川から発表された。実際の脱退は秋の全米ツアーの結果を見て最終判断をするとした。 7月20日、公式携帯サイトのKAT-TUN'S MANUALにてソロ活動を発表。理由として人間関係のもつれではなく、方向性の違いと答えている。 7月22日、ジャニー喜多川から赤西仁への言及が報道される。秋以降の最終判断を待たずにソロ活動について正式発表したことについては「なるべく早い方がいいと考えてのこと」と説明。ソロデビュー正式発表後はKAT-TUNの所属しているジェイ・ストーム(プライベートレーベルのJ-One Recordsレーベル)から別の国内レコード会社へ移籍する見通しが持たれていた。 8月31日、KAT-TUN公式サイトのプロフィールから赤西の名前が消え、赤西単体の公式サイトが開設される。
ソロ活動
2010年11月7日からシカゴ、サンフランシスコ、ヒューストン、ロサンゼルス、ニューヨーク5都市を巡るツアー『Yellow Gold Tour 3010』を開催、合計1万5000人を動員した。12月9日、ワーナー・ミュージック・グループと契約し、2011年春に全米デビューすることを発表。
2011年1月14日から日本凱旋公演『Yellow Gold Tour 3011』を開催。また凱旋公演の途中に、今夏にジェイソン・デルーロとコラボし、全米デビューシングルを発売することが発表された。
3月2日、「Eternal」でソロデビュー、発売初週で21万7000枚を売り上げ、オリコンチャート初登場1位を獲得した。また、キアヌ・リーブス主演映画『47RONIN』のオーディションに合格、2012年12月でハリウッドデビューすることが決まった。
11月8日、全米デビューシングル「TEST DRIVE featuring JASON DERULO」がiTunes Storeダンスチャート1位を獲得した。また12月7日には、同曲を収録した日本盤ミニアルバムを発売。
12月28日、日本での2作目のシングル「Seasons」を発売。
2012年3月7日、ファーストアルバム『JAPONICANA』を日米同時発売。その一方で、黒木メイサとの結婚が事後報告となったペナルティとして、全国ツアーの中止と主演に内定していたドラマの降板という処分を受けたと報じられている。
2013年6月23日、新曲「HEY WHAT'S UP?」の発売をワーナーミュージック・ジャパンとジャニーズ事務所が発表、1年半ぶりの芸能活動再開が明らかになった。
ジャニーズ事務所退社
2014年2月28日、ジャニーズ事務所と赤西との間で、契約満了と再契約は行わないことで合意。同日付でジャニーズ事務所を退社したことが、翌日の3月1日に同事務所の側から明らかにされた。退社に至る経緯は公表されていないが、複数の報道において、活動の方向性をめぐる食い違いが要因として指摘されている。
赤西が所属するワーナーミュージック・ジャパンは、2014年4月2日に発売するライブ・ビデオ以外に新作発表の予定はなく、今後の契約についても未定とした。
退社が報じられた2014年3月2日、赤西自身もFacebookおよびTwitterで退社を報告した。この報告で、子ども時代から夢見てきた海外での活動に、さらに注力したいとの意思を表明した。
自主レーベル立ち上げ
2014年7月4日(自身の30歳の誕生日)に公式サイトを開設し、再始動開始を報告した。また同日にファンクラブ「JIP's」も発足した。
2015年、中国の北京市で開催された授賞式『愛奇芸尖叫之夜』で、「アジア人気アーティスト賞」と「年度音楽大賞」の2つの賞を日本人として初めて受賞。
2016年、中国のミュージックアワードを受賞した。