沖縄島唄の最高峰と呼ばれた、嘉手刈林昌の作品である。
沖縄の嘉手納に生まれた嘉手刈は、7歳には見よう見まねで三線を弾き始めたという。16歳で大阪に旅立ち、製材工場で働いた後に沖縄に戻るが、南洋移民としてトラック諸島まで放浪。現地で軍隊に召集され、45年に復員する。数年して沖縄に戻ると、「歌える職業」である馬車曳(バシャムチャー)になった。そのころから、小浜守栄らと昔ながらの島唄の発掘に情熱を注ぎ、初期のラジオ放送や村の催事で歌うようになる。
以後、劇団の地謡として沖縄の島々を歌い歩き、録音したシングルレコードは100枚以上、アルバムも30枚を越えた。常に琉球民謡界をリードし、国内のみならず海外でも活動。94年には沖縄県文化功労賞を受賞し、生涯現役のまま99年10月に亡くなった。
同99年に公開された映画『ナビィの恋』でも名演を聞かせ、背筋をピンと伸ばした姿勢は最後まで変わらなかった。琉球音楽の歴史やコラム、歌詞・曲目解説などが載った36ページの冊子がついている。