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风格
#日本摇滚
地区
Japan 日本

艺人介绍

小档案

真戸原直人

(まとはら なおと、1977年7月27日 -) ボーカル、ギター、ソングライター

愛称「まっとん」「マット」「まとさん」

血液型はB型。

左利き。

すべての楽曲の作詞作曲を担当。歌詞に対するこだわりは強くほぼすべての歌詞に英語は使われていない。(ハイスピードカルチャーなど外来語はすべてカタカナ表記)

言葉遊びや造語を作り出すセンスにも定評がある。

「ユビサキから世界を」など社会的なメッセージ性の強い作品も多く本人も雑誌などで自分に出来ることは何かと考えることが多いとよく発言する。

好きな作家は村上春樹。

ギターの阿佐とは幼なじみ。お互い、子供の頃本気で甲子園を目指していた。ポジションはピッチャー。ライブまでの空いた時間でたまに阿佐とキャッチボールをしている。阪神タイガースの大ファンでもある。また同チームの葛城育郎と仲が良い。

酒を飲むことが大好き。よくベースの中原と飲みながら語り明かす(最近では「はんなり梅酒」がお気に入り)。

物をなくすことが多い。「ユビサキから世界を」の映画化が決定した際、行定勲監督との打ち合わせの時緊張しすぎてその場に財布などを忘れてきてしまった(アンダーグラフのオールナイトニッポンにて)。

寝付きが悪い。

突拍子のない発言をすることも稀にある。

ジョンレノンを敬愛し、「呼吸する時間」の数曲はレコーディングをイギリスで行った。

プライベートでオーストラリアへ行きシドニーでフリーハグを敢行。

「一時期、精神的に不安定になり、まったく曲が書けない時期があった」とライブハウスツアーのMCの中で公言。「しかし今は本当に音楽ができる幸せを感じる」と当時未発表だった新曲を同ツアーで初披露した。(「セカンドファンタジー」)

AL「呼吸する時間」の初回特典のポストカードの写真撮影や携帯小説「冬の蛍」(携帯サイト:モバゲーで公開)の執筆など多方面に才能を発揮している。

池上ケイ(「Glow」)やPlane(「幸せになる君へ」)などのコーラスに参加するなどアンダーグラフ以外での音楽活動もしている。

使用ギター

オーヴィル・レスポール・カスタム ワインレッド(ピックアップが交換されている)

フェンダー・ムスタング イエロー・ホワイト

ギブソン レスポール カスタム 1957 3PU

ギブソン J-45 チェリーサンバースト

ギブソン ES-325 ウォルナット

フェンダー・ストラトキャスター 1969 ブラック

使用機材

アンプ

フェンダー Hot Rod Deville 212 (デビュー~2007年7月頃)

マッチレス DC-30 (2007年8月頃~2007年11月文化祭ツアー頃/2008年秋ツアー頃~)

SHINOS LUCK6V (2008年春ツアー頃~)

阿佐亮介

(あさ りょうすけ、1978年2月6日 -) ギター、コーラス

愛称「阿佐」「阿佐くん」「りょうすけ」

血液型はO型。

ボーカルの真戸原とは幼なじみ。真戸原と同様、阪神タイガースの大ファン。

酒は飲めないが、タバコは大好き。銘柄はハイライト

本人曰く「ギターは顔(表情)で弾く」

アンダーグラフのオールナイトニッポンでは「阿佐's BAR」というコーナーを担当していた。(かつてオールナイトニッポンの前時間を担当している福山雅治も「Masha's bar」というコーナーがあった。)

好きな食べ物はうどん。「一日三食うどんでいける」とFCイベント(2007年)で言うほどである。

使用ギター

フェンダーU.S.A. テレキャスター 1952 バタースコッチ・ブロンド

フェンダー・テレキャスターカスタムメイドモデル シプレーグリーン(リアピックアップがハムバッカー。)

グレッチ・デュオジェット

ギブソン・レスポール・スタンダード 1957 ゴールドトップ

ギブソン・レスポール・SG・カスタム 1977 ホワイト

フェンダー・ハイウェイ1カスタムモデル ピジョンブラッド(愛称:ジャズラトキャスター/アンダーグラフ専属ローディ命名/理由:フェンダー・ジャズマスターの様なサウンドのストラトキャスターのため)

使用機材

アンプ

マッチレス DC-30(デビュー~2007年5月頃/2008年春ツアー頃~2008年夏頃)

オレンジ

フェンダー tone master

中原一真

(なかはら かずま、1977年8月5日 -) ベース、コーラス

愛称「なっかん」「カンマ」「中原」「大将」

血液型はAB型。

メンバーの中では一番加入が遅い。

釣りが好きでたまに日記で釣りに行ったときの事をまとめたりする。

猫が好き。

調理師免許を持っていることもあり、アンダーグラフのオールナイトニッポンでは「夜食堂中原」というコーナーを担当していた。

眼鏡を掛けており、旧公式サイトのスペシャルページにてライブ時に使用している眼鏡止めは「メガロック」と記載されていた。

少し天然なため、ライブ中のMCやラジオの収録でたまに笑いの神が降りてくることがある。熊本のライブではMCなのに突然「休憩!」と言い出したり、2007年ツアーでは「『ドーン!(両手を挙げる)』と盛り上がって下さい」など面白い動作をしたことが有名。なので真戸原はよく彼にMCを振っている。

使用ベース

フェンダー・プレシジョンベース 1969 (白系の塗装。リフィニッシュされている。)

フェンダー・プレシジョンベース 1977 ナチュラル

使用機材

アンプ - アンペグ・SVT-3PRO(HEAD)

アンペグ  SVT-810E(CABINET)

谷口奈穂子

(たにぐち なおこ、1981年12月6日 -) ドラムス、コーラス

愛称「谷口」「谷口さん」「なおちゃん」

血液型はAB型。

メンバーの中で一番若いが、小学3年生の頃からドラムを始めているため、メンバーの中では楽器歴が1番長い。

子供の頃からサッカーをしていたためサッカーが大好き。2006年ワールドカップの際、アンダーグラフのオールナイトニッポンではよくサッカーの話をしていた。

とても涙もろく、出来上がった楽曲を聴いて泣くことがある。ライブでも終盤で涙する場面がよく見られる。

花粉症持ちだが、ドラムを叩いている時は一時的に収まるらしい。

スキマスイッチの3rdアルバム「夕風ブレンド」の9曲目、「糸ノ意図」でドラムの演奏を担当している。

使用ドラム

小简介

アンダーグラフ(UNDER GRAPH)は、日本のロックバンド。レコード会社フォーライフ・ミュージックエンタテインメント、音楽プロダクション「U'S MUSIC」所属。

メジャーデビューシングル『ツバサ』が発売20週目にしてオリコンシングルチャートのTOP10に入る息の長いヒットとなった。同曲のプロモーションビデオに女優・長澤まさみが出演したことでも話題となった。

アンダーグラフというバンド名には「表面的でない心の奥にある喜怒哀楽を形にした音楽を創っていく。」という意味が込められている。ボーカル真戸原のノスタルジックな世界観が特徴。ファンの年齢層も幅広い。

新曲「ジャパニーズ ロック ファイター」のアーティスト印税のすべてを認定NPO法人「世界の子どもにワクチンを日本委員会(JCV)」寄付するなど幅広い活動に対する興味を示す姿も度々見受けられる。

D-51・HOME MADE 家族・HIGH and MIGHTY COLOR・スキマスイッチ・plane・西川進・abingdon boys school・TRICERATOPS・コンドルズ・LUNKHEAD・シュノーケル・スムルース・チャットモンチー・音速ラインなどと交流がある。

大事件

1982年~1999年-

1982年、幼稚園のスクールバス内で真戸原と阿佐が出会う。バスの入り口で転びそうになった阿佐に真戸原が手を差し伸べたのが最初の出会いであり、この時阿佐は「こいつを離さない」と思った。(本人談)

1990年、真戸原と阿佐はそろって大阪の有名私立中学校を受験するが失敗。真戸原は当時本気でプロ野球選手を目指していたので野球部に入部。同じころ、谷口はエレクトーンを習っていたが、乱暴で不向きだったためやめる代わりに、特別な理由もなくドラムを始める。

1993年、真戸原と阿佐は違う高校へ進んだが、どちらからともなくアコースティックのユニットを組む。ユニット名は「エッセンシャル」。その時は自然消滅したものの、これがアンダーグラフの前身となる。その頃中原は文化祭のためにベースを勉強し始める。

1997年、阿佐が通っていたヤマハ音楽スクールで谷口に声をかける。その理由は「一番柔らかいドラムをたたいていた事。吸収力の恐ろしさ」(本人談)

1998年、三人を中心に自主制作のデモテープを作り、地元大阪・神戸を中心にストリートライブ・ライブハウスでのライブ活動を展開。関西のストリートライブのメッカ大阪城公園では、毎週末ライブを行い徐々に人が集まりだす。当時1週間で10ステージを軽く越える数のライブを4ヶ所で行っていた。この噂を楽器屋で働いている中原が聞きつける。

1999年、初ワンマンライブを大阪西九条にて行う。同時に自主制作シングル「願い/夜空の下」をリリース。すべて手売りで、結果的に関西で1000枚、関東で500枚を売り上げ完売となった。

同年6月、中原は真戸原、阿佐、谷口とスタジオに入る。その夜に「UNDER GRAPH(アンダーグラフ)」結成。

-2000年~2004年-

2000年7月、東京に進出。都内ライブハウスを中心に活動を行いながら、都内近郊でストリートライブを行う。

2002年、インディーズデビューシングル「hana-bira」をリリース。タワーレコード梅田店では発売週のインディーズチャート1位を獲得。

Kiss-FM KOBEでのレギュラー番組「UNDER GRAPHのQUESERA SERA GARDEN」(~2003年3月末まで)・NACK5でのレギュラー番組「UNDER GRAPHのQUESERA SERA STORE」(~2003年3月末まで)がそれぞれスタート。

インディーズ2ndシングル「ケ・セラ・セラ」をりリリース。前作「hana-bira」を超えるセールスを記録した。

2003年、年末年始に関西、関東を駆け巡りライブを行う。

「真面目過ぎる君へ」がデモ段階にも関わらずオールナイトニッポンに取り上げられる。リスナーからの問い合わせが多数あったことからオールナイトニッポンレコードが立ち上がり、シングルCDとしてリリース。

2004年、アンダーグラフとしての初のツアーで福岡・広島・大阪・名古屋・静岡・東京を回る。

メンバーが大阪時代から愛用していた車、パルサーが煙を吹き出し壊れる(走行距離は約20万キロ)。この車のロゴは後にリリースされる「ツバサ」や「ゼロへの調和」のCDの盤面に載っている。

メジャーデビュー以後

-2004年~現在-

2004年9月、フォーライフレコードから「ツバサ」でメジャーデビュー。発売20週目にオリコンランキングでトップ10入りし、息の長いヒット曲となった。デビューシングルながら現在までで最も売り上げが高い。最高位6位。

2004年、メジャーデビュー後初のワンマンライブを行う。

2005年4月、2ndシングル「君の声」をリリース。デビューから2作連続ノンタイアップでのトップ10入りを果たす。最高位7位

2005年6月、1stアルバム「ゼロへの調和」をリリース。最高位6位。

2005年9月、『私の頭の中の消しゴム』イメージソング「遠き日」をダウンロード限定で販売。しかし、ファンからの要望が多く後に3rdシングル「パラダイム」に収録された。

2005年12月、3rdシングル「パラダイム」をリリース。デビューから3作連続でトップ10入りを果たす。最高位9位

2005年12月31日、地元「ひらかたパーク」でカウントダウンライブを行った。

2006年3月、4thシングル「真面目過ぎる君へ」をリリース。最高位15位となりトップ10入りは果たさなかった。

2006年4月、ニッポン放送でのレギュラー番組「アンダーグラフのオールナイトニッポン」(~2007年3月末まで)がスタート。

2006年6月、5thシングル「ユビサキから世界を」をリリース。行定勲監督により同タイトルの映画(谷村美月主演)が作成される。最高位30位。

2006年7月、2ndアルバム「素晴らしき日常」リリース。シングル・アルバム通して初のトップ5入りを果たす。最高位4位。

2006年8月、サマーソニックをはじめ各地の夏フェスへ出演。

2006年11月、全国ツアー「日常への旅」スタート。ツアーのために作った曲「また帰るから」のライブ音源を来場者限定でダウンロードという形でプレゼントする、という日本では初の試みを行う。

2006年12月31日、長崎県ハウステンボスでカウントダウンライブを行う。

2007年1月、楽曲「また帰るから」をレコーディングしなおし有線でリクエストを開始する。

2007年5月、初の両A面となる6thシングル「また帰るから/ピース・アンテナ」をリリース。ビデオクリップはドキュメンタリー映像作家河瀬直美監督が手がける。

2007年9月、2週間ほどロンドンに滞在。レコーディング・ライブを行う。

2007年11月21日、7thシングル「セカンドファンタジー」をリリース。

2008年1月9日、3rdアルバム「呼吸する時間」リリース。

2008年1月31日、初のビデオクリップ集「アンダーグラフというバンドの映像」をリリース。副音声でメンバーがそれぞれの曲についてコメントする。「遠き日」のライブ映像も初収録。

2008年9月17日、8thシングル「ジャパニーズ ロック ファイター」をリリース。なお、このCDの売り上げに対するすべてのアーティスト印税は「世界の子供にワクチンを日本委員会(JCV)」に寄付することを発表。

2008年10月1日、初のライブDVD「spring tour '08 ~呼吸する楽園~」をリリース。

2009年1月28日、「遥かなる道」を配信限定でリリース。

2009年4月15日、9thシングル「心の瞳」をリリース。


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