荘野ジュリの歌声をはじめてきいたとき、ぼくは二十代後半の大人の女性を想像した。すでにいくつか決定的な恋愛をして、男性のことをそれなりに理解している成熟した女性である。 だが、対談に指定されたバーにあらわれたのは、まだ少女のような雰囲気の人だった。まっすぐな黒髪とおおきくて力のある目。年齢をきいてみると、まだ二十一歳だという。 それでいて、たとえばこんな歌詞を書くのだ。「ほら 昼間のワイドショーのね 無表情なレポーターになりたい誰かがそっと壊れていくのを あんなそばで感じられるから」(駅ニテ) 「さよなら いわないよ たとえ この腕をちぎられても 宝物じゃなくて いいよ 気まぐれで 抱いてください」(人形ラプソディ) 荘野ジュリの書く詞には、どこか深いあきらめがある。ぼくはそれが家族や恋人との実体験から生まれたものか知らない。だが、それはきっと経験というより、自分の心の領土を広く...