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风格
#日本摇滚 #迷幻摇滚
地区
Japan 日本

艺人介绍

プロファイル

バンド名 ゆらゆら帝国

活動期間 1989年- 2010年

レーベル ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ(2005年 - 2010年)

Death From Abroad

メンバープロファイル

現メンバー

名    前 坂本慎太郎(さかもと しんたろう)

誕 生 日 1967年9月9日

担    当 ギター、ボーカル

卒業学園 多摩美術大学デザイン科

なるべく洗わずにキープするという天然パーマのボリュームヘア、非常に薄い眉毛(のばすと海苔のようになってしまうためごく短く刈っているらしい)という特徴的なヴィジュアルの持ち主。ライブでは赤いパンタロンを着用することが多い。メジャーデビュー前は点々に剃った眉毛と、前髪を極端に短くしたロングヘアーに尻が半分見えるほど下がったズボンを着用し、上半身裸でライブに登場していた。

水木しげるとピーター・アイヴァースを信奉し、水木しげるには実際に会って愛機のギターにイラストを書いて貰っている。自分のアイドルとしてジミ・ヘンドリックスを挙げている。好物はうどん。既婚で、子供がいる。理解できない音楽にザ・フーを挙げている (クイックジャパン100号企画の対談より)。

ゆらゆら帝国独特の世界観の構築において主軸的な役割を果たし、レパートリーの作詞やCDなどのアートワークのほとんどを担当。画集も発表している。

本人曰く、喋りが得意ではないとのことで、声でのメディア露出は稀である。その際の曲紹介においても「照れ臭い」との理由からパーソナリティーに任せている。(ミュージックスクエア、1999年)。

2011年、salyu × salyuの「s(o)un(d)beams」に作詞で3曲提供。その後、自身のレーベル「zelone records」を設立。9月に7インチ・レコードシングル「幽霊の気分で」でソロ・デビュー。11月18日にソロアルバム「幻とのつきあい方/How To Live With A Phantom」をリリースした。また、女性ポップスバンド・ママギタァのアルバムリリースやドラマ『まほろ駅前番外地』の劇中音楽なども担当する。2014年5月28日にセカンド・ソロアルバム「ナマで踊ろう/Let's Dance Raw」をリリース。「How To Live With A Phantom」、「Let's Dance Raw」ともに、海外リリースもされている。ヨ・ラ・テンゴ来日公演におけるシークレット・ゲストとしての出演を除き、ゆらゆら帝国解散以降、ライブでの演奏は行なっていない。

2016年4月から、α-STATION"FLAG RADIO"の偶数月水曜日を担当。坂本にとって当番組が初のラジオレギュラー番組であり、選曲も坂本自身が行う。

名    前 亀川千代(かめかわ ちよ)

誕 生 日 1969年7月29日

担    当 ベース

前髪をまっすぐに切りそろえた腰まである黒のロングヘアー(灰野敬二の影響とも言われる。インディーズの頃はボブだったが、俗に言う「姫カット」で定着した)で、いつも黒い衣装でライブに登場する。女性のような名前や風貌であるが男性である。

うねるようなメロディをもったベースラインが特徴。演奏中のこだわりは「人の音を聞くこと」で、体でリズムを取る仕種をほとんどとらない。趣味はプロレス観戦で、アントニオ猪木のファン。坂本曰く、加入時に亀川のルックスを見て「水木しげるの漫画のキャラクターだ」と喜んだという。同バンドど並行して、プロデューサーの石原洋(ex.WHITE HEAVEN)率いるThe Starsのメンバーとしても活躍(2008年解散)。ゆらゆら帝国解散以降は、自身が敬愛する灰野敬二率いる3ピースバンド不失者に加入。また、ライブでのサポートやセッションも行っている。

名    前 柴田一郎(しばた いちろう)

誕 生 日 1968年9月2日

担    当 ドラムス

以前はかかしのメンバーであった。バンドと初期に親交があったマリア観音のライヴにテナーサックスで出演したことがある。

皇居前でドラムの練習をしたため、右翼に拘束されたことがある。左利き。加入当初はサングラスをよくかけており、チャーリー・ワッツを踏襲したプレイスタイルだった。

またソロでの活動も行っており、電子音楽家「いちろう」としての顔もある。 解散後にはScaperec,Tokyo(スケープレック東京)というレーベルから2012年1月27日に1stアルバム「Fly Electric」をリリースしている。

旧メンバー

名    前 吉田敦(よしだ あつし)

担    当 ドラムス

1989年の結成当初から1992年まで在籍。ライブでは上半身裸で、坂本と過激なパフォーマンス(ドラムセットを飛び越える、スネアドラムを持ってステージを走り回るなど)を繰り返していた。難聴の悪化を理由に脱退。

名    前 橋口優(はしぐち まさる)

担    当 ギター

亀川と同時期に加入し、1992年まで在籍。吉田と同時期に脱退。

名    前 沢田守秀(さわだ もりひで)

担    当 ドラムス

坂本と亀川の音楽性の変化から意見が割れ、95年に脱退。ゆらゆら帝国加入前は、音楽雑誌「MARQUEE」で編集、ライターなどを担当していた。

名    前 下田温泉(しもだ おんせん)

担    当 ドラムス

沢田の脱退後に加入し、1997年に脱退。坂本は「直線的なドラムだった」と評価している。

名    前 阿佐美和正(あさみ かずまさ)

担    当 ベース

ゆらゆら帝国結成以前は、坂本(G) 阿佐美(Vo)で学園祭等で活動していた。結成当初はベースとして加入。1989年脱退。現在は映像作家として活動する。smoothace、coba(音楽プロデュサー、アコーディオニスト)、権藤知彦(ユーフォニウム奏者、作編曲家、YMO、くるり、etc)の映像制作が多い。傍ら不定期でライブ活動等も行なう。

概要

ゆらゆら帝国というバンド名は、結成時にバンド名を決める際、いくつか挙げた候補のどれもピンと来ず、最もましだったものを選んだという程度で深い理由はない。

メジャーデビューアルバムの『3×3×3』はリリースされた当時、CORNELIUSの小山田圭吾により音楽雑誌での企画“年間ベスト1アルバム”に選ばれた。坂本は「(小山田に)年間ベスト1に選んでもらって、それから周りの見る目が変わった」と後のインタビューで語っている。

ライブにおける特徴として、MCがほとんどない、アンコールがないといったことが挙げられる。坂本はギターを弾きながら体を激しく動かし飛び上がることもある一方で、亀川はほぼ直立不動を保ち、大振りなアクションはまったく行わない。MCは、坂本が「どうも」「あと1曲です」「さよなら」「ありがと」「まぁまぁまぁ」などと言うだけで、まとまった事を喋ることはほとんどなく、他の二人は全く喋らない。また、観客からの掛け声に応じることも一切しない。

国内のフェスの参加のほか、2005年のレーベル移籍後はヨーロッパやアメリカでのライブ敢行や台湾のフェス出演など、海外での活動も活発に行っていた。

2010年3月31日、ホームページにて「完全にできあがってしまった」と感じたことを理由に解散。

来歴

1989年2月、大学2年生の坂本慎太郎が学友の吉田敦を誘い結成。吉祥寺の曼荼羅、高円寺の20000Vを中心に活動を始める。当時のメンバーは4名であった。このころ、三宅裕司のいかすバンド天国に出演した異色バンド、マリア観音と共にライブを企画する。同バンドも掲げていた「日本語のオリジナルロック」を追求。翌年、亀川千代がベース担当として加入、亀川の友人である橋口優がギター担当として加入した。

1991年から、自主制作のカセットテープを次々制作、発売した。

1992年にはインディーズレーベルにて1stアルバム『ゆらゆら帝国』発売。しかし吉田が聴覚障害の悪化を理由に脱退。さらに橋口が脱退。ドラムス担当として沢田守秀が加入。スリーピースバンドとなる。

1994年、2ndアルバム『ゆらゆら帝国Ⅱ』を発売。

1995年、沢田が脱退。ドラムス担当として下田温泉が加入。翌年には3rdアルバム『LIVE』、4thアルバム『Are you ra?』を発表。

1997年、下田が脱退。かかしのメンバーであった柴田一郎が加入。

1998年、ミディと契約しメジャーデビュー。メジャー1stアルバム『3×3×3』発表。

2000年、フジロックフェスティバルに初参加。その後、2年おきに出演。

2005年、ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズに移籍。

2008年、園子温監督作『愛のむきだし』に主題歌「空洞です」を含む複数の挿入曲が起用される。

2009年、結成20周年を迎える。記念ライブを日比谷野外音楽堂で開催。

2010年、公式ウェブサイト上で3月31日をもって解散を発表。


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