小档案
中西俊夫(なかにし としお)
ギター、ヴォーカル担当。解散後は佐藤と共にMELONを結成(後に結婚、一女を儲けている)。そこから発展したプロジェクトWATER MELONやSKYLABを経て、2007年現在はPLASTIC SEXをメインに活動中。
佐藤チカ(さとう ちか)
ヴォーカル担当。解散後は中西とともにMELONを結成。MELON解散後は音楽からは身を引き再びファッションの世界へ。自らの名を冠したアパレルブランド「CHICA SATO」を立ち上げ活動中。
立花ハジメ(たちばな はじめ)
ギター担当。解散後はソロ活動の一方、サックス奏者としてのセッションも行う。近年は本業のデザイナーとしての仕事が中心であったが、2007年に新バンド「THE CHILL」を率いて音楽シーンへ本格復帰を果たす。
佐久間正英(さくま まさひで)
キーボード担当(後期にはベース、ギターも)。解散後はミュージシャンとしての活動の一方、プロデュース業へ進出し様々なアーティストを手掛ける。詳しくは本人の項を参照。
島武実(しま たけみ)
リズムボックス担当(後期にはキーボードも)。解散後は引き続き作詞家として活動。またアルバム『万力の国』のプロデュースを手掛けたり、『ごっつええ感じ』や『HEY!HEY!HEY!』の番組アドバイザーを務めたりと、ダウンタウンとの関係が深い。
小简介
プラスチックス(Plastics)は、日本のテクノポップ・バンド。
1976年に結成。メジャーデビューは1978年。
大事件
イラストレーターの中西、ファッション・スタイリストの佐藤、グラフィック・デザイナーの立花が中心となって結成される。結成当初は素人による仲間内のパーティバンドに過ぎず、また音楽性もオールディーズから始まりグラムロック、パンクロックと頻繁に変化していたが、四人囃子のベーシストであった佐久間が参加した頃からその流れが変わる。クラフトワークの『ヨーロッパ特急』に影響を受けてリズムボックスの使用を試み、テクノポップ・バンドとしての方向性が確定していく。後にリズムボックス担当として、佐久間と親交のあった作詞家の島が加入(当時流行していたスペースインベーダーが上手かった事から、「ならばボタンを押すのは上手いだろう」と思われて加入に至ったという)し、解散までの不動のメンバーが揃う。
日本でのテクノポップ黎明期にあたる1970年代末 - 1980年代初頭にかけて、彼らは日本の音楽シーンにおいては異色の存在であり、マスコミからは「ピコピコ系」と呼ばれる事もあった。しかしYMOの逆輸入ブレイク以降、言葉としての「テクノポップ」も定着し、また彼らの活動も活発化していく。1stアルバム発売後程なく米国ツアーも実現、B-52'sと共演を果たし大反響を得る。その後もラモーンズやトーキング・ヘッズなど一線級のアーティストと共演。また自由度の高いプログラミングが可能な当時最新鋭のリズムマシンTR-808の導入により、従来はリズムボックスに付きっきりであった島がキーボードへ、それに伴って佐久間がベース/ギターへのパートチェンジも可能となり演奏の幅を広げていく。しかし、国内・海外で精力的に活動を展開しまさに「これから」と思われていた1981年に突如解散。その理由には諸説あるが、「プロの仕事に裏打ちされた素人感覚」というコンセプトを重視した佐久間と、それに反して「音楽家としての向上欲」が強くなった素人組(特に中西)との方向性の相違が原因とする説が有力と言われる。
その後は各々独自の活動を開始。1988年には2日間だけの再結成ライブを行うも、プラスチックスとしては長らく沈黙を守ってきたが、「サウンド&レコーディングマガジン」2007年9月号に掲載された立花のインタビュー内において復活に向けて動いている事が明かされる。メンバーは立花・中西・佐久間に加え、各々とバンドを組んだ経験(THE CHILLで立花と、MELONで中西と、The d.e.p.で佐久間と)のある屋敷豪太が新たに参加する事になった。リアルドラマーの参加は実に約30年振りの事である(前任者は正式デビュー以前に参加していた大口広司)。