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风格
#后朋克 #新浪潮 #合成器朋克
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

平沢進(ボーカル、ギター)

過去在籍していたメンバー

田中靖美(キーボード)

田井中貞利(ドラムス)

秋山勝彦(ベース)

菊池達也(ベース)

三浦俊一(キーボード)

横川理彦(ベース)

荒木康弘(ドラムス) ex.ALLERGY

中野照夫(ベース)

高橋芳一(システムズ)

ことぶき光(キーボード)

藤井ヤスチカ(ドラムス)

上領亘(アルゴリズム)

福間創(システム1)

小西健司(システム2)

TAINACO(バーチャル・メンバー) 田井中貞利を模したMIDI信号で作動するCGドラマー

小简介

P-MODEL(ピー・モデル)は、日本の音楽グループ。

1979年、プログレッシブ・ロック・バンドの「マンドレイク」を母体に、平沢進がリーダーとなって結成され、シングル『美術館で会った人だろ』でデビュー。その後、民族音楽とテクノを融合させたようなアジアン・テクノ、独自の世界観を持った歌詞表現などで独特の音楽を展開していった。

1988年に「凍結」と称して活動を休止。1991年に「解凍」と称して活動を再開するが、2000年に再び活動を休止している。

大事件

オリジナル・メンバーは「マンドレイク」から平沢進、田中靖美、田井中貞利、そして彼らのファンだった秋山勝彦。ステージでのデビューは1979年3月下北沢ロフト、アルバムデビューは1979年8月発売の『IN A MODEL ROOM』。当初はリズムボックスやシンセサイザーをラジカルに使ったサウンドで、ヒカシュー、プラスチックスと共に「テクノ御三家」と俗称され、日本のテクノポップ/ニュー・ウェイヴ・ムーヴメントの一翼を担った。

3枚目のアルバム『POTPOURRI』以降その音世界は変転を繰り返し、奥行きを持たせた音の空間や、独自のリズム解釈、そして意味と音のバランスを作為的に崩したコトバの組み立てによる歌詞などを生み出していった。ライブではテープ・エコーを改造した「ヘヴナイザー」やドラムサウンドのホワイト・ノイズ加工、MIDIギターやフレーズ・サンプリングの多用や、ステージ上から客席に鳥の餌を撒く、突然ヤマトのりをひねり出すなどのパフォーマンスで、個性的なステージングを展開したが、1988年12月のライブをもって「凍結」すなわち一時的な休止状態に陥った。

平沢進がソロデビューするなどした後、1991年に新ラインナップによる「解凍」ライブで活動を再開し、よりテクノ感・サイバー感を高めたサウンドを展開する。1994年に4-Dの小西健司が加入。ライブでは「Miburi(ミブリ)」「パワー・グローブ」といった機材の使用とともに、観客とのインタラクティブなやりとりや、ステージングひとつひとつに意味を持たせた独自の世界観を構築していったが、2000年に「培養期」と呼ぶところの活動停止状態となったことが宣言された。

1996年11月15日 東京・新宿リキッドルームにおいて、オールナイト・イヴェント“Unfix ♯3 コミュノ・ハイブリディア”が開催された。平沢を含むP-MODELのメンバー4人がそれぞれソロステージを行うというものだったが、平沢は欠席。理由は「風邪のため」と発表されたが、数日後平沢自身がGHOST WEB上において「私は風邪ごときで休むような人間ではない。休んだ本当の理由は言えないが」という発言がなされた。翌1997年、平沢はそれまで所属していたアイスリープロモーションを離脱し、自ら新事務所ケイオス・ユニオンを設立した。それに伴い上領亘はP-MODELを脱退した。

インターネットでの楽曲配信を始めるなどしたが、その後は平行して全音源を網羅したバインダーCDセットや、過去のアルバムの再発なども行われている。

P-MODEL名義の過去のアルバム作品については、2007年7月現在、ワーナー時代・ジャパンレコード時代の5枚(SS RECORDINGSより発売)とアルファ時代の2枚(Sony Music Directより発売)、解凍2作のカップリング『ゴールデン☆ベスト P-Model/Big Body』、現時点の最新&ラスト『音楽産業廃棄物』は一般のCDショップでの購入も可能となっている。

2004年には平沢進一人が「核P-MODEL」なる名義でCDをリリース、ライブを行っているが、これはP-MODELとは異なるものと定義されている。


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