小档案
古川もとあき(ミッシェル古川、みっしぇるふるかわ、古川元亮)
プロフェット深見(プロフェット・FUKA、深見誠一)
MIKI-CHANG(東野美紀)
その筋森本(森本ゆきえ)
フナ-chan(船橋淳)
ルーズベルト泉(泉陸奥彦)
なぞなぞ鈴木(Suzuki Katsuhiko)
ピストン上原(上原和彦)
テクノウチ(竹ノ内裕治:1996年ソニー・コンピュータエンタテインメントに移籍)
むちむちプリン聡子(宮脇聡子)
METAL YUHKI(メタルユーキ、斎藤幹雄:テクモより移籍)
エンゾニック前田(NAOKI MAEDA、ダーマエ、前田尚紀)
プレイバック半沢(半沢紀夫(後にNONに改名):1992年トレジャーに移籍)
ゼンジーペキト(関戸剛:1995年スクウェア(現:スクウェア・エニックス)に移籍)
フンイキ福井(福井健一郎:関戸とほぼ同時期にスクウェアに移籍)
仲野順丸(仲野順也:関戸とほぼ同時期にスクウェアに移籍)
yamako(山下絹代)、Charming yamako、ONIGIRI YAMAKO:フリーランス)
KEN(Taurus松原、松原健一)
J_KANE(兼田潤一郎)
小简介
“矩形波俱乐部”(Konami Kukeiha Club)是KONAMI专属的游戏音乐作曲团体,其前身为“KONAMI Sound Team”。
1987年3月,AlphaRecord(G.M.O商标)发售了[Konami Game Freaks],之后由KONAMI的音乐制作人员古川元亮、森本由利、船桥淳.三人组成,而古川元亮就是矩形波的领导者。KONAMI的早期游戏音乐就是由矩形波来完成的。其中有沙罗曼蛇、魂斗罗、恶魔城等等。
KONAMI矩形波俱乐部先后由几十人组成,以矩形波的古川元亮为首,主要活跃与九十年代KONAMI的Live公演中。先后发售了两张“矩形波俱乐部”原创CD。分别是1990年11月的《矩形波俱乐部 》(1998年作为Konami的黄金专辑被再版发售)和1993年11月26日的《HOPE》(2CD),1993年,该团体中成员进行了大浮度调整,并于1995年专辑开始统一列出单独的「composer」。从此以后,矩形波俱乐部的名字就在KONAMI的VGM专辑中渐渐消失......KONAMI矩形波俱乐部名存实亡。
2003年1月,随着最初组建人员之一的古川元亮退出了KONAMI公司,KONAMI矩形波俱乐部正式宣布解散。古川元亮退出KONAMI后,成为了自由音乐人。
1987年、当時在籍していたコナミの音楽担当チームのメンバーがバンド活動を行う為にコナミ矩形波倶楽部を結成した(ただし、古川もとあきは、自身のウェブサイトにおいて、1990年結成と記述している[1])。当時はタイトーのZUNTATA、セガのS.S.T.BAND、日本ファルコムのJ.D.K.BANDなどゲームメーカー内でのバンド結成が相次いだ時期でもあり、矩形波倶楽部もその流れに乗ったものであった。
コナミのゲーム音楽CDでは、基本的にバンド結成以降「作曲者」「コンポーザー」のクレジットが「コナミ矩形波倶楽部」で統一されていたが、実際にバンド活動に関わっていたのは古川もとあき・プロフェット深見・森本ゆきえ・船橋淳・なぞなぞ鈴木などであり、その他の音楽スタッフも在籍してはいるが、バンド活動にはあまり携わっていない状況であった。行ったライブの内幾つかの模様は(音源のみであるが)『千両箱』シリーズに収録されている。
矩形波倶楽部が存在していた時期のコナミ音楽は非常に評価が高く、ゲーム雑誌などで名曲が多いと前述のゲームメーカーの作品音楽と並んでしばしば名前が挙がる[要出典]。特にファミコンやMSXなど向けにソフトが開発されていた1980年代には音源開発にもコナミは力を入れており、MSXの『グラディウス2』などに見られるようなSCC、ファミコンの『悪魔城伝説』、『魍魎戦記MADARA』、『エスパードリーム2』に搭載しているVRC VI(パルス波2ch+鋸波1ch)、同じくファミコンの『ラグランジュポイント』に搭載されているVRC7(FM音源をファミコンでも使用できるようにした)など、独自の音源をROMカセット及びROMカートリッジに搭載していたほどだった。また別の理由として、完成した曲をコナミのスタッフの間で何度も聞き意見を募るというチェック体制がしっかりしていた。また『Konami Game Music Collection Vol.1』ライナーノーツにおいて山下章の解説などにおいて、メロディーライン、『沙羅曼蛇』をはじめとした3連符の多用、ボイス(声で無く音種の一つ)の効果的な使用といった点がコナミミュージックの特徴として挙げられている。
その後ゲームミュージック作曲者の知名度やゲームミュージック自体の地位の向上もあって、1996年以降のサウンドトラックやアルバムから「矩形波倶楽部」の名前は消え始め、作曲者(あるいは編曲者)の名前がクレジットされるようになった。加えて1990年代後半以降、バンド結成当時のスタッフもほとんどコナミを退社しており、矩形波倶楽部最後の主要メンバーであった古川もとあきの退社をもって消滅した。コナミの企業形態も2000年代になってBEMANIシリーズから派生したライブが開催されたり、『beatnationレーベル』が立ち上げられたりしたように音楽ゲームを中心とした展開が主流になるなど大きく変化し、復活は困難な状況になっている。
ただしその後2000年代に入っても楽曲の版権管理などの便宜上から引き続き「コナミ矩形波倶楽部」のクレジットが使用されることもある。例えば『KEYBOARDMANIA 3rd MIX』には『沙羅曼蛇2』、『イー・アル・カンフー』の曲のアレンジが収録されているが、原曲の作曲者はそれぞれエンゾニック前田(前田尚紀)、MIKI-CHANG(東野美紀)であることが前者は『沙羅曼蛇2』サウンドトラックライナーノーツ、後者は例えば『幻想水滸伝II』発売時にゲーム雑誌に東野のインタビューが掲載された際などにプロフィールとして記載されていたにもかかわらず、『KEYBOARDMANIA 3rd MIX』のサウンドトラックでは、あくまで「作曲:コナミ矩形波倶楽部」となっている。i-revoにてコナミの過去のゲームミュージックがダウンロード販売される際には、既に作曲者が公表されている曲も含めて「コナミ矩形波倶楽部」のクレジットが使用されている。